ツッコミがないアメリカ

日本人として、アメリカで暮らしているとどうしてもむず痒いことがあります。

 

それは、アメリカにはツッコミという文化があまりないんです。

 

彼らはボケたらそこで終わりで、ツッコミをあえてオープンにするのが面白いと思っているんですね。

突っ込んだりしたら、

 

「うんそうね。お前は真面目か!」ってなります。

 

僕はこう考えると日本のお笑いってとってもユニークだなと思うんです。そして、さらに最近のお笑いの風潮に、ツッコミがいかに大事かというのが浮き彫りになっていると感じています。

 

ツッコミがいかに大事か

日本のお笑い芸人さん達が、M-1とかキングオブコントで優勝するけど、そのあとにあんまり売れないっていうケースが最近増えていますよね。

 

これはなぜかというと、漫才とコントの構造は面白いんだけど、ツッコミの役割をないがしろにしているコンビが多いからなんです。

 

ボケだけで押し通してしまうコンビはとても不安定なコンビになってしまうんですね。もっと言えば、ツッコミが笑いをとるくらいが一番いい。

 

最近のキングオブコントとかで優勝して売れているコンビに、バイきんぐさんがいます。彼らを見たら分かるように、ボケで笑いをとるというよりも、ボケの後のツッコミで笑いをとっているんです。

 

三四郎さんなんかもそうですよね。彼らはM-1とかで賞をとったりせずに売れてきましたが、小宮さんのツッコミが漫才の軸になっていて、ボケはツッコミで笑わせるための布石なんです。もっと言えば、ツッコミがボケになっているんですよね。

 

バイきんぐ以降のかもめんたる、コロコロチキチキペッパーズ、シソンヌ、ライスさん達はどうでしょう。

 

僕は彼らのネタ、予想外で新しくてコンセプトとしては素晴らしいと思いますが、どうしてもボケが前に出過ぎていて、ツッコミで笑わせようという動きがあまりありません。言い方悪いけど、「その役は誰でもできないか?」っていう感じなんです。

 

最強の漫才師:アンタッチャブル

ボケもすごくてツッコミがすごいコンビっていうのは最高ですよね。僕が漫才で日本で一番すごいと思っているのが、アンタッチャブル。今は漫才の活動はしていませんが、彼らの漫才を見たときの衝撃を覚えています。

 

山崎さんはボケだけで笑いをとれる能力があります。ただ、それを二倍に面白くしているのが、ツッコミの柴田さんなんです。彼は本当にすごい。山崎さんはよく思いつきでアドリブいれるんですが、柴田さんは柔軟にしかも的確なツッコミができるんですね。彼はツッコミのトーンも上手で台本棒読み感がないし(そもそもあの2人は台本ないらしいですが)。アンタッチャブルは柴田さんぬきではここまで売れなかったんじゃないかなと思います。

 

なぜ売れないのか理解できないコンビ

さて、ボケもよし!ツッコミもよし!っていうコンビで、未だになぜ売れないのか理解できないのが「とろサーモン」さんです。このコンビ、ツッコミの方の人が本当にうまい。ボケの久保田さんもアドリブで奇想天外なボケをするのですが、ツッコミの村田さんがそれをうまく切り返しているんですね。ただ、なぜかこのコンビは売れない!

不思議です。

まあでも久保田さんのアドリブのボケが少しシュールなのかな...という感じもありますね。もしかしたらウケない人が多いのかも。

でも、M-1見るたびにとろサーモン決勝にあがってほしいなと思っていつも見ています笑

みなさんこんにちは!

今日はみなさんに日本人であることの誇りを再確認してもらえるようなことを書きたいと思います。

 

五輪書でさえ読んでしまうアメリカ人

アメリカ人と話すと、僕が日本人ということもあって侍とか忍者とかいう言葉がよく出てきます。

 

ルームメイトはしかも最近出たサムライのテレビゲームも買って一日中やってるし、なんと彼は宮本武蔵の「五輪書」とかも読破したりしています。日本人だって読んでる人少ないのに。

 

これは僕のルームメイトだけではなくて、日本人よりも侍とか忍者に関心がある人がよくいるのです。

 

なぜこんなにも侍とか忍者っていうのはアメリカ人に人気があるのでしょうか?

 

アメリカ人は歴史に憧れる

アメリカ人は、歴史という言葉に反応します。なぜなら、

 

アメリカというのはめちゃくちゃ歴史が浅いからなんです。

 

どういうことかというと、「アメリカ」という国ができたのは1776年、ほんの240年前。

 

これってどの国を見ても一番歴史が浅いんじゃないかなと僕は思います。

 

イギリスの清教徒達が、純粋で精錬されたキリスト教の普及を目指して今のアメリカ大陸に来たのは1620年。この頃ヨーロッパではもう文明が進んでいるのに対して、アメリカ本土には文明どころではなくて、そこは原住民達が各々のコミュニティを作っていて、一つの「国」という主体が無かったんですね。

 

よく小学校の頃とかに「鳴くよ(794)ウグイス平安京」とかいって平安京に遷都した年をよく覚えましたよね。アメリカでは794年頃何があったか?

 

なにもありません。

 

そこは未開発の原住民達が好き勝手やっていた場所なんです。

 

侍みたいに1000年以上もの歴史があるのは彼らにとっては羨ましいことなんですね。

 

カンフーに憧れる理由

アメリカ人がカンフー映画に熱狂する理由もここにあります。

 

中華人民共和国として建国されたのは1949年ですが、中国には王朝がもう何千年前からもあるし、中国武術が生み出されたのもとんでもなく昔。それを、数千年の時を経て未だに国民に浸透しているというのが彼らにとってはあり得ない世界なんですね。

 

基盤の無い国

しかもアメリカは移民の国。アメリカに「基礎」となる誇れる歴史がない。アメリカという国はイギリス人によって主体が作られたので、日本とか中国みたいに「独自」のものというのが無いんです。

 

日本の歴史はすごい!

 

僕がこの話を聞いたとき、当たり前のようだけど、「ああーなるほどな」と思って関心すると同時に、確かに独自の歴史があるっていうのはすごいことなんだなと思って日本がさらに好きになりました。あんなに小さな島国なのに、独自の文化を誰にも侵略されずにあそこまでキープし続けたのはやっぱりすごい。日本に生まれてよかった笑

 

 

みなさんこんにちは。

昨日、ルームメイトと一緒に中国で製作されたKill Zoneという映画を見ました。主演は中国人ではありませんが、ムエタイの達人のトニー・ジャーと、僕の知らない中国人。

 

僕はアジアの映画はどうせ大した事ないだろうと思っていたら、この映画、まさに

Mind Blowingでした。圧倒された。

 

これはただの格闘映画じゃなくてしっかりと入り組んだ人間ドラマも描かれていたのです。今日はせっかくの機会なので、なぜ中国のカンフー映画はこんなにも魅力的なのかというのを書いてみたいと思います。

 

アクションをしっかり見せる中国映画

カンフー映画のすごいところは、一つのアクションの見せ方が素晴らしい。彼らは中国武術の美しさを最大限に引き出すために、アクションをよく「見せる」んですね。

 

どういうことかというと、彼らはまず、カメラと役者の距離をとって、

 

頭からつま先まで見せるようにしています。

 

そうすることで、一方がどういう攻撃をして、もう一方がどういう風に防御をするのかというのが、よく見えます。

 

そしてもう一つ。

 

カットが少ない。

 

これも先ほど言ったのと同じ理由で、彼らは余計なカメラワークで中国武術をぶち壊すのを防ぐために、一つのカットをながーくみせるんですね。

 

これには本当に練習と事前の打ち合わせがいります。

 

よく、ジャッキーチェンの映画とかでNG集ありますよね。とても痛々しいですが、これは一つの格闘シーンを何度も止めて撮影すればこんなことは起こりません。

パンチ、カット! キック、カット!みたいにすればアクシデントは少なくて済むんです。

 

しかしカンフー映画はその危険性を犠牲にしてでもカンフーの美しさを全面に出す努力をしているんですね。

 

アメリカの映画はどうでしょう?

まあそもそも彼らはただ殴りたいだけで、格闘の美しさなんてどうでもいいんでしょうが、ときどきカメラワークが激しすぎて何が起こっているのか分からないところがありませんか?

 

分かりやすい例で言ったら007とか。こっちがカメラの動きについていくのがやっとで、役者の動きとかもうあんまり分からないですよね。まあでもこれもしょうがないことなんです。先ほども言いましたが、アメリカは別に格闘シーンで売り出すつもりはなく、物語構成で勝負に出ていますから。

 

中国映画が独占する日

しかし、僕が思うに最近の中国映画はこういった格闘シーンだけではなく、物語構成にもしっかり重きを置き始めた。僕が見たKill Zoneという映画も臓器売買とかそういう社会的な話を含めてなんだか考えさせられる映画でした。アクションもよし、物語構成もよしってなったら、もうハリウッドですら太刀打ちできません。もしかしたら中国映画が世界のアクション映画界を独占する日も遠くはないのかもしれません!