土曜日の、午後3時。
私の部屋を支配しているのは、
初夏の爽やかな風などでは断じてなく、
数週間にわたる締め切りの連鎖によって、
洗濯という文明的な営みを完全に放棄した成れの果ての、
湿り気を帯びた古い布地の、言葉にするのも憚られる(はばかられる)ような饐(す)えた匂いでした。
ペンを握り、
モニターの青白い光に魂を削り続ける私たちの生活は、
その高尚に見える肩書きとは裏腹に、
実際には自らの生活環境が物理的に腐敗していくのを、
ただ無力に眺め続けるだけの、二十四時間体制の隠遁(いんとん)生活に他なりません。
自らの不摂生によって山脈のように積み上がった、
もはや正体不明のシミがこびりついた衣類の群れを前に、
我が家の小型洗濯機が、
これ以上は無理だと言わんばかりに不吉な異音を立てて絶命したのが、すべての悲劇の始まりでした。
本来ならリネンのシャツをさらりと着こなし、
窓の外の新緑を愛でながら、
次なる連載の構想を優雅に練っている自分を妄想したいところですが、現実は過酷です。
私は、もはや死体でも運んでいるかのような重みを持つ、
パンパンに膨れ上がった
ブルーのビニールバッグを肩に食い込ませ、
駅前のコインランドリーという名の、現代の洗濯刑務所へとほうほうの体で辿り着くことになる。
そこは、
自尊心と汚れを同時に洗い流すための、無機質な機械音が支配する聖域でした。
今日のご依頼は、某ライフスタイル誌からの
「オーガニックな暮らしと、香りに包まれる丁寧な週末」
という、今の私の饐(す)えた匂い漂う現状への最大級のアイロニーが含まれたコラム。
この欺瞞(ぎまん)に満ちた原稿に、
ライターとして一縷の説得力を持たせるためには、
まず目の前にある自らの生活の汚点(汚れ物)を、物理的に抹消しなければならなかった。
コインランドリーに辿り着いた私が、
そこで真っ先に着手したのは、執筆の準備などでは断じてありません。
数日間履き替えていない靴下や、コーヒーをこぼして
地図のような染みが広がったスウェットを、
罪を隠蔽(いんぺい)するかのような手つきで巨大なドラムのなかへ叩き込む。
そうして無理やり
「生活の汚れ」を機械のなかに封じ込めたところで、
私の絶望的な偽装工作は完了したはずであった。
しかし、いざスイッチを入れ、
ドラムが激しい音を立てて回転を始めた瞬間、
私の意識は執筆に向かうどころか、その無機質な円運動のなかに飲み込まれてしまうことになる。
ガラス越しに自分の無様な過去が
濁った水のなかで振り回される様を眺めながら、
私が真っ先に着手することになったのは、
知的な構成案の作成ではなく、
ただ呆然とドラムの回転に自らの人生を投影するという、救いのない逃避行であった。
気づけば心拍数はマシンの振動と共鳴し、
眼球が飛び出しそうなほど回転に目を奪われている、この凄惨なまでの無様な現状。
この泥臭い地獄のような現実と、
香りに包まれて心を豊かにするという
あの眩いばかりの依頼原稿の間に横たわる、銀河系ひとつ分ほどもかけ離れた絶望的な距離。
それを埋めるための壮大な虚構を、
私はこれから血を吐くような思いで、一文字ずつ積み上げていくことになるのだ。
他人の衣類が激しく回転するドラムの振動、
そして天井の安物スピーカーから、
思考を停止させるために不自然なまでに大きく流される、脳を麻痺させるような爽やかなJポップ。
これらが私の微かな知性と、
逃げ場のない柔軟剤の甘ったるい匂いのなかで
最悪の化学反応を起こし、ドロドロに濁り合う
「ライター x コインランドリー」という名の凄惨な生存戦略の幕開けである。
呼び出しベルという名の文明的な合図は、ここには存在しない。
代わりに鳴り響くのは、
ドラムの中で激しく衝突するジーンズのボタンや、
自尊心を直接蹂躙(じゅうりん)するような、乾いた野蛮な摩擦音。
その微かな轟音が
私の脆弱な心臓を打ち鳴らすたびに、
私の薄っぺらな自尊心は粉々に粉砕され、
ただの無力で惨めな、汚れを落とされるだけのタンパク質の塊へと成り下がっていくのだ。
まず、
ライターがコインランドリーに足を踏み入れる際、
最大の障壁となるのは、周囲の人間との圧倒的なコントラストである。
週末の午後を有効活用し、
自己肯定感の塊のような明るい顔で洗濯物を畳む、選ばれし清潔な住人たち。
そこに混じって、数日間の徹夜で語彙力が完全に崩壊し、
ドラムの回転をただ見つめるという原始的な動作にすら怯える、不審者一歩手前の私が、おどおどと座っているのである。
脳内では、実況の私が絶叫している。
「ああーっと、今、
一ミリの妥協も許されない、漂白という名の処刑台のまえに、一人のライターが拘束されました」
これまでに彼が経験した最大の試練は、
クライアントからの
「内容が清潔感に欠けるので全リライトをお願いします」
という、週末の夜の非情すぎる通知。
果たして、
この柔軟剤の香りが充満する重苦しい清潔の圧力に、
彼の、文字通りハガキよりも薄っぺらなメンタルは耐えきれるのか。
私は、自意識という名の重圧に耐えかねて、
目の前の一度も読み終えたことのない、
三年前の週刊誌という名の分厚い盾を立て、そこから必死に目を逸らすことになる。
歯科医のドリルで歯を削られる痛みとはまた違う、
清潔という名の
「圧倒的な常識の重み」に物理的に押し潰され、
自分の存在そのものが、ただの質の悪い原稿を量産する、
汚れた言葉の製造機へと成り下がっていくような、この根源的な無力感。
これは、ライティングにおける渾身の一節が、
クライアントからの
「もっと透明感のある言葉でお願いします」という、
語彙力(ごいりょく)を
三歳児並みに引き下げる修正依頼によって、
跡形もなく更地にされる時の、あの空虚な感覚にそっくりである。
隣の席ひとつ分くらいの先には、
洗い立ての真っ白なシャツを、
まるで壊れ物を扱うかのように丁寧に畳む女性の、あまりに正しすぎる生活の輝き。
私はその、一分の隙もない
家庭的な清潔さの暴力に一方的に打ちのめされ、
もはや自らの薄汚れた指先を隠すことしか、尊厳を守る術が残されていないのだ。
乾燥機の熱気が狭い館内を支配し、
誰かの洗濯物が放つ、
安っぽいけれど強烈なフローラルの香りが、私の不摂生な内臓をじわじわと絞め殺していく。
乾燥機が終わったことを告げる無機質なブザー音ひとつが、
社会のレールから脱落した私の無能さを館内に知らしめる、死刑宣告のように響き渡るのだ。
私はただ、
その圧倒的な日常の圧力の前に、固く目を閉じてやり過ごすことしかできなかった。
店内の防犯カメラが、
神聖な秩序を管理する司祭の眼のように、
静かに、そして厳格に私を監視しているなか、
私はその鋭い視線が、
一文字いくらの原稿料をネコババしようとしている不潔なコソ泥への追及に見えてしまい、猛烈な吐き気を催す。
彼らにとっての洗濯は、
自らの生活に溜まった澱(おり)を洗い流し、明日を清々しく迎えるための健やかな儀式なのだろう。
しかし、私にとっての言葉を紡ぐという行為は、
洗えば洗うほど隠していた汚れが次々と浮き彫りになっていく、終わりのない泥仕合に他ならない。
どれだけ綺麗な言葉という洗剤を注ぎ込んでも、
私の原稿には常に、拭い去ることのできない執着や、
誰にも言えない卑屈な本音が、しつこい油染みのようにこびりついているのだ。
その消えないシミを、
締め切りという名の脱水機に無理やり放り込み、
自らの魂が千切れんばかりに絞り上げられることで、
私はようやく、たった一行の、どうしようもなく汚れていて、けれど愛おしい真実を吐き出しているのである。
ライターの苦労は、誰にも理解されない。
爽やかなコインランドリーで、
ノートパソコンを広げながら、
スマートにノマドワークをこなしている、そんな優雅な生活を想像している人間がいたら。
私はそいつを、この午後三時の、
ドラムのなかで自分の下着が他人の目に晒されるのを、
必死に平静を装って見守っている、羞恥心( しゅうちしん )という名の地獄のなかへと、力一杯叩き込んでやりたい。
私たちは、
自分の胃袋を安っぽいカフェインで満たし、
自分の体内時計をズタズタに引き裂き、自らの寿命を文字数へと変換し続けている。
そうやってやっとの思いで、
誰かのためのたった一行の、
どうしようもなく下劣で、けれど愛おしい真実を紡ぎ出しているのだ。
三十分に及ぶ回転という名の服役を終え、
私はコインランドリーの安っぽい自動ドアを抜けた、その瞬間のことである。
静寂という名の監獄から放免されたとき、
私の身体を、まず襲ったのは解放感ではなく、
自らの存在が希薄になったという得体の知れない恐怖であった。
外に広がる世界は、あまりに色彩が過剰で、
先ほどまで私が身を潜めていたコインランドリーの無機質な喧騒とは致命的なまでに噛み合わない。
空腹すらもはや一つの概念へと退化し、私はただ、
自らの重力だけを頼りにアスファルトの上に辛うじて立っている、透明な影のような存在へと成り果てていた。
この、
全神経を使い果たしたあとに訪れる、
自分が世界からログアウトしてしまったかのような、寄るべき拠り所を失った孤独。
それは、
精魂込めて書き上げた一万文字を送信した直後、
自分の内側が空っぽのゴミ箱のように空虚になる、あの救いのない孤独の感触に似ていた。
店を出た足元は、
生乾きの洗濯物の重みという名の呪縛(じゅばく)を抱え、まっすぐに歩くことすらままならない。
だが、私の心は、あんなにどん詰まりだった数時間前とは比べ物にならないほど、驚くほどに、剥き出しの錆びた刃のように研ぎ澄まされていた。
よし、まずはこの記事を、このコインランドリーの乾燥機で回されたばかりの、ふかふかのタオルよりも。
鋭く、無駄がなく、けれど誰かの人生の不要な迷いを刈り取るような、強固な説得力を持つ一編へと、血を吐く思いで鍛え上げてやる。
ライター読者の皆様。
もし、あなたが、自らの言葉に詰まったら。
文章術の指南書をドブに捨てて、
今すぐ、一番近所の、回転という名の拷問装置が完備されたコインランドリーへ飛び込んでほしい。
そして、逃げ場のない洗濯物の回転のなかで、
自分のなかのドロドロに溶けた本音と、徹底的に対話してみてほしい。
浄化の儀式が終わったとき。
あなたの手元には、今まで見たこともないような、
ジャンクで、けれど生命力に満ち溢れた言葉が残っているはずだ。
それは、
どんな高潔なライフスタイル誌の一節よりも、あなたの人生を、力強く、動かしてくれる。
「ライター x コインランドリー」
それは、
洗濯物の回転を創造力に、
私生活の崩壊を言葉の跳躍に変える、
最高に不格好で、最高に贅沢な、自分自身の最後の悪あがき。
そんな不細工な足掻きを糧にして、
私は今日もまた一文字を紡いでいく。
さあ、明日は日曜日。
私は、まだ耳の奥に残る
「ドラムが立てる高い衝突音」を感じながら、新しい記事の、最初の一行を、書き始める。
次の記事は、
もっと毒々しく、
読者の心臓を直接鷲掴みにして揺さぶるような、そんな痺れるような言葉で、書いてやる。
私のなかの語彙力(ごいりょく)は、
まだ、空っぽになったわけではないのだから。
Believe in your cycle.
振り返れば、
そもそもこの戦いの幕開けからして、すでに不条理の嵐は吹き荒れていたのだ。
マシンのスイッチを入れるための小銭が足りず、
千円札しか受け付けない頑固な両替機に無慈悲に拒絶された、あの入店直後の絶望。
小銭を捻り出すためだけに、
隣の自販機で全く飲みたくもない健康飲料を無理やり買わされるという、敗北以外の何物でもない無駄な出費。
本来の洗濯代に
この余計な数百円が上乗せされた合計金額を思い返し、
私は店を出たあとの夜道のなかで、再び、財布に鋭い激痛を感じることになる。
命を削って手にした原稿料が、
この一瞬の不手際によって容赦なく目減りしていくという、救いのない現実。
私はただ、
乾いた笑いを浮かべながら、
重すぎる洗濯物のバッグを肩に食い込ませ、震える足で家路につくしかなかった。
( 著者:TSK )

