土曜日の午後3時。
太陽が残酷なまでの明るさで街を照らし、
人々が週末の余暇を謳歌しているなか、
私は地下にある窓のない無機質な空間にいた。
そこは、24時間営業のフィットネスジム。
ライターという一日中椅子に根を張り続け、
重力と運動不足によって肉体が液状化し始めた生き物が、
最後に辿り着く、現代の絶望的な人間改造手術場である。
本来であれば、私は今頃、
知的な静寂に包まれた書斎で、最高級の万年筆を走らせ、
後世に残る名文の一節を優雅に紡ぎ出しているはずであった。
しかし現実は、数週間にわたる締め切りの連鎖によって、
自分の腹回りが、もはや重力に抗うことを放棄した
古いプリンのように垂れ下がり、
このままでは物理的に文字を打つ体力すら失われるという、
生存本能からの警告によって、この鉄の塊が蠢く地獄を選択することになる。
ライターという職業は、究極の肉体労働である。
モニターの前で指先だけを動かしているように見えて、
その実、私たちは自分の脊椎を削り、視力を燃料に変え、
内臓の悲鳴をテキストへと変換し続けている。
今日のご依頼は、某健康情報サイトからの
「適度な運動がもたらす脳の活性化と執筆スピードの向上」
という、今の私にとっては嫌がらせ以外の何物でもないテーマのコラム。
この欺瞞(ぎまん)に満ちた原稿に
少しでも説得力を持たせるため、
私は自らの肉体を実験台にするべく、
ベルトコンベアという名の処刑台、すなわち
ランニングマシンの上に這い上がったのである。
しかし知性が活性化するどころか、
私の意識は開始数分で遠のき、
真っ先に着手することになったのは、執筆の準備ではなく、
生命維持装置という名のランニングマシンの緊急停止ボタンを、血眼になって探すことであった。
気づけば心拍数は限界を超え、
眼球が飛び出しそうなほど血圧が上昇している、この凄惨なまでの無様な現状。
この泥臭い地獄のような現実と、
適度な運動で脳を活性化させるという、
あの眩いばかりの依頼原稿の間に横たわる、銀河系ひとつ分ほどもかけ離れた絶望的な距離。
それを埋めるための壮大な虚構を、
私はこれから血を吐くような思いで、一文字ずつ積み上げていくことになるのだ。
私と他人の汗が染み付いた、冷たく重いダンベル。
そして天井の安物スピーカーからは、
思考を停止させるために降り注ぐ、脳を麻痺させる暴力的な重低音のEDM。
これらが
私の微かな知性と、逃げ場のない汗の匂いのなかで
最悪の化学反応を起こし、ドロドロに濁り合い
「ライター x 24時間ジム」という名の凄惨な生存戦略の幕開けとなる。
呼び出しベルという名の文明的な合図は、ここには存在しない。
代わりに鳴り響くのは、
鉄塊と鉄塊が激しく衝突する、鼓膜を直接蹂躙するような野蛮な金属音。
その轟音が私の脆弱な心臓を打ち鳴らすたびに、
私の薄っぺらな自尊心は粉々に粉砕され、
ただの無力で惨めなタンパク質の塊へと成り下がっていくのだ。
まず、ライターがジムに足を踏み入れる際、
最大の障壁となるのは、周囲の人間との圧倒的なコントラストである。
タンクトップから逞しい筋肉を覗かせ、
自己肯定感の塊のような顔で鏡を見つめる、選ばれし鋼の住人たち。
そこに混じって、
数日間の徹夜で肌がアスファルトのような灰色に変色し、
栄養失調で腕がマッチ棒のように細くなった、不審者一歩手前の私が、おどおどと立っているのである。
脳内では、実況の私が絶叫している。
「ああーっと、今、ベンチプレスという名の処刑台に挑もうとして、バーベルの重みだけで物理的に押し潰されそうになっている男がいます。」
「これまでに彼が持ち上げた最大の重量は、締め切り五分前の、一万文字という名の重厚すぎるドキュメントファイル。」
「果たして、物理的な鉄の重みに、彼の、文字通りハガキよりも薄っぺらな胸板は耐えきれるのか。」
私は、自意識という名の重圧に耐えかねて、
鏡のなかの自分から、必死に目を逸らすことになる。
歯科医のドリルで歯を削られる痛みとはまた違う、
筋肉の繊維が一本ずつ、
プツリ、プツリと引きちぎられ、
自分の存在そのものが、
ただの質の悪いタンパク質の塊へと成り下がっていくような、この根源的な無力感。
これは、
ライティングにおける、渾身の一節が、
「クライアントからの修正という名の巨大なブルドーザー」
によって、跡形もなく更地にされる時の、あの空虚な感覚にそっくりである。
私は、
隣のラックで百キログラム以上の重量を持ち上げる鼻息も荒い巨漢を横目に、一番軽い、ピンク色のダンベルを手に取る。
その瞬間、
私の自尊心は、ジムの床に落ちた汗とともに、完全に蒸発することになる。
周囲のマッチョたちが、
プロテインシェイカーを楽器のようにリズミカルに振り、
神聖な儀式を執り行っているなか、
私はそのシェイカーのなかの液体が、
一文字いくらの原稿料に見えてしまい、吐き気を催す。
彼らにとっての筋肉は、裏切らない資産かもしれない。
しかし、私にとっての言葉は、
常に私を裏切り、逃げ出し、
最後には締め切りという名のナイフを突きつけてくる、凶暴な野獣である。
その野獣を飼い慣らすための体力をつけるために、
私は今、この冷たい鉄の塊に、自らの尊厳を捧げているのだ。
ライターの苦労は、誰にも理解されない。
午前中の涼しい時間に、ジムで爽やかに汗を流して、
午後から集中して仕事をしている、そんな優雅な生活を想像している人間がいたら。
私はそいつを、
この午後三時の、冷房すら効いていないような
熱気に包まれた、フリーウェイトエリアの隅へと、力一杯叩き込んでやりたい。
私たちは、
自分の胃袋を重油のようなプロテインで満たし、
自分の体内時計をズタズタに引き裂き、自らの寿命を文字数へと変換し続けている。
そうやってやっとの思いで、誰かのためのたった一行の、
どうしようもなく下劣で、けれど愛おしい真実を紡ぎ出しているのだ。
私は、
一時間の地獄の洗礼を終え、ジムの自動ドアが出た瞬間、
昼下がりの、初夏のような暴力的な日光を頬に直撃されることになる。
その刺すような熱さこそが、
目的地という名の、送信ボタンの完了を告げる無慈悲な通知であった。
店を出た足元は、
生まれたての小鹿のように震えが止らず、まっすぐに歩くことすらままならない。
だが、私の心は、あんなにどん詰まりだった数時間前とは
比べ物にならないほど、驚くほどに、剥き出しの錆びた刃のように研ぎ澄まされていた。
よし、
まずはこの記事を、このジムのバーベルのように。
重く、硬く、けれど
誰かの人生の基礎体力を向上させるような、強固な説得力を持つ一編へと鍛え上げてやる。
ライター読者の皆様。
もし、あなたが、自分の言葉に詰まったら。
文章術の指南書をドブに捨てて、
今すぐ、一番近所の、誰もいない深夜のジムへ飛び込んでほしい。
そして、逃げ場のない鉄の塊のなかで、
自分のなかの、ドロドロに溶けた本音と、徹底的に対話してみてほしい。
トレーニングが終わったとき。
あなたの手元には、
今まで見たこともないような、ジャンクで、
けれど生命力に満ち溢れた言葉が残っているはずだ。
それは、どんな高潔な哲学書の一節よりも、
あなたの人生を、力強く、動かしてくれる。
「ライター x 24時間ジム」
それは、
筋肉痛を創造力に、肉体の衰退を言葉の跳躍に変える、
最高に不格好で、最高に贅沢な、自分自身の最後の悪あがきなのだ。
さあ、明日は日曜日。
私は、
まだ腕の奥に残る、安っぽい鉄の匂いを感じながら、
新しい記事の、最初の一行を、書き始める。
次の記事は、もっと毒々しく、
読者の心臓を、直接鷲掴みにして揺さぶるような、そんな痺れるような言葉で、書いてやる。
私のなかのプロテインは、まだ、空っぽになったわけではないのだから。
Believe in your muscle.
会計の際、
入会金と月会費、
さらにはオプションの水素水代まで加算され、
想像以上に高くなったクレジットの明細を見て、
私は再び、筋肉の痛みとは別の場所、すなわち財布に鋭い激痛を感じることになる。
命を削って手にした原稿料が、
この数万円という支払いによって容赦なく奪い去られていくという不条理。
私はただ、
乾いた笑いを浮かべながら、震える足で家路につくしかなかった。
( 著者:TSK )



















