今回のお話は、赤線部分を読んで「なるほど」となる方にとっては非常に有意義な内容になることと思います。
そこに気付けるあなたは、頭のキレる方ということです。
もし理解が出来なくても、「なぜ?どういうこと?」と考えを巡らせる事が出来るなら心配しなくても大丈夫です。
だって、あなたは解けない問題を前に悩み考え理解しようと努めているのですから。
これは、みなさんが学生の頃にやってきた「学問」とまったく同じプロセスなのです。
以前20代の方に老化の説明をしたんです。
「えっ、20代で老化?」
とみなさんは思うでしょう。
その方は、日本でも1~2位の大学にストレートで合格される頭脳の持ち主。
そんな方に私はこう話しました。(一部抜粋)
「一定の頻度で使うものと使わないものとの落差の広がりの結果を老化と考えてみた場合、その落差は時間経過によって拡大するのであって、今この瞬間ですらその落差をせっせと作り上げている真っ最中だと考えられませんか?仕事、家事、趣味などによって・・・」
こんな話をした後にふと、
「私は別にあなたを老化だとバカにしているんでないことに気付きますか?」
とフォローしたんです。
その様な私の危惧はこの方には不必要だったみたいです。
「本質の部分を話していることに気付かれますでしょうか?」
の問いに、
「はい、判ります」と即答。
さすが理系脳に柔軟性を持ち合わせていると感心しました。
私はこの様なケースの場合、必要な事を出来る限り伝えなければと思うんです。
なぜか?
「老化は過程による結果だから」
これにつきるからなんです。
過程を紐解き理解させてしまえば、結果はどうなるのかはおわかりですよね?
経過時間がその度合いを加速させる訳だから、早く理解したもの勝ちなんです。
70代~80代になった時、その年齢の平均的な能力を下回ったなら、あなたは必要以上に老化したという証拠なのです。
過程を見過ごしたツケは、必ずあなたの身に必要以上の衰えという形で現れるということです。
残念ながら、多くの方は上記の意味を即座に理解することは不可能ではないでしょうか?
実際の現場でも、私は本心とは真逆の「だって歳だからしょうがないでしょ?」と話しているんです。
「歳だからしょうがない」と話す一方で、「老化には合理的に逆らえる方法があります」と話す方もおられるのです。
なぜかはもうお判りですね。
今回のお話は、赤線部分を読んで「なるほど」となる方にとっては非常に有意義な内容になることと思います。
そこに気付けるあなたは、頭のキレる方ということです。
もし理解が出来なくても、「なぜ?どういうこと?」と考えを巡らせる事が出来るなら心配しなくても大丈夫です。
だって、あなたは解けない問題を前に悩み考え理解しようと努めているのですから。
これは、みなさんが学生の頃にやってきた「学問」とまったく同じプロセスなのです。
衰えとはあなたの身に起こっている事なんです。
衰えとは将来のあなたの身に降りかかることなんです。
この当たり前の問題を、他者に依存する形で何とかしようと考えていることが問題なのです。
その基本が出来ていない方に、いくら話しても無駄なんです。
結局は、聞く側の理解度と努力する意思に合わせないと、どうしようもないのです。
残念ながら多くの方に老化の話をした場合の反応は、
「俺(私)の事を年寄り扱いする気か(怒)!」という態度になるのです。
実際怒られたこともありますし、話を途中で遮って帰られた方もおられます。
赤線の部分を丁寧に説明しているのにも関わらず・・・
少なくても気付いて欲しいのです・・・
「歳だからしょうがない」と言うのなら、きっぱりと諦めてはいかがでしょうか?
「しょうがない」と言いながら、何を求めているのでしょうか?
※2015.7.24 更新分
「老化=しょうがない」
「しょうがない」のその先には何も無いのです。
諦めとそれを抱えて進む道しか残されていないのです。
「本当にそれで良いのでしょうか?」
もう何年も前の事になります。
テレビで「運動器系の老化」について「しょうがない」という言葉を連発したドクターを見たんです。
そんな放送を前にして、私は珍しくテレビに向かって吠えたことがあります。
「コイツ、何も判ってない!」
「巷にはヒントになるあらゆる現象が溢れかえってるのに、それに気付きもしないのか?」
という具合に、声を荒げたんです。
まあ、それを見ていた妻は驚いた様で、
「えっ、どういう事?」
と聞き返してきました。
そんな妻に対し、私はこんな話をしだしたんです。
私:「手から放したリンゴはどうなると思う?」
妻:「下に落ちる」
私:「なんで下に落ちるの?」
妻:「引力のせい」
私:「じゃあ引力って何?」
妻:「えっ!?」
私:「俺もアホだから引力の説明なんてできないけど・・・」
と言い即席の実験をしたんです。
私は当時小学校1年の息子を呼んで、妻の前でこんな事をしたんです。
私:「手に持っているこの消しゴムを放したらどうなる?」
息子:「下に落ちる」
私:「絶対?」
息子:「絶対!」
そして手から放した消しゴムは、息子の予想通り床に向かって落ちたんです。
その現実を前に息子は大いなるドヤ顔。
私:「手から放した消しゴムは、必ず下に落ちるの?」
息子:「下に落ちる。そんなん当たり前!」
そんなやり取りを見ている妻は、私の話の趣旨に気付かず「?」状態。
私:「大事なのはこれから」と妻に話し、実験を再開。
私:「じゃあこの消しゴムを山の高いところから落としたらどうなるの?」
息子:「下に落ちる」
私:「じゃあこの消しゴムを空の高いところから落としたら?」
息子:「下に落ちる。当たり前やん!」
と話す息子に、
私:「じゃあ、なんで手から放した消しゴムは大空に向かって飛ばないの?」
と聞いてみたんです。
息子:「えっ??」
矢継ぎ早に、
私:「手から放した消しゴムは何で横に飛んでいかないの?今この場所では下に落ちるけど、北海道なら手から放した消しゴムが横に飛んでいくかも知れないよ?」
息子:「えっ?そうなん!?」
私:「空の高い所から落とした消しゴムが下に落ちるなら、何で太陽は落ちてこないの?雲は、月は?」
当たり前と思っているものに疑問を投げかけた時、息子のドヤ顔はどこへやら・・・
そんな息子の困惑の表情を見ている妻に、
私:「息子は引力の事は知らない。これはニュートンの生きた時代そのものの世界といえないかな?」
私:「ニュートンの生きた時代、手から放したリンゴが地面に落ちる事なんて当時の子供ですら知っていた事実なんじゃないかな?ニュートンは手から放したリンゴがなぜ地面に落ちなければならないのかという"現象"に疑問を持ったという事であり、ニュートンの偉大さは、当たり前の現象が当たり前である理由を突き詰めた事の凄さにあるなんじゃないのかな?」
と話したんです。
私:「ニュートンは当時の人々からしたら、"手から放したリンゴは何で大空に飛んでいかないの?"ってバカな質問を聞きまわる、当時の人からすればかなりの変人だったかも知れないよ!?」
こんなやり取りをした後、最後の締めくくりにテレビに向かって吠えた理由をこう話しました。
息子に対し私は、
私:「歳を取ったおじいさん、おばあさんの格好ってマネ出来るかな?」と。
そうすると、息子は、
背中を丸め、膝を曲げ、手で杖を持っているかの如くヨタヨタと歩いて見せたのです。
そんな姿を見ている嫁に、
私:「小さい子供の目に映る老化という現象は、この様に映るって事じゃないのかな?息子に限らず他の子供たちもこの様に真似ると思えない?」
私:「もし歳をとったおじいさんやおばあさんの誰しもが、姿勢を正してまっすぐ歩いている事が当たり前の世の中なら、息子は腰や膝を曲げた姿勢をしないはずだよ。」
私:「なぜ背中を丸めるのか?なぜ膝を曲げるのか?なぜ杖に頼るのか?なぜ押し車に頼るのか?こう考える事は"リンゴはなぜ地面に落ちなければならないのか?"と考える事と同じとは言えない?」
私:「"手から放したリンゴが地面に落ちる=歳を重ね背中や膝が曲がる"と考えるなら、少なくとも"なぜそうでなければならないのか?"を考えない限り、ニュートンの本当の偉大さなんて判っていないんじゃないのかな?」
私:「少なくとも"歳だからしょうがない"と吐く事は、"諦め"であり、"なぜ?"を突き詰めない事は"考えるという学問の根本の見落とし"になるのではないかな」
ここまで説明した時、初めて妻は「ああ、なるほどね」と理解したんです。
もし、あなたが杖をついて歩いているのならこう考えてほしいんです。
「なぜ、私は杖無しでは歩けなくなってしまったのだろう」と。
そして、「歳だからしょうがない」と結論付けずに周りを見渡してみてください。
「あの人は私より年上だけど、杖など使わずに歩けてるな~」
「あの人は私より若そうだけど、押し車を押して歩いてるな~」
そう考えだす所から、あなたは現象と向き合う事になるのです。
まさにその瞬間、あなたは自身の老いと向き合う準備が整うことになるのです。