
「ピチャン♪ 」
「ポチャン♪」
静まり返った館内に響き(ひびき)渡る、
あのあまりに清涼(せいりょう)で、けれどどこか現実味を欠いた水の音。
土曜日の、午後二時三十分。
都会のアスファルトをどろどろに溶かし(とかし)尽くすような、
七月の暴力的なまでの酷暑(こくしょ)。
私は一人、
四畳半の独房(どくぼう)で「最新の空調システムによる業務効率化」という、
エアコンの壊れた自室では一文字も成立しない虚構(きょこう)を書き続け、
ついに脳細胞が物理的なショートを起こして白煙を上げたしがないライターである。
強制的な脳の冷却(オーバーホール)を求めて、逃げ出した先は
都会のビルに潜む(ひそむ)巨大な水族館であった。
私の脳細胞は、
数日間にわたる締め切り(しめきり)の激流と、
一文字一円という低単価の重圧(じゅうあつ)に揉まれ(もまれ)続け、
もはや物理的な発火寸前の状態で音もなく焼け落ちようとしていた。
本来であれば、
私は今頃、洗練(せんれん)されたリゾート地のプライベートビーチで、
波の音をBGMに知的なエッセイをさらさらと紡ぎ(つむぎ)出しているはずであった。
しかし現実は、
自らの語彙力(ごいりょく)が完全に底を突き、
止まってしまった脳内エンジンを冷たい海水で無理やり再起動させようとする、
凄惨(せいさん)なまでの敗走劇の真っ最中なのだ。
ライターという職業は、究極の自尊心の切り売りである。
ペン一本やパソコン一台で、
社会に風穴を開けるなどという誇大妄想(こだいもうそう)は、
一文字一円の検収完了通知を受け取った瞬間に、
水槽の中に浮かぶ(うかぶ)泡(あわ)のように儚く(はかなく)消えてしまう。
しかも、
私たちは自らの腰痛を無視し続けながら、
網膜(もうまく)さえもブルーライトで焼き、
内臓の悲鳴をテキストデータへと変換し続ける、孤独な言葉の工員にすぎない。
今日のご依頼は、某ライフスタイル誌の「プラチナム・ライフ」特集。
「クリスタルの如き(ごとき)透明な魂が、次世代の幸福をデザインする。光を纏い(まとい)、水の揺らぎと共鳴する究極のウェルビーイング」
という、
今の私のドロドロに濁り(にごり)きった精神状態に対する、
最大級の嫌がらせとしか思えないキラキラしたテーマであった。
この嘘(うそ)に満ちた原稿に
ライターとして一縷(いちる)の説得力を持たせるためには、
まず自分自身を、透明や誠実という概念が物理的に具現化された
水族館という空間に叩き(たたき)込み、
逆説的に「濁り(にごり)のない真実」を渇望(かつぼう)する必要があったのだ。
自動ドアをくぐった瞬間に私を迎え入れたのは、
設計者の慈悲(じひ)を一切感じさせない、
青い照明に照らされた幻想的な静寂(せいじゃく)の海。
私は、
使い古したマックブックが入った重すぎるカバンを肩に食い込ませ、
一円の得にもならない自尊心を、
チケット売り場の脇(わき)に置かれた「ペンギンの募金箱(ぼきんばこ)」に投げ捨てたのである。
知性はというと、
むしろ研ぎ澄まされる(すまされる)どころか、私の意識は開始数分で、
館内に漂う(ただよう)微かな(かすかな)消毒液の匂い(におい)と、
巨大なアクリルパネル越しに迫り(せまり)来る魚たちの冷徹(れいてつ)な視線に圧倒されることになる。
そこで私が真っ先に着手したのは、知的な構成案の作成ではない。
自分自身の存在価値よりも遥か(はるか)に優雅(ゆうが)に、
かつ目的を持って回遊(かいゆう)する深海魚たちの前で、
ただ茫然(ぼうぜん)と自らの現在地を確認することであった。
100グラム数千円で取引されるであろう高級なマグロの群れ。
私の書く文字が、三千文字を全力で捻り(ひねり)出してようやく、
このマグロ一匹の尻尾(しっぽ)の先と同等であるという、
あまりに具体的な経済的敗北感。
逃げ場のないあの揺らぎ(ゆらぎ)を強調したヒーリングミュージックのなか、
自分がこのジャングルで何を狩りに来たのかさえ思い出せないまま、
私はクラゲ展示エリアの真ん中で、
まるでバグを起こしたデータの断片のように静止していた。
それは、
一文字いくらの知性を売るはずの人間が、
ふわふわと漂うミズクラゲの前で思考を完全停止させた、
あまりに無様なフリーズであった。
気づけば周囲の通路からは、
週末の余暇(よか)を謳歌(おうか)する幸せそうなカップルや、
珍しい(めずらしい)魚に歓声を上げる家族連れの無邪気な笑い声が聞こえてきている。
彼らが「見て、この魚、変な顔!」とはしゃぐその指の先にいるのは、
水槽の中の深海魚ではなく、
モニターの青白い光に顔面を無残に焼かれ、
慢性的な寝不足で泥のように淀んだ(よどんだ)瞳を剥き(むき)出しにしながら、
メモ帳と睨み(にらみ)合っている私自身の姿に他ならない。
私は、結露(けつろ)した冷たいアクリルパネルに、
脂(あぶら)ぎった額をべったりと押し付け、
前屈みの姿勢で「魂の透明感」についてのフレーズを必死にひねり出そうともがいていた。
その姿は、プロの表現者というよりは、
もはや薄暗い海底に沈んだ沈没船(ちんぼつせん)の残骸にへばりつき、
他人の消費活動という光を盗み見ながらデジタルな塵(ちり)を漁る(あさる)、
正体不明の底生生物(ていせいせいぶつ)の成れの果て。
ふと、自分の横を通り抜けた幼児が、
私のことを恐怖(きょうふ)に満ちた目で見上げ、
父親のシャツの裾(すそ)を激しく引っ張るのが見えた。
「パパ、あの魚、おじさんの顔してる! こわい!」
父親は、
見てはいけません、とでも言うかのように子供の目を覆い(おおい)隠し、
「シーッ! あれは、見ちゃいけない種類の深海魚だよ」
と、震える声で囁き(ささやき)ながら早足で立ち去っていく。
正しい反応である。
この幻想的な青い光のなかで、
一人だけ異質な影を纏い(まとい)、執拗(しつよう)にメモを走らせる男。
それは、社会という名の健全なシステムから、
読み込みエラーを起こして弾き(はじき)出されたノイズそのものなのだから。
私はこの、
一律数千円の入館料という代償を払って自らの尊厳を水のなかに投げ込んだ、
あまりに醜く(みにくく)、あまりに滑稽(こっけい)な自らの現在地を、
一つの生存訓(せいぞんくん)として自分自身の脳内に叩き込んでみた。
その一、他人の浮遊(ふゆう)を、自らのインクに変えろ。
目の前でゆらゆらと揺れるイソギンチャク。
あれは、
私が綴る(つづる)べき虚構(きょこう)の、最も安価な装飾品そのものである。
熱帯魚の鮮やかな色彩に目を奪われて(うばわれて)いる暇はない。
今の私に必要なのは、
あのサメが獲物を追うときの冷徹な判断力を、
いかにして文字という名のデータに変換するか。
観察の速さが、そのまま執筆の密度に直結するのだ。
その二、暗闇のなかで光る発光魚(はっこうぎょ)に、プロの執念(しゅうねん)を見ろ。
太陽の光すら届かない深海で、
自らの体の一部を光らせて獲物を誘う(いざなう)あの生き物。
それこそが、
深夜の四畳半でモニターを光らせ、
誰にも顧みられない(かえりみられない)真実を書き続ける、ライターの体温そのもの。
他人の光を羨む(うらやむ)のではなく、
自らの内側にある醜い劣等感(れっとうかん)を燃料に変えて、
この情報の壁を照らし出すのだ。
嘘(うそ)の謳い(うたい)文句やパクリは、
毒を持つ魚よりも性質(たち)が悪い。
自分の泥臭い体験をインクに変えて、この情報の水槽に叩きつけること。
それだけが、
コピー&ペーストの時代に自らの存在証明を刻む方法であることを、
私は冷たいガラスの反射の下で確信する。
その三、出口へと続くショップの誘惑(ゆうわく)を、執念で耐え抜け。
順路の最後で待ち構えるお土産売り場は、クライアントからの甘い言葉という名の罠(わな)と同じ。
つい手を伸ばしてしまいそうな可愛いぬいぐるみは、
無駄な修正依頼という名の「サービス残業」に他ならない。
マイバッグという名の仕事の流儀を、常に心の底に準備しておけ。
一文字一円の重みを忘れた瞬間に、
次なる継続案件という名のチケットは奪い去られていく。
財布の底にある一円玉を、一文字一円の命の重みとして認識すること。
小銭を握りしめたその手の中にこそ、
この不条理(ふじょうり)な業界を生き抜くための力が宿っているのである。
どれだけ高尚(こうしょう)な言葉という消臭剤を原稿に振りまいても、
私の文章には常に、拭い(ぬぐい)去ることのできない世俗的な欲望や、
卑しい(いやしい)執着が、しつこい苔(こけ)のようにこびりついている。
その消えない汚れを、
締め切りという名の脱水機に無理やり放り込み、
自らの魂が千切れんばかりに絞り上げられることで、
私はようやく、たった一行の、
どうしようもなく汚れていて、けれど愛おしい真実を吐き出しているのだ。
ライターの苦労は、誰にも理解されない。
一日中泳いでいられて、好きな時に餌(えさ)をもらえて、楽な商売だね、
と水槽の向こう側の魚にすら吐き捨てたい衝動(しょうどう)に駆られる(かられる)。
私はそいつを、この午後二時の、一切の私語も許されず、
常に子供たちの叫び声に脳を削り取られる、この青い実験室のなかへと、
一切の慈悲(じひ)を捨てて招待してやるのである。
胃の底では、
安っぽいエナジードリンクの過剰摂取(かじょうせっしゅ)による刺激が、
この不自然な浮遊感をぶち壊そうと今にも不穏な音を上げようとしている。
その生命の叫びを、
全身の筋肉を硬直(こうちょく)させて必死に圧殺(あっさつ)し、
誰にも悟られぬ(さとられぬ)よう、
鼻息を殺しながら耐え忍ぶこの凄惨(せいさん)な地獄のなかに、
そいつの能天気な人生ごと叩き込んでやるのである。
私たちは、
自らの脳髄(のうずい)を重油のような安い牛脂で満たし、
自分の体内時計をズタズタに引き裂き、自らの寿命を原稿料へと変換し続けている。
そうやってやっとの思いで、
誰かのためのたった一行の、どうしようもなく下劣(げれつ)で、
けれど愛おしい真実を紡ぎ(つむぎ)出しているのだ。
一時間に及ぶ迷走という名の執筆を終え、
私が水族館の重厚な、
いや、結露した自動ドアを抜けて都会の雑踏へと這い(はい)上がった、
その瞬間のこと。
静寂という名の監獄(かんごく)から放免された私の身体を、
まず襲った(おそった)のは解放感ではなく、
自らの存在が希薄(きはく)になったという得体の知れない恐怖であった。
都会のビル群を焼く暴力的な太陽の下であっけなく揮発(きはつ)し、
先ほどまで私が身を潜めていた蒼碧(そうへき)の情報の迷宮とは、
致命的なまでに噛み(かみ)合わない。
空腹すらもはや一つの記号へと退化し、
私はただ、自らのラップトップの重みだけを頼りに
アスファルトの上に辛うじて(かろうじて)立っている、
透明な影のような存在へと成り果てていた。
この、全神経を使い果たしたあとに訪れる、
自分が社会という巨大なサーバーからログアウトしてしまったかのような、
寄る(よる)べき拠り(より)所を失った孤独。
私は今、
高解像度で動き続ける社会という名の精巧(せいこう)な風景のなかで、
一人だけ極端な底解像度で、
読み込みエラーを起こしたまま放置されたノイズ混じりのデータ断片として、
この雑踏を彷徨って(さまよって)いるのだ。
一万文字を送り出したあとのこの空虚さは、決して充実感などではなく、
自らの魂のすべてを安っぽい電子信号へと強引に変換し、
空っぽになった心という名のストレージが、
ただ熱を持って空転(くうてん)しているだけの救いのない虚脱感(きょだつかん)に他ならない。
この不条理な現実は、
一歩踏み出すごとに、逃れられない底なしの重力となって、
自らの肉体の限界を嫌というほど私に突きつけてくる。
だが、私の精神は、
あんなにどん詰まりだった数時間前とは比べ物にならないほど驚くほどに、
暗闇のなかで静かに液晶モニターのなかで点滅を繰り返す、
あの鋭いカーソルのように研ぎ澄まされていた。
よし、まずはこの記事を、
あの水槽のなかで凝縮(ぎょうしゅく)された、
どんな高級リゾートのパンフレットよりも、鋭く、無駄がなく、
けれど誰かの人生の不要な贅肉(ぜいにく)を削ぎ(けずぎ)落とすような、
強固な説得力を持つ一編へと、血を吐く思いで鍛え(きたえ)上げてやる。
ライター読者の皆様。
もし、あなたが、自らの言葉に詰まったら。
文章術の指南書などドブに捨てて、
今すぐ、一番近所の、青い光が支配する知的な海へ飛び込んでほしい。
そして、
他人の「満たされた好奇心」に晒され(さらされ)ながら、
自らのなかの、どろどろに溶けた本音と、徹底的に対話してみてほしい。
浄化の儀式が終わったとき。
あなたの手元には、今まで見たこともないような、
ジャンクで、けれど生命力に満ち溢れた(あふれた)言葉が残っているはずだ。
それは、
どんな高潔(こうけつ)な哲学書の一節よりも、
あなたの人生を、力強く、動かしてくれる。
「ライター x 水族館」
それは、
価値の圧縮を創造力に、私生活の崩壊を言葉の跳躍に変える、
最高に不格好で、最高に贅沢(ぜいたく)な、自分自身の最後の悪あがき。
そんな不細工な足掻き(あがき)を糧(かて)にして、
私は今日もまた一文字を紡いで(つむいで)いく。
さあ、明日は日曜日。
私は、まだ耳の奥に残る、
あの水を打つような静寂を心地よい不協和音(ふきょうわおん)として聴きながら、
新しい記事の、最初の一行を、書き始める。
次の記事は、もっと毒々しく、
読者の心臓を、直接鷲掴み(わしづかみ)にして揺さぶるような、
そんな痺れる(しびれる)ような言葉で、書いてやる。
私のなかの語彙力(ごいりょく)は、まだ、空っぽになったわけではないのだから。
Believe in your blue light.
そのまま立ち去るのは、
深海魚の王を装って(よそおって)いた自らの僅かな(わずかな)プライドが許さない。
私は、
お土産(みやげ)コーナーで最もそれっぽいオーラを放っていた、
実用性ゼロの「ダイオウグソクムシの巨大ぬいぐるみ」を抱え(かかえ)、
レジへと向かったのである。
会計の際、私は最新の電子マネーでスマートに決済(けっさい)を済ませ、
エグゼクティブなライターとしての体裁(ていさい)を完璧に守り通すはずであった。
しかし、いざスマホをかざそうとしたその瞬間。
数時間におよぶテザリングと、暗闇での高輝度(こうきど)な執筆によって、
私のスマートフォンのバッテリーが力尽き、
画面が不吉な暗転を遂げた(とげた)のである。
背後に並んでいる、
「パパ、あの人、グソクムシとお話ししてるの?」
と無邪気に囁き(ささやき)合う、
幸せな家族連れの冷徹(れいてつ)な視線を全身に浴びて。
私は、
起動しないスマホを何度もアクリル板に叩きつけるという、
文明を失った原始人のような無様な儀式を繰り返すことになった。
結局、私はカバンの底に溜まって(たまって)いた、
いつのものかも分からない、しわくちゃの千円札をかき集め、
足りない分を小銭(こぜに)でジャラジャラと支払う羽目になった。
命を削って手にした数万円の原稿料が、
この不気味な深海生物の抱き(だき)枕(まくら)に姿を変えていくという、
救いのない不条理(ふじょうり)。
店員から向けられた、
迷子(まいご)を保護した警察官のような「憐れみ(あわれみ)の微笑み(ほほえみ)」に、
私は再び自尊心(じそんしん)を粉々に粉砕(ふんさい)されることになる。
私はただ、乾いた笑いを浮かべながら。
右腕に抱えた、
自分と同じくらい無表情で薄汚れた
ダイオウグソクムシの重みだけを唯一の道連れ(みちづれ)にして。
都会のビル群を焼く、
暴力的な夕闇の雑踏へと溶け(とけ)込んでいくしかなかったのである。

( 著者:TSK )