8月、土曜の早朝。
鳥の涼しげな鳴き声は聞こえない。
代わりに、
窓へ張り付いた蝉(せみ)が全力で鳴いていた。

「うるさい」

いや、

正確には元気すぎる。
まるで、

「夏が来たぞ!」

と近所中に報告して回っているかのような勢いである。
聴いているだけで暑くなってくる。

 

今は朝の6時30分。 

私はベランダに立ち、

右手に大きな洗濯カゴを持っていた。

そして顔だけは、

まるで

国家機密を担当する諜報員(ちょうほういん)かのような真剣な眼差し(まなざし)で、

ベランダからの空を見つめていた。

そして、

いつも利用している天気予報アプリを開き、GPSをONにしてみる。 

「よし!晴れだ」

「洗濯物を干せる」

しかし、

心配性な私は、念のため別の予報アプリも開く。

「曇り」

少し、嫌な予感がした。

 

さらに別の予報アプリ。

「午前10時頃から雨」

さらに別の予報アプリ。

「降水確率40%」

さらに別の予報アプリ。

「降水確率70%」

 

「そんな、バカな。。。」

もう、どのアプリが正しいのか判らなくなってしまった。

 

私はしばしの間、再び空を見つめながらベランダに立ち尽くし、

気付けば、

スマホにインストールしていた天気予報アプリすべてを

無自覚の拒否反応かのように、削除をしていたのである。

「話が違い過ぎる」

本来なら、

ここで洗濯物を諦め、部屋干しとするかで終わる話だが、

私の職業はライターだ。

職業柄、極めて面倒な習性を秘めている。

気になったことを、放置できないのである。

 

私は調べ始めた。

なぜ予報が違うのか。

どこのデータを使っているのか。

どのアプリが一番当たるのか。

過去の的中率や、レビューはどうなのか。

 

午前8時30分。 

気付けば、洗濯物の存在は頭の中からすっかり消えていたのだった。

 

私はノートを開き、大きくタイトルを書く。

「主要天気予報アプリ比較レポート」

個人的に洗濯物を干す判断をするだけの資料としては、

明らかに気合いが入りすぎている。

 

私は調査を続け、

アプリごとの特徴。

更新頻度。

雨予報の精度。

見やすさ。

使いやすさ。

さらには、独自の採点基準にして表にもしたのであった。

 

とうとう雨が降る予報の午前10時である。

レポートは4ページになってきたが、

まだ、まとめきれていない。

 

洗濯物というと、

以前としてまだカゴの中で干されずに放置されたままだ。

 

そうこうしているうち、雨が「ポツ」「ポツ」と降り始めてきたのがわかった。

 

レポートは6ページになり、

ふと時計に目をやると、もう12時を指している。

 

洗濯物は、変わらずカゴの中のままで、

私はレポートを一心不乱(いっしんふらん)に書き続けていた。

 

もう、時間は午後2時を指していたが、

ようやくレポートは9ページの大作となってほぼ完成を迎えた(むかえた)

 

洗濯物は、変わらずカゴの中にあり、

もはや、

どちらが本来の目的だったのか、自分自身が忘れてしまっている。

 

そして、午後三時。

本降りとなった雨が「バシャ」「バシャ」と窓の外から聞こえ始め、

窓やベランダはあっという間にビシャビシャになっている。

空も午前中とは打って変わり、かなり暗い。

気づけば、あんなに暑苦しかった蝉(せみ)の鳴き声も聞こえてこない。

 

私は静かに立ち上がる。

そして、

誰もいない部屋で小さくガッツポーズをしたのだった。

「勝った」

洗濯物を干さなかった私の判断は正しかった。

完全勝利である。

 

もっとも、

9ページにも及んだ「比較レポート」を書かなかったとしても、

同じ結論に辿り着けた気はする。

 

だが、

そんなことはどうでもよかった。

 

私はレポートの最後のページを開く。

 

そして、

渾身の結論を書き込んだ。

【最終結論】

「迷ったら部屋干し」

 

以上。

 

9ページかけて辿り着いた結論としては、

驚くほど薄かった。

 

私は静かにノートを閉じる。

 

達成感だけはあった。

 

しかし、

そこである重大な事実に気付く。

「洗濯物をカゴに入れたままじゃないか」

時計は20時を回っていた。

 

結局、洗濯物は部屋干しすることにした。

 

比較レポートも完成した。

 

だが、さらに重大な事実に気付く。

「今日、原稿の締め切りだった」

本業のライターとしての原稿を、まだ一文字も書いていなかった。

 

私は、そそくさとパソコンを開き、

今日もまた、睡眠時間を削ることになることを覚悟しながら、

「しばらくは、天気予報アプリを開きたくない」

そう思いながら、
私は原稿を書き始めるのであった。

Believe in your curiosity.

 

 

( by TSK )

 

木曜日の夜。

今週も終わりが見えてくる頃。

あと一日。

そう思うと少し気持ちが軽くなる。

 

だが、その一方で、

心のどこかが重たいままの人もいるはずだ。

 

火曜日の前編では、

「このままでいいのか」という不安についてお話しした。

 

今日は、その続きをしたい。

転職を考え始めた人が、最も間違えやすいことがある。

それは、

「転職したい」「転職すべき」を同じ意味だと思ってしまうことだ。

 

この二つは似ているようで、

まったく違う。

例えば、

上司と合わない。

給料が低い。

会社がつまらない。

毎日が退屈。

そう感じることはある。

そして、

その感情は決して間違いではない。

 

しかし、

感情だけで転職すると、次の会社でも同じ問題にぶつかることがある。

なぜなら、

環境が原因ではなく、

自分自身が抱えている課題だった場合、転職しても一緒だからだ。

 

一方で、

転職すべき人もいる。

毎日体調が悪い。

休日も仕事のことしか考えられない。

眠れない。

笑えない。

将来に希望が持てない。

そういう状態が続いているなら、それは根性の問題ではない。

環境に原因がある可能性が高い。

そして

環境の問題は、環境を変えなければ解決しない。

 

ここで一つ、

考えてほしいことがある。

もし今日、あなたの会社がなくなったら、あなたはどうするだろう。

 

慌てるだろうか。

それとも、「なんとかなる」と思えるだろうか。

 

実は、転職活動の本当の価値はここにある。

転職するためだけではない。

自分の市場価値を知るためでもある。

 

履歴書を書く。 

職務経歴書を書く。

求人を見る。

エージェントと話す。

 

その過程で、

自分という人間が、会社の外でどう評価されるのかが見えてくる。

そして、

多くの人が驚く。

思っていたより評価される人もいる。

 

逆に、

思っていたより通用しないことに気付く人もいる。 

どちらも価値がある。

なぜなら、

現実を知れるからだ。

 

知らないことが、

一番怖い。

 

転職活動を始めることは、

会社を裏切ることではない。 

逃げることでもない。

自分の現在地を確認することだ。

 

登山で例えるなら、

地図を見る行為に近い。

地図を見たからといって、

必ず山を下りるわけではない。

今のルートを続ける人もいる。

別ルートへ進む人もいる。

大切なのは、

現在地を知らないまま歩き続けないことだ。

そして、

現在地を知る方法は意外とたくさんある。

 

求人を見る人もいる。 

エージェントに相談する人もいる。

市場価値診断を試してみる人もいる。

例えば、

「自分の市場価値は今どのくらいなのだろう」と気になったなら、

まずは診断を受けてみるのも一つの方法だ。

 

本当に怖いのは、

現実を知ることではなく、

現実を知らないまま思い込みで判断してしまうことだ。

 

市場価値を調べるサービスはいくつかあるが、

今回の記事のテーマである「現在地を知る」という意味では、

ミイダス の市場価値診断は試してみる価値がある。

転職を決めていなくても利用できるため、

今の自分が外の世界でどう評価されるのかを知るきっかけになるはずだ。

 

だから、

今すぐ退職届を書く必要はない。 

今すぐ応募する必要もない。

 

ただ、

一歩だけ外の世界を見てみてほしい。

求人を一つ見る。

転職サイトを開いてみる。

エージェントに相談してみる。

それだけでも十分だ。

 

未来は、

大きな決断によって変わるのではない。

小さな確認によって変わることが多い。

そして数年後、

振り返った時に思うはずだ。

「あの時、自分の可能性を確認しておいて良かった」と。

転職するかどうかは、

その後で決めればいい。

まずは、

あなた自身の現在地を知ることから始めよう。

 

行き先を決めるのは、その後でも遅くはない。

Believe in your possibility.

 

( by TSK )

 

火曜日の朝。

電車はいつも通りだった。

ホームに並ぶ人の数も。

発車メロディも。

車内に流れる静かな空気も。

何一つ変わっていない。

 

変わっていないはずなのに、

なぜか今日は少しだけ苦しかった。

 

理由は分かっている。

昨夜、転職サイトを開いたからだ。

ほんの軽い気持ちだった。

求人を見るだけ。

応募する気なんてない。

履歴書を書くつもりもない。

ただ見てみるだけ。

そう思っていた。

 

だが、人は見てしまった瞬間に知ってしまう。

自分が本当に気になっていることを。

 

画面の向こうには、

今まで知らなかった会社が並んでいた。

知らなかった仕事。

知らなかった働き方。

知らなかった年収。

知らなかった人生。

そして、

知らなかった自分の可能性。

 

その瞬間から、

心のどこかが落ち着かなくなっていた。

「今の会社に不満があるわけじゃない」

そう言い聞かせる。

 

給料が極端に低いわけでもない。

人間関係が最悪なわけでもない。

毎月きちんと給料も振り込まれる。

 

だからこそ厄介だった。

 

もしブラック企業なら話は早い。

辞める理由がある。

 

しかし、

多くの人が悩むのは、

決して悪くない環境なのだ。

 

今の場所に残る理由はある。

でも、

このままでいいのかという不安もある。

 

その間で揺れ続ける。

 

20代も30代も、

転職で悩む人の多くは、

実は同じ場所で立ち止まっている。

「失敗したらどうしよう」

ではない。

 

本当に怖いのは、

「今のままで数年後を迎えること」だったりする。

 

例えば五年前。

今の自分を想像できただろうか。

 

きっとできなかったはずだ。

 

良い意味でも。

悪い意味でも。

 

人生は予想以上に変わる。

 

だから不思議なのだ。

 

未来は読めないと知っているのに、

なぜか私たちは、

現状維持だけは安全だと思い込んでしまう。

 

だが本当にそうだろうか。

 

技術は変わる。

会社も変わる。

業界も変わる。

社会も変わる。

 

変わらないものを探す方が難しい。

 

それなのに、

自分だけは変わらない選択を続ける。

 

もちろん転職が正解とは限らない。

 

今の会社に残ることが正解の人もいる。

 

独立する人もいる。

 

副業を始める人もいる。

 

大切なのは、

転職することではない。

 

考えることをやめないことだ。

「今のままでいいのか」

その問いを持ち続けることだ。

 

なぜなら、

その問いを失った瞬間、

人は成長をやめてしまうから。

 

そして、

転職を考え始めた人の多くが勘違いしていることがある。

 

転職活動とは、

会社を変える活動ではない。

 

自分を知る活動だ。

 

市場価値はどれくらいなのか。

 

何が得意なのか。

 

何が苦手なのか。

 

どんな働き方を望んでいるのか。

 

どんな人生を送りたいのか。

 

それらを知るための旅でもある。

 

だから、

まだ応募しなくてもいい。

 

まだ決断しなくてもいい。

 

ただ一度だけ、

自分に問いかけてみてほしい。

「このまま五年後を迎えた自分を、私は誇れるだろうか」

もし即答できないなら、

その迷いには意味がある。

 

そして、

その迷いこそが、

あなたの人生を前へ進める最初のエンジンになるのかもしれない。

 

木曜日の後編では、

「転職したい」「転職すべき」の違いについて、

もう少し深くお話ししたいと思います。

Believe in your possibility.

 

( 後編へ続く )

( by TSK )

 

土曜日の昼。

そこは、自宅という名の四畳半の独房である。

 

私は締切に追われていた。

いや、

正確には締切から全力で逃げていた。

 

パソコンの画面には白紙の原稿とカーソル。

「|」だけが、元気よく点滅を続けており、

この部屋で唯一働いている存在だった。

 

一方の私はというと、

三日連続で原稿と格闘した結果、脳細胞がすっかり熱暴走を起こしていた。

例えるなら、

ブラウザを四十八個も開いたまま固まったノートパソコンである。

 

何をクリックしても反応しない。

私も同じだった。

 

とりあえず冷蔵庫を開ける。

卵(だけ)。

以上。。。

正確には調味料もあった。

 

しかし、

調味料だけで昼食を成立させるには、かなり特殊な才能が必要である。

 

私は財布を持ってスーパーへ向かった。

そこで奴を見つけた。

セルフレジである。

私は立ち止まった。

思えば、私は何度も、何度も、この機械に敗れてきたのだった。

バーコードが見つからない。

袋が開かない。

支払い方法を間違える。

店員を呼ぶ。

謝る。

帰る。

ほぼ敗戦記録である。

 

だが、その日の私は違った。

セルフレジの前に立ちながら思った。

いつまで逃げるつもりなのだろう。

流石にいい歳したおっさんである。

フリーランスのWebライターである。

社会人歴もそれなりに長い。

それなのに、

このまま、スーパーの機械に怯え(おびえ)続けなければならないのか。

悔しかった。

 

相手はレジである。

冷静に考えれば、そんなに熱くなる話ではないかもしれないが、

人間は疲れている時ほど、どうでもいいことに本気になる。

私はその典型例だった。

 

帰宅後、私は本来、

生業(なりわい)であるはずの原稿に着手すべきであったが、

セルフレジのことがどうしても忘れられずに頭がいっぱいだった。

気付けば動画を見ていた。

「セルフレジ攻略」

「セルフレジ初心者向け講座」

「セルフレジで慌てない方法」

「セルフレジ利用時の注意点」

気付けば、かれこれ五本ほど見てしまっていたのだった。

 

そして、

六本目の動画も再生しかけたが、ふと、我に帰り踏みとどまる。

「しまった!もうこんな時間だ。原稿が一文字たりとも進んでいない。」

私はノートを取り出し、無意識にタイトルを書き始める。

「セルフレジ完全攻略読本」

副題、

「初心者から上級者まで」

自分で書いておいて、上級者とは何だろう。。。

セルフレジ界に黒帯でも存在するのだろうか。

分からない。

 

だが書き続ける事にした。

第一章: バーコードを信じろ。

第二章: バーコードを見失うな。

第三章: バーコードに裏切られても慌てるな。

第四章: 店員を呼ぶことは敗北ではない。

第五章: ただし、少し恥ずかしい。

読み返してみたが、

自身でも驚くレベルの薄い内容であった。

 

だが、

それでも私は満足していた。

 

なぜなら、

人間は現実逃避をしている時ほど、

いつにも増して達成感を得られる生き物なのであるからだ。

 

そして、出来上がりに満足している私は、

静かにノートを閉じた。

「セルフレジ完全攻略読本」

我ながら力作である。

気付けば、三時間以上も費やしていたのだった。

そして、ある重大な事実に気付く。

本業のライターとして、執筆の依頼を受けている原稿のほうは、

まだ、一文字もまったく進んでいないことに。

 

今日も睡眠時間を削り、執筆しなければならないと悟ったのだった。

Believe in your curiosity.

 

( by TSK )

 

木曜日の夜。

仕事を終えた帰り道。

 

駅へ向かう人の流れに身を任せながら、

ふと火曜日の記事のことを思い出してほしい。

毎朝当たり前のように首から下げている社員証。

入社した頃は誇らしかったその一枚が、いつしか空気のような存在になっている。

そして仕事もまた、

同じような存在になってはいないだろうか。

 

前編では、自分の本音から目を逸らさないことの大切さについてお話しした。

 

今日は、その続きを考えてみたい。

転職に悩む人の多くは、ある勘違いをしている。

転職とは会社を辞めることだと思っているのである。

 

しかし本質は少し違う。

転職とは、自分自身を見直す作業だ。

会社を変えることが目的ではない。

自分がどんな働き方を望んでいるのか。

どんな毎日を送りたいのか。

何を大切にしたいのか。

それを確認する作業なのである。

だから転職活動は、退職届を書くところから始まらない。

求人へ応募するところからも始まらない。

最初はもっと静かなところから始まる。

例えば。

今の仕事の好きな部分を書き出してみる。

逆に、どうしても我慢できない部分を書き出してみる。

休日の朝、仕事のことを考えた時に浮かぶ感情を観察してみる。

そんな小さな確認作業である。

 

意外かもしれないが、多くの人は自分の本音を知らない。

毎日忙しいからだ。

朝起きる。

働く。

帰る。

寝る。

その繰り返しの中で、自分の気持ちを確認する時間がなくなっていく。

 

だから転職に迷う。

進むべき方向が見えないからである。

 

もし今の仕事を十年続ける未来を想像した時。

少しでも心が重くなるなら。

その感覚は無視しない方がいい。

不満を探せと言っているわけではない。

転職しろと言っているわけでもない。

ただ、自分の心が出している小さな信号を見逃してほしくないのである。

 

人は大きな後悔を突然抱えるわけではない。

小さな違和感を何年も放置した結果として後悔する。

あの時考えておけばよかった。

あの時動いておけばよかった。

そう思う頃には、失った時間は戻らない。

 

だからこそ。

今は答えを出さなくてもいい。

 

ただ確認してほしい。

あなたは本当に今の働き方を望んでいるのだろうか。

その問いに向き合うだけでも十分な前進である。

そして、もし少しでも外の世界が気になるなら。

求人へ応募する前に、自分の市場価値を知るところから始めてみるのも良い。

どんな会社が自分を必要としているのか。

今の経験はどのように評価されるのか。

それを知るだけでも、見える景色は変わる。

転職活動とは、人生をひっくり返す大勝負ではない。

 

今いる場所の外側を見てみる行動である。

それだけで、自分の可能性は思っている以上に広がる。

 

社員証は会社の扉を開ける。

だが。

人生の扉を開けるのは、自分自身しかいない。

来週も同じ席に座るかもしれない。

一年後も同じ会社にいるかもしれない。

それでも構わない。

大切なのは、自分で選んだという実感である。

 

誰かに流された人生ではなく。

自分で決めた人生を生きること。

そのために必要なのは、大きな勇気ではない。

小さな確認である。

 

木曜日の夜。

あなたの社員証は更新されているだろうか。

 

会社のものではない。

あなた自身の未来への期待である。

Believe in your future.

 

by TSK

 

もし今、自分の市場価値が気になるなら。

転職するかどうかは、その後で考えればいい。

 

まずは、

外の世界で自分がどのように評価されるのかを知ることから始めてみてほしい。

思っている以上に、あなたの経験を必要としている場所があるかもしれない。

 

 

 

火曜日の朝。

出勤途中の改札で足が止まった。 わけではない。

会社の入口で立ち止まったわけでもない。

上司に呼び止められたわけでもない。

それなのに、

心だけがどこかで立ち止まっている。

そんな感覚はないだろうか。

 

社会人になって数年。

仕事も覚えた。

名刺交換も慣れた。

会議でも発言できるようになった。

後輩ができた人もいるだろう。

気付けば、新人と呼ばれる年齢ではなくなっている。

なのに。

 

ふとした瞬間に思うのである。

自分は、この先どうなるのだろう。

 

昼休み。

コンビニで買ったコーヒーを飲みながら、スマホを開く。

SNSを眺める。

学生時代の友人が昇進している。

転職した友人が新しい職場の写真を載せている。

独立した友人もいる。

結婚した友人もいる。

誰も悪くない。

誰も自慢していない。

それなのに胸の奥が少しだけざわつく。

自分だけが同じ場所で足踏みしているような気がするからだ。

 

もちろん今の会社に大きな不満はない。

給料も普通。

人間関係も普通。

仕事も普通。

だから余計に苦しい。

本当に嫌なら辞められる。

本当に限界なら逃げられる。

しかし現実はその中間にある。

辞めたいわけではない。

でも、このままでいたいわけでもない。

この曖昧な苦しさが、人を長く悩ませる。

 

ある日。

会社の入口で社員証をかざした。

「ピッ。」

いつもの音が鳴る。

いつものドアが開く。

いつもの景色が広がる。

何も変わらない。

だが、その瞬間に妙なことを考えた。

この社員証は、いつまで使うのだろう。

 

社会人になった頃。

このカードを受け取った日は少し誇らしかった。

自分もようやく社会の一員になれた気がした。

 

だが今はどうだろう。

毎朝当たり前のように首から下げている。

当たり前すぎて意識すらしない。

それは仕事も同じかもしれない。

最初は希望だった。

最初は挑戦だった。

最初は未来だった。

だが人は慣れる。

良くも悪くも慣れてしまう。

そして慣れは時として、自分の本音を見えなくする。

本当はもっと挑戦したい。

本当は違う仕事も見てみたい。

本当は環境を変えたい。

そんな気持ちがあったとしても、

今さら無理だろう。

失敗したらどうする。

転職先が合わなかったらどうする。

そうやって心の奥へ押し戻してしまう。

転職できる人は特別な人だと思っていないだろうか。

自信がある人。

能力が高い人。

行動力がある人。

しかし実際は少し違う。

転職した人の多くも、不安だった。

怖かった。

迷っていた。

ただ一つ違ったのは、

自分の本音から逃げなかったことである。

やりたい。

でも怖い。

その矛盾を認めた。

だから動けた。

逆に最も苦しいのは、

本音が分からなくなることだ。

今の仕事が嫌なのか。

好きなのか。

続けたいのか。

辞めたいのか。

その答えさえ曖昧になる。

それはまるで、更新期限の分からなくなった社員証のようである。

まだ使える。

だから使い続ける。

本当に必要なのかも考えないまま。

ただ毎日同じドアを開け続ける。

 

もし今のあなたが転職に迷っているなら。

まず決断する必要はない。

求人に応募する必要もない。

退職届を書く必要もない。

その前に一つだけ確認してほしい。

今の仕事を十年続ける自分を想像した時。

あなたの心は少しでも躍るだろうか。

それとも静かに沈むだろうか。

その感覚こそが、本音の入り口かもしれない。

 

木曜日の後編では、

更新されない社員証を首から下げ続ける人生と、

自分の意思で新しい扉を開く人生について考えてみたい。

そして、

転職という選択肢を現実的な一歩へ変える方法についてもお話ししたいと思う。

 

あなたが感じている迷いは、弱さではない。

人生を真剣に考え始めた証なのだから。

 

( 後編へ続く )

 

「ピチャン♪ 」

「ポチャン♪」

 

静まり返った館内に響き(ひびき)渡る、

あのあまりに清涼(せいりょう)で、けれどどこか現実味を欠いた水の音。

 

土曜日の、午後二時三十分。

都会のアスファルトをどろどろに溶かし(とかし)尽くすような、

七月の暴力的なまでの酷暑(こくしょ)

 

私は一人、

四畳半の独房(どくぼう)「最新の空調システムによる業務効率化」という、

エアコンの壊れた自室では一文字も成立しない虚構(きょこう)を書き続け、

ついに脳細胞が物理的なショートを起こして白煙を上げたしがないライターである。

 

強制的な脳の冷却(オーバーホール)を求めて、逃げ出した先は

都会のビルに潜む(ひそむ)巨大な水族館であった。

 

私の脳細胞は、

数日間にわたる締め切り(しめきり)の激流と、

一文字一円という低単価の重圧(じゅうあつ)に揉まれ(もまれ)続け、

もはや物理的な発火寸前の状態で音もなく焼け落ちようとしていた。

 

本来であれば、

私は今頃、洗練(せんれん)されたリゾート地のプライベートビーチで、

波の音をBGMに知的なエッセイをさらさらと紡ぎ(つむぎ)出しているはずであった。

 

しかし現実は、

自らの語彙力(ごいりょく)が完全に底を突き、

止まってしまった脳内エンジンを冷たい海水で無理やり再起動させようとする、

凄惨(せいさん)なまでの敗走劇の真っ最中なのだ。

 

ライターという職業は、究極の自尊心の切り売りである。

ペン一本やパソコン一台で、

社会に風穴を開けるなどという誇大妄想(こだいもうそう)は、

一文字一円の検収完了通知を受け取った瞬間に、

水槽の中に浮かぶ(うかぶ)(あわ)のように儚く(はかなく)消えてしまう。

しかも、

私たちは自らの腰痛を無視し続けながら、

網膜(もうまく)さえもブルーライトで焼き、

内臓の悲鳴をテキストデータへと変換し続ける、孤独な言葉の工員にすぎない。

 

今日のご依頼は、某ライフスタイル誌の「プラチナム・ライフ」特集。

「クリスタルの如き(ごとき)透明な魂が、次世代の幸福をデザインする。光を纏い(まとい)、水の揺らぎと共鳴する究極のウェルビーイング」

という、

今の私のドロドロに濁り(にごり)きった精神状態に対する、

最大級の嫌がらせとしか思えないキラキラしたテーマであった。

 

この嘘(うそ)に満ちた原稿に

ライターとして一縷(いちる)の説得力を持たせるためには、

まず自分自身を、透明や誠実という概念が物理的に具現化された

水族館という空間に叩き(たたき)込み、

逆説的に「濁り(にごり)のない真実」を渇望(かつぼう)する必要があったのだ。

 

自動ドアをくぐった瞬間に私を迎え入れたのは、

設計者の慈悲(じひ)を一切感じさせない、

青い照明に照らされた幻想的な静寂(せいじゃく)の海。

私は、

使い古したマックブックが入った重すぎるカバンを肩に食い込ませ、

一円の得にもならない自尊心を、

チケット売り場の脇(わき)に置かれた「ペンギンの募金箱(ぼきんばこ)に投げ捨てたのである。

 

知性はというと、

むしろ研ぎ澄まされる(すまされる)どころか、私の意識は開始数分で、

館内に漂う(ただよう)微かな(かすかな)消毒液の匂い(におい)と、

巨大なアクリルパネル越しに迫り(せまり)来る魚たちの冷徹(れいてつ)な視線に圧倒されることになる。

そこで私が真っ先に着手したのは、知的な構成案の作成ではない。

自分自身の存在価値よりも遥か(はるか)に優雅(ゆうが)に、

かつ目的を持って回遊(かいゆう)する深海魚たちの前で、

ただ茫然(ぼうぜん)と自らの現在地を確認することであった。

 

100グラム数千円で取引されるであろう高級なマグロの群れ。

私の書く文字が、三千文字を全力で捻り(ひねり)出してようやく、

このマグロ一匹の尻尾(しっぽ)の先と同等であるという、

あまりに具体的な経済的敗北感。

 

逃げ場のないあの揺らぎ(ゆらぎ)を強調したヒーリングミュージックのなか、

自分がこのジャングルで何を狩りに来たのかさえ思い出せないまま、

私はクラゲ展示エリアの真ん中で、

まるでバグを起こしたデータの断片のように静止していた。

それは、

一文字いくらの知性を売るはずの人間が、

ふわふわと漂うミズクラゲの前で思考を完全停止させた、

あまりに無様なフリーズであった。

 

気づけば周囲の通路からは、

週末の余暇(よか)を謳歌(おうか)する幸せそうなカップルや、

珍しい(めずらしい)魚に歓声を上げる家族連れの無邪気な笑い声が聞こえてきている。

彼らが「見て、この魚、変な顔!」とはしゃぐその指の先にいるのは、

水槽の中の深海魚ではなく、

モニターの青白い光に顔面を無残に焼かれ、

慢性的な寝不足で泥のように淀んだ(よどんだ)瞳を剥き(むき)出しにしながら、

メモ帳と睨み(にらみ)合っている私自身の姿に他ならない。

 

私は、結露(けつろ)した冷たいアクリルパネルに、

(あぶら)ぎった額をべったりと押し付け、

前屈みの姿勢で「魂の透明感」についてのフレーズを必死にひねり出そうともがいていた。
その姿は、プロの表現者というよりは、

もはや薄暗い海底に沈んだ沈没船(ちんぼつせん)の残骸にへばりつき、

他人の消費活動という光を盗み見ながらデジタルな塵(ちり)を漁る(あさる)

正体不明の底生生物(ていせいせいぶつ)の成れの果て。
 

ふと、自分の横を通り抜けた幼児が、

私のことを恐怖(きょうふ)に満ちた目で見上げ、

父親のシャツの裾(すそ)を激しく引っ張るのが見えた。

「パパ、あの魚、おじさんの顔してる! こわい!」

父親は、

見てはいけません、とでも言うかのように子供の目を覆い(おおい)隠し、

「シーッ! あれは、見ちゃいけない種類の深海魚だよ」

と、震える声で囁き(ささやき)ながら早足で立ち去っていく。

正しい反応である。

この幻想的な青い光のなかで、

一人だけ異質な影を纏い(まとい)、執拗(しつよう)にメモを走らせる男。

それは、社会という名の健全なシステムから、

読み込みエラーを起こして弾き(はじき)出されたノイズそのものなのだから。

 

私はこの、

一律数千円の入館料という代償を払って自らの尊厳を水のなかに投げ込んだ、

あまりに醜く(みにくく)、あまりに滑稽(こっけい)な自らの現在地を、

一つの生存訓(せいぞんくん)として自分自身の脳内に叩き込んでみた。

その一、他人の浮遊(ふゆう)を、自らのインクに変えろ。 

目の前でゆらゆらと揺れるイソギンチャク。

あれは、

私が綴る(つづる)べき虚構(きょこう)の、最も安価な装飾品そのものである。

 

熱帯魚の鮮やかな色彩に目を奪われて(うばわれて)いる暇はない。

今の私に必要なのは、

あのサメが獲物を追うときの冷徹な判断力を、

いかにして文字という名のデータに変換するか。

観察の速さが、そのまま執筆の密度に直結するのだ。

その二、暗闇のなかで光る発光魚(はっこうぎょ)に、プロの執念(しゅうねん)を見ろ。

太陽の光すら届かない深海で、

自らの体の一部を光らせて獲物を誘う(いざなう)あの生き物。

それこそが、

深夜の四畳半でモニターを光らせ、

誰にも顧みられない(かえりみられない)真実を書き続ける、ライターの体温そのもの。

他人の光を羨む(うらやむ)のではなく、

自らの内側にある醜い劣等感(れっとうかん)を燃料に変えて、

この情報の壁を照らし出すのだ。

(うそ)の謳い(うたい)文句やパクリは、

毒を持つ魚よりも性質(たち)が悪い。

自分の泥臭い体験をインクに変えて、この情報の水槽に叩きつけること。

それだけが、

コピー&ペーストの時代に自らの存在証明を刻む方法であることを、

私は冷たいガラスの反射の下で確信する。

その三、出口へと続くショップの誘惑(ゆうわく)を、執念で耐え抜け。 

順路の最後で待ち構えるお土産売り場は、クライアントからの甘い言葉という名の罠(わな)と同じ。

つい手を伸ばしてしまいそうな可愛いぬいぐるみは、

無駄な修正依頼という名の「サービス残業」に他ならない。

マイバッグという名の仕事の流儀を、常に心の底に準備しておけ。

一文字一円の重みを忘れた瞬間に、

次なる継続案件という名のチケットは奪い去られていく。 

財布の底にある一円玉を、一文字一円の命の重みとして認識すること。

小銭を握りしめたその手の中にこそ、

この不条理(ふじょうり)な業界を生き抜くための力が宿っているのである。

 

どれだけ高尚(こうしょう)な言葉という消臭剤を原稿に振りまいても、

私の文章には常に、拭い(ぬぐい)去ることのできない世俗的な欲望や、

卑しい(いやしい)執着が、しつこい苔(こけ)のようにこびりついている。

その消えない汚れを、

締め切りという名の脱水機に無理やり放り込み、

自らの魂が千切れんばかりに絞り上げられることで、

私はようやく、たった一行の、

どうしようもなく汚れていて、けれど愛おしい真実を吐き出しているのだ。

 

ライターの苦労は、誰にも理解されない。

一日中泳いでいられて、好きな時に餌(えさ)をもらえて、楽な商売だね、

と水槽の向こう側の魚にすら吐き捨てたい衝動(しょうどう)に駆られる(かられる)

私はそいつを、この午後二時の、一切の私語も許されず、

常に子供たちの叫び声に脳を削り取られる、この青い実験室のなかへと、

一切の慈悲(じひ)を捨てて招待してやるのである。

 

胃の底では、

安っぽいエナジードリンクの過剰摂取(かじょうせっしゅ)による刺激が、

この不自然な浮遊感をぶち壊そうと今にも不穏な音を上げようとしている。

その生命の叫びを、

全身の筋肉を硬直(こうちょく)させて必死に圧殺(あっさつ)し、

誰にも悟られぬ(さとられぬ)よう、

鼻息を殺しながら耐え忍ぶこの凄惨(せいさん)な地獄のなかに、

そいつの能天気な人生ごと叩き込んでやるのである。

 

私たちは、

自らの脳髄(のうずい)を重油のような安い牛脂で満たし、

自分の体内時計をズタズタに引き裂き、自らの寿命を原稿料へと変換し続けている。

そうやってやっとの思いで、

誰かのためのたった一行の、どうしようもなく下劣(げれつ)で、

けれど愛おしい真実を紡ぎ(つむぎ)出しているのだ。

 

一時間に及ぶ迷走という名の執筆を終え、

私が水族館の重厚な、

いや、結露した自動ドアを抜けて都会の雑踏へと這い(はい)上がった、

その瞬間のこと。

静寂という名の監獄(かんごく)から放免された私の身体を、

まず襲った(おそった)のは解放感ではなく、

自らの存在が希薄(きはく)になったという得体の知れない恐怖であった。

 

都会のビル群を焼く暴力的な太陽の下であっけなく揮発(きはつ)し、

先ほどまで私が身を潜めていた蒼碧(そうへき)の情報の迷宮とは、

致命的なまでに噛み(かみ)合わない。

 

空腹すらもはや一つの記号へと退化し、

私はただ、自らのラップトップの重みだけを頼りに

アスファルトの上に辛うじて(かろうじて)立っている、

透明な影のような存在へと成り果てていた。

この、全神経を使い果たしたあとに訪れる、

自分が社会という巨大なサーバーからログアウトしてしまったかのような、

寄る(よる)べき拠り(より)所を失った孤独。

 

私は今、

高解像度で動き続ける社会という名の精巧(せいこう)な風景のなかで、

一人だけ極端な底解像度で、

読み込みエラーを起こしたまま放置されたノイズ混じりのデータ断片として、

この雑踏を彷徨って(さまよって)いるのだ。

 

一万文字を送り出したあとのこの空虚さは、決して充実感などではなく、

自らの魂のすべてを安っぽい電子信号へと強引に変換し、

空っぽになった心という名のストレージが、

ただ熱を持って空転(くうてん)しているだけの救いのない虚脱感(きょだつかん)に他ならない。

この不条理な現実は、

一歩踏み出すごとに、逃れられない底なしの重力となって、

自らの肉体の限界を嫌というほど私に突きつけてくる。

 

だが、私の精神は、

あんなにどん詰まりだった数時間前とは比べ物にならないほど驚くほどに、

暗闇のなかで静かに液晶モニターのなかで点滅を繰り返す、

あの鋭いカーソルのように研ぎ澄まされていた。

 

よし、まずはこの記事を、

あの水槽のなかで凝縮(ぎょうしゅく)された、

どんな高級リゾートのパンフレットよりも、鋭く、無駄がなく、

けれど誰かの人生の不要な贅肉(ぜいにく)を削ぎ(けずぎ)落とすような、

強固な説得力を持つ一編へと、血を吐く思いで鍛え(きたえ)上げてやる。

 

ライター読者の皆様。 

もし、あなたが、自らの言葉に詰まったら。

文章術の指南書などドブに捨てて、

今すぐ、一番近所の、青い光が支配する知的な海へ飛び込んでほしい。

そして、

他人の「満たされた好奇心」に晒され(さらされ)ながら、

自らのなかの、どろどろに溶けた本音と、徹底的に対話してみてほしい。

 

浄化の儀式が終わったとき。

あなたの手元には、今まで見たこともないような、

ジャンクで、けれど生命力に満ち溢れた(あふれた)言葉が残っているはずだ。

それは、

どんな高潔(こうけつ)な哲学書の一節よりも、

あなたの人生を、力強く、動かしてくれる。

「ライター x 水族館」

それは、

価値の圧縮を創造力に、私生活の崩壊を言葉の跳躍に変える、

最高に不格好で、最高に贅沢(ぜいたく)な、自分自身の最後の悪あがき。

そんな不細工な足掻き(あがき)を糧(かて)にして、

私は今日もまた一文字を紡いで(つむいで)いく。

 

さあ、明日は日曜日。

私は、まだ耳の奥に残る、

あの水を打つような静寂を心地よい不協和音(ふきょうわおん)として聴きながら、

新しい記事の、最初の一行を、書き始める。

 

次の記事は、もっと毒々しく、

読者の心臓を、直接鷲掴み(わしづかみ)にして揺さぶるような、

そんな痺れる(しびれる)ような言葉で、書いてやる。

私のなかの語彙力(ごいりょく)は、まだ、空っぽになったわけではないのだから。

Believe in your blue light.

そのまま立ち去るのは、

深海魚の王を装って(よそおって)いた自らの僅かな(わずかな)プライドが許さない。
私は、

お土産(みやげ)コーナーで最もそれっぽいオーラを放っていた、

実用性ゼロの「ダイオウグソクムシの巨大ぬいぐるみ」を抱え(かかえ)

レジへと向かったのである。
 

会計の際、私は最新の電子マネーでスマートに決済(けっさい)を済ませ、

エグゼクティブなライターとしての体裁(ていさい)を完璧に守り通すはずであった。
 

しかし、いざスマホをかざそうとしたその瞬間。
数時間におよぶテザリングと、暗闇での高輝度(こうきど)な執筆によって、

私のスマートフォンのバッテリーが力尽き、

画面が不吉な暗転を遂げた(とげた)のである。
 

背後に並んでいる、

「パパ、あの人、グソクムシとお話ししてるの?」

と無邪気に囁き(ささやき)合う、

幸せな家族連れの冷徹(れいてつ)な視線を全身に浴びて。
私は、

起動しないスマホを何度もアクリル板に叩きつけるという、

文明を失った原始人のような無様な儀式を繰り返すことになった。
 

結局、私はカバンの底に溜まって(たまって)いた、

いつのものかも分からない、しわくちゃの千円札をかき集め、

足りない分を小銭(こぜに)でジャラジャラと支払う羽目になった。


命を削って手にした数万円の原稿料が、

この不気味な深海生物の抱き(だき)(まくら)に姿を変えていくという、

救いのない不条理(ふじょうり)
 

店員から向けられた、

迷子(まいご)を保護した警察官のような「憐れみ(あわれみ)の微笑み(ほほえみ)に、

私は再び自尊心(じそんしん)を粉々に粉砕(ふんさい)されることになる。
 

私はただ、乾いた笑いを浮かべながら。
右腕に抱えた、

自分と同じくらい無表情で薄汚れた

ダイオウグソクムシの重みだけを唯一の道連れ(みちづれ)にして。
 

都会のビル群を焼く、

暴力的な夕闇の雑踏へと溶け(とけ)込んでいくしかなかったのである。

 

( 著者:TSK )

(後編)

損得を超えた先に、

真の資本を見出す覚悟。

 

木曜日の、夜。

一週間の業務もいよいよ終盤を迎え、

あなたの胸のなかにある古い帳簿は、もはや新たな利益を書き込む余白を失い、

ただ重苦しい過去の数字を羅列(られつ)するだけの重荷(おもに)と化しています。

 

暗い自室に戻り、ようやくパソコンの電源を落としたとき。

静まり返った部屋のなかで、

あなたは今、自分が積み上げてきた「キャリアという名の数字」が、

本当は何の役にも立っていないのではないかという、

救いのない虚無感(きょむかん)に襲われてはいないでしょうか。

 

火曜日の前編では、

私たちが三十代、四十代という責任ある世代になり、

人生を損か得かという冷徹な計算だけで管理し続けた結果、

自らの「飛躍(ひやく)する自由」を失ってしまっている残酷な現状をお話ししました。

 

後編の今日は、

その使い古された帳簿(ちょうぼ)を自らの意志で一度閉じ、

真っ白な新しい紙を前にして、

どうやって自分自身の「本当の資産」を再定義していくか、

その具体的な覚悟についてお伝えします。

 

三十代後半から四十代。

この人生の円熟期(えんじゅくき)に差し掛かった私たちが、

転職という不確かな選択肢を前にして最も恐れるもの。

それは、

これまで積み上げてきた「既得権益(きとくけんえき)を失い、

自らのバランスシートが一時的に赤字になることへの、

本能的な恐怖に他なりません。

 

帳簿(ちょうぼ)を閉じること。

それは、

これまであなたが唯一の正解だと信じてきた、

勤続年数や役職、あるいは社内だけで通用する微か(かすか)な特権を、

すべてゴミ箱に捨てる行為です。

記録を捨てた瞬間に、

自分は市場価値(しじょうかち)のない無能な存在として暴き(あばき)出され、

二度と誰からも必要とされないのではないか。

自分には、

看板なしでゼロから利益を生み出せるほどの強靭(きょうじん)な営業力など、

最初から備わってはいないのではないか。

その実体のない不安が、

あなたを再びあの息苦しいデスクへと縛り(しばり)付け、

再び狂った計算機の言いなりになって、色のない作業へと戻らせるのです。

 

でも、どうか知っておいてください。

帳簿(ちょうぼ)を閉じることは、破産(はさん)ではありません。

それは、

長年あなたを欺き(あざむき)続けてきた「他人の物差し」を初期化し、

あなた自身の内側にある「本当の資本」を再起動させるための、

聖なる決算(けっさん)の期間なのです。

 

あなたがこれまで必死に維持してきた、

組織への過度な従順(じゅうじゅん)さや、

自分を殺してまで優先した社内の秩序、

あるいは周囲の期待に応え続けたその自己犠牲。

それらは、

あなたの価値を証明する資産などではなく、

あなたがどれだけ自分自身の可能性を負債(ふさい)として抱え込んできたかという、悲しい忍耐の記録にすぎません。

 

転職を決意し、今の場所を去る準備を始めること。

それは、

自分を支配していた借り物の評価基準を一度破壊し、

自分自身のピュアな「やりたい」という衝動(しょうどう)を基盤に据え直す、

孤独で、けれど神聖な作業です。

 

周囲の人々は、

帳簿を閉じようとするあなたを、無責任だと非難(ひなん)し、

あるいは将来の安定を棒に振るつもりかと、

冷たい目で追い込んでくるかもしれません。

今の安定した利益を捨てて、一体どこへ行こうというのか。

何も保証されていない荒野で、一体どんな再起(さいき)が可能だというのか。

そんな、もっともらしい「常識」を盾にした脅し(おどし)が、

あなたの決意を何度も暗闇のなかへ引き戻そうとするでしょう。

 

でも、考えてみてください。

誰かに計算機を握らされ、

自分の意志とは無関係な利益率のために働き続ける生活の先に、

あなたが心から望んでいた自由な地平は本当に存在しましたか。

 

本当の強さとは、どの会社の帳簿に載っているかではなく、

帳簿(ちょうぼ)を奪われた瞬間に、自分の腕一本で誰かを喜ばせ、

価値を生み出せる手応えを取り戻せるかどうかで決まるのです。

 

転職活動という名の、新しい資本の再定義。

それは、あなたが自分自身の人生の、

最初で最後の監査役(かんさやく)になるという神聖なプロセスです。

自分が本当はどんな手触り(てざわり)の日々を愛したいのか。

自分が本当はどんな志(こころざし)を基幹事業に据えて(すえて)

この一度きりの人生という時間を投資していきたいのか。

その答えを導き出せるのは、世界中で、今、

この瞬間に古い帳簿を棚の奥へ押し込んだ、あなた一人だけなのです。

 

記録を失い、自らの内なる静寂(せいじゃく)を取り戻したとき、

あなたはかつてないほどの激しい孤独と、そして同時に、

震えるほどの解放感を経験することになるでしょう。

他人の指図ではない、自らの意志で動く指先。

組織の論理ではない、自らの好奇心で捉える(とらえる)新しい課題。

そして、警告音に遮られる(さえぎられる)ことのない、自分自身の深い呼吸の音。

その「本当の自分」と深く同期した先にしか、

あなたが人生をかけて成し遂げたかった、本当の物語は始まらないのです。

 

三十代、四十代という時間は、砂時計の砂が零れ(こぼれ)落ちるように、

気づかないうちに確実にあなたの持ち時間を削り(けずり)取っていきます。

他人の資産を保守するための「メンテナンス要員」として自らを浪費し続け、

誰の記憶にも残らない無機質なデータとして人生を終えてはいけません。

 

転職は、単なる職場の移動ではありません。

それは、あなたが自分自身の命の主権を奪還(だっかん)し、

誰の許可も得ずに「自分の目的地」を再び定義し直すための、

最高に贅沢(ぜいたく)で誇り(ほこり)高い再起動なのです。

 

あの時、勇気を出して、

自分を迷わせていたあの古い帳簿(ちょうぼ)を閉じて本当によかった。

数年後のあなたが、自分自身で線を引き、

自分自身で見つけた最高の景色のなかで、

誰にも邪魔されない自由な足取りで笑っている。

その景色を迎えに行けるのは、世界中で、今、

この瞬間に一歩を踏み出した、あなた一人だけなのです。

 

さあ、深く深呼吸をしてください。

あなたの新しい物語は、

今、偽り(いつわり)の計算が消えたそのあとの、

真っ白なページの最初の一行を書き始めたその瞬間から始まるのです。

Believe in your asset.

 

( 著者:TSK )

(前編)

損得勘定(そんとくかんじょう)の果てに、失われた自尊心。

 

火曜日の、午前十時。

デスクの引き出しの奥、あるいはあなた自身の脳内の最も深い場所に、

あなたは一冊の分厚い「人生の帳簿(ちょうぼ)を隠し持っています。

 

三十代後半、あるいは四十代。

社会という名の巨大な会計事務所に入所してから十数年、

私たちはいつの間にか、自らの人生を

「損」「得」かという冷徹(れいてつ)な数字だけで管理することに、

異常なほど長けてしまいました。

今日の会議で発言を控えたのは、

波風を立てないほうが得策(とくさく)だと計算したから。

理不尽(りふじん)な上司の叱責(しっせき)を黙って受け入れたのは、

ここで反論するリスクが、毎月の安定した給与という利益を上回ると判断したから。

そして、

今の会社に留まり(とどまり)続けているのは、

これまで積み上げてきた退職金の予測額や、

社内での微かな(かすかな)地位という既得権益(きとくけんえき)を失うことが、

何よりも大きな「赤字」に思えてしまうからです。

 

若かった頃のあなたは、

もっと純粋な「投資」を自分自身に注ぎ込んでいたはずです。

利益が出るかどうかも分からない未知の領域に飛び込み、

ただ自らの情熱が命じるままに、

無鉄砲(むてっぽう)な挑戦を繰り返していたはずです。

 

その頃のあなたの帳簿には、失敗という名の損失さえも、

未来の成功のための尊い「経費」として、誇らしげに記されていました。

 

しかし、今のあなたはどうでしょうか。

十数年という月日のなかで、

何度も、何度も、失敗を恐れて安全な選択を繰り返してきた結果、

あなたの帳簿は、

もはや新しい挑戦を書き込む余白など一ミリも残されていないほど、

細かい言い訳と守りの計算で埋め尽くされてはいませんか。

 

深く呼吸をしようとしても、

胸の奥の損益計算書(そんえきけいさんしょ)が、

一歩踏み出すことの「コスト」を弾き出し、

あなたの足をその場に縫い(ぬい)付けてしまう。

思考は常に「どれだけ失わずに済むか」という防衛本能に支配され、

自分が本当は何を求めていたのか、何のために働いていたのかという、

最も大切な「資本(モチベーション)の源泉(げんせん)を見失ってしまっている。

これが、今のあなたが抱えている、

その出口のない停滞感(ていたいかん)の正体に他なりません。

 

三十代から四十代へと差し掛かるこの時期、

私たちは帳簿を閉じることを、死ぬほど恐れています。

もし、この書き込まれすぎた記録を一度白紙(はくし)に戻してしまったら、

自分にはもう、自らの価値を証明する手段が残らないのではないか。

もし、組織という名の大きな資産表から名前を消されてしまったら、

二度と社会という名のマーケットに戻ることはできず、

そのまま無価値な存在として破産(はさん)してしまうのではないか。

その実体のない不安が、

あなたを再びあの息苦しいデスクへと縛り(しばり)付け、

再び自らの魂を削り取って、微か(かすか)な利益を計上し続けさせるのです。

 

でも、どうか一度、自らの手のひらを見てください。

あなたの指先は、誰かの期待通りの数字を並べるために、

どれほど冷たく、どれほど強張って(こわばって)しまっているでしょうか。

他人の利益を最大化するために、自らの時間を安売りし、

誰かの承認を得るためだけに、自らの繊細な感性を摩耗(まもう)させていく。

そんな、自分ではない誰かの「成功」を記帳するために、

あなたの貴重な残りの寿命を浪費することが、

本当にあなたの望んでいた大人としての姿でしょうか。

 

あなたは、誰かの資産を保守するための、

単なる会計係として生まれてきたのではありません。

未完成の自分を、

損得(そんとく)という名の檻(おり)のなかで腐らせないでください。

その計算が合わないときに上がる、

心の中の不快な不協和音(ふきょうわおん)を、これ以上。

これが現実を見るということだ、

という自分への残酷な嘘(うそ)で塗り潰さない(つぶさない)でください。

 

その書き込まれすぎた古い帳簿を自らの手で静かに閉じ、

自分の内側にある「数字にならない価値」と向き合った瞬間に、

あなたの人生は初めて、

本当の意味での再起動(リセット)を開始することができるのです。

 

一日のなかで、

あなたが心から「満たされている」と感じる瞬間が、一体何度あるでしょうか。

会議室で、組織の論理に合わせた空虚な賛成を口にするたびに、

自分の誇りが砂のように崩れていく感覚を、もう無視できないはずです。

このまま計算を続ければ、いつかあなたの心は完全に枯渇(こかつ)し、

誰のために時を刻んでいるのかさえ分からなくなってしまいます。

そうなってから帳簿を閉じようとしても、

もう新しい物語を書くためのインクさえ残っていないかもしれません。

 

今、わずかに残された、

自分自身という名の強靭(きょうじん)なマテリアルを信じて、

あなたは自らのために、そのペンを置くべきです。

 

転職とは、単なる職場移動ではありません。

それは、自分を縛り付けていた他人の評価基準を破り捨て、

自分という生命の価値を、

誰の指図(さしず)も受けることなく自らの手で定義し直すための、

神聖な再起動なのです。

 

オフィスの外には、資産の増減に怯える(おびえる)ことのない、

広大で、生命力に溢れた(あふれた)本当の世界が広がっています。

そこには、

あなたの淀み(よどみ)ない言葉を、数字の一部としてではなく、

一人の人間として真っ直ぐに受け止めてくれる人々が、必ずいます。

 

自分自身の不快感を、

これ以上「生活のため」という名の麻酔(ますい)で消さないでください。

あなたが感じているその帳簿への嫌悪感こそが、

あなたの魂が「本当の自分」を取り戻そうと上げている、

最後のアラートなのですから。

 

さあ、その重い記録を、

一度棚(たな)の奥へ戻してください。

 

あなたの新しい物語は、

損得(そんとく)の呪縛(じゅばく)から解放された、

真っ白なページのなかから始まるのです。

 

( 後編へ続く )

 

都会の熱気が、揚げ物の油の匂いと混ざり合い、

逃げ場のない不快な重圧となって歩道に淀んで(よどんで)いる。

 

土曜日の、午後一時。
人々が「週末の贅沢(ぜいたく)を求めて行列を作るなか、

私は一人、都心の片隅にある激安ビュッフェレストランの看板を、

戦場へ向かう兵士のような悲壮(ひそう)な覚悟で見つめていた。

私は、四畳半の独房(どくぼう)

「最新の糖質制限ダイエット」についての解説記事を1万文字書き終え、

ついに脳細胞が物理的なショートを起こして白煙を上げた、しがないオジライター。
 

1文字1円という、

呼吸をするだけで赤字になるような過酷(かこく)な労働条件のなか、

私の脳内コンピュータは、ある一つの狂った結論を導き出していた。

「……食わねば、割に合わない」

本来であれば、私は今頃、

洗練されたオーガニックカフェで、

一皿300円もする「意識の高いサラダ」を咀嚼(そしゃく)しながら、

丁寧な暮らしについてのコラムを優雅に綴って(つづって)いるはずであった。

しかし現実は、

数日間にわたる締め切りの激流に呑み(のみ)込まれ、

自らの栄養状態はもはや危機的状況。
 

財布の中身と相談した結果、

1分1秒でも長くこの店に滞在し、

自らの肉体を「食の貯蔵庫(ストレージ)へと変えることで、

1文字いくらの端金(はしたがね)では決して得られない

「圧倒的な利益」を確定させる必要があるのだ。



自動ドアをくぐった瞬間、私の鼻腔(びくう)を突いたのは、

安っぽいカレーの香りと、

すべてを油でコーティングしようとする暴力的な熱気であった。

「いらっしゃいませ。お一人様、90分制でございます」

部活帰りの高校生のような若々しい店員に案内され、

私は自らの衣服に深く染み付いた、

不摂生(ふせっせい)な独身生活の哀愁(あいしゅう)を、

カバンの奥へと封じ込めることになる。

案内されたのは、

ドリンクバーに最も近く、かつトイレへ最短距離で駆け込める、

戦略上の重要拠点(シート)
そこで私は、自らの社会的地位を物理的に抹消(まっしょう)し、

ただの「飢えた生物(ユニット)として、人生最大の回収任務を開始したのである。

90分で、1,980円。

単純計算で、

私は1分間に22円分の価値を摂取(せっしゅ)し続けなければならない。

手が震える。

トングを握るその指先には、

一文字一円の原稿料を稼ぐとき以上の緊張感が宿っている。

しかし、私の「元を取る」という知的な計画は、

開始数分で早くも暗礁(あんしょう)に乗り上げることになる。
脳がショートしている弊害(へいがい)か、

私の眼球(がんきゅう)は、本来狙うべき「高単価な肉料理」を素通りし、

なぜか

最も原価の安そうな「山盛りのポテトフライ」に吸い寄せられてしまったのだ。

「……ダメだ、これは罠(わな)だ。運営側の術中(じゅっちゅう)にはまってはならない」

私は自分を律する(りっする)ように呟き(つぶやき)

無理やり視線をステーキコーナーへと転換させた。

脳内では、実況の私が絶叫している。

ああーっと、今、情報のジャングルのなかで、

一人のライターが欲望の迷路に迷い込みました」
 

これまでに彼が経験した最大の試練は、

クライアントからの「もう少しヘルシーな表現でお願いします」という、

深夜三時の全リライト通知。
 

果たして、この茶色い揚げ物の誘惑と、

自らの年齢を無視した胃袋のキャパシティのダブルパンチに、

彼の、文字通りハガキよりも薄っぺらな自制心(じせいしん)は耐えきれるのか。

二回戦。

私は皿の上に、宝石のように輝く……はずの、

少し乾燥したローストビーフを山積みにした。
これを一文字ずつ、

いや、一口ずつ咀嚼するたびに、

私は自らの文字単価がじわじわと上昇していくような、

奇妙な全能感に包まれることになる。

「これ一枚で、500文字分の報酬……」

「これ二枚で、1時間分の電気代……」

もはや食事ではない。

それは、

自らの肉体を使った、

極めて世俗的(せぞくてき)なキャッシュバック作業に他ならない。

しかし、私は書かなければならない。
店内の喧騒(けんそう)のなか、

ソースでベタついたテーブルにマックブックを広げ、

私は担当者の目を盗んで、

猛烈な勢いでメモ帳に「至高の食卓」を捏造(ねつぞう)し始める。
 

今日書いているのは

「健康的な少食がもたらす長寿の秘訣(ひけつ)という記事だ。
目の前で三杯目のカレーをおかわりしようとしている自分の姿を、

どうにかして「丁寧な暮らし」という名のオブラートに包み隠さなければならない。

私は今、

高解像度で動き続ける社会という名の精巧(せいこう)な風景のなかで、

一人だけ読み込みエラーを起こしたまま

放置されたノイズ混じりのデータ断片として、この油ぎった床の上で震えている。
 

1万文字を送り出したあとのあの空虚さは、決して充実感などではなく、

自らの魂のすべてを安っぽい電子信号へと強引に変換し、

空っぽになった心という名のストレージが、

ただ熱を持って空転しているだけの救いのない虚脱感(きょだつかん)であった。

「……あ、お客さん。」

「あちらのアイスクリーム、

チョコソースをかけると絶品(ぜっぴん)ですよ」

ふと顔を上げると、先ほどの若い店員が、

私のことを「熱心に食レポを書いている若手ブロガー」か何かと勘違いしたのか、

眩い(まばゆい)ばかりの笑顔でアドバイスをくれた。
その一分の隙(すき)もない善意に圧倒され、

私は自らの衣服に染み付いた「脂汗(あぶらあせ)を、

必死に白シャツの奥へと封じ込めることになる。不審者。
 

いや、彼らには私が「仕事に燃えるプロ」に見えているのかもしれない。
 

この不条理(ふじょうり)な噛み合いが、

私のショートした脳内で、悲しき高揚感を生み出していく。

私はこの、

一文字いくらの報酬を得るために自らの尊厳を揚げ物の海に投げ込んだ、

あまりに醜く(みにくく)、あまりに滑稽(こっけい)な自らの現在地。
その無様(ぶざま)さを笑いの種に変えなければ、

私は今この場で、

過剰摂取(かじょうせっしゅ)した炭水化物の重圧に押し潰されて死んでしまうだろう。

結局、90分の死闘という名の執筆を終え、

私は胃袋の中に3万文字分の「偽りの満腹感」を詰め込んで、

出口へと向かうことにした。
 

そのまま立ち去るのは、

食評論家を装って(よそおって)いた自らの僅かな(わずかな)プライドが許さない。
私は、

店員から渡されたレシートを、

あたかも重要機密書類であるかのように重々しく受け取り、

戦場へと赴く(おもむく)ような悲壮な覚悟でレジを抜けたのである。

都会のビル群を焼く暴力的な日光の下へ這い(はい)出した瞬間、

私の鼻腔(びくう)を突いたのは、

衣服から立ち上る、隠しようのない「激安店」の臭い(におい)であった。

さっきまで私を優しく包んでいた

1億キロカロリーの幻影(げんえい)という名の甘い麻薬は、

都市の雑踏(ざっとう)を吹き抜ける熱風の下であっけなく揮発(きはつ)し、

残されたのは、

無理な暴食を続けたために節々が軋む(きしむ)

旧式の壊れかけた機械のような肉体だけである。

1万文字の健康記事を送信した直後のこの虚脱感。
それは、

精魂(せいこん)込めて書き上げた言葉が、

送信完了という名の冷徹(れいてつ)な通知とともに、

自らの内側を空っぽのゴミ箱のように変えてしまう、

あの救いのない感触そのものであった。
 

店を出た足元は、

胃液という名の底なしの重力をいきなり取り戻し、

一歩踏み出すごとに、自らの肉体の限界を嫌というほど私に突きつけてくる。

だが、私の精神は、

あんなにどん詰まりだった数時間前とは比べ物にならないほど驚くほどに、

暗闇のなかで静かに液晶モニターのなかで点滅を繰り返す、

あの鋭いカーソルのように研ぎ澄まされていた。
 

よし、まずはこの記事を、

あの食べ放題のどんな豪華なデザートよりも、

鋭く、無駄がなく、

けれど誰かの人生の不要な贅肉(ぜいにく)を削ぎ落とすような、

強固な説得力を持つ一編へと、血を吐く思いで鍛え(きたえ)上げてやる。

ライター読者の皆様。

もし、あなたが、自らの言葉に詰まったら。
文章術の指南書などドブに捨てて、

今すぐ、一番近所の、

1分1秒の損得が支配する食べ放題の戦場へ予約を入れてみてほしい。
そして、

他人の「剥き(むき)出しの欲求」に晒され(さらされ)ながら、

自らのなかの、ドロドロに溶けた本音と、徹底的に対話してみてほしい。

浄化の儀式が終わったとき。

あなたの手元には、今まで見たこともないような、

ジャンクで、けれど生命力に満ち溢れた(あふれた)言葉が残っているはずだ。
それは、

どんな高潔(こうけつ)な哲学書の一節よりも、

あなたの人生を、力強く、動かしてくれる。

「ライター x 食べ放題」 

それは、

自意識の崩壊を創造力に、肉体の死を言葉の跳躍に変える、

最高に不格好で、最高に贅沢(ぜいたく)な、自分自身の最後の悪あがき。
そんな不細工な足掻き(あがき)を糧(かて)にして、

私は今日もまた一文字を紡いでいく。

さあ、明日は日曜日。

私は、まだ胃の奥に残る、

あの揚げ物の不快な重みを心地よい不協和音として聴きながら、

新しい記事の、最初の一行を、書き始める。
 

次の記事は、もっと毒々しく、

読者の心臓を、直接鷲掴み(わしづかみ)にして揺さぶるような、

そんな痺れる(しびれる)ような言葉で、書いてやる。
私のなかの語彙力(ごいりょく)は、

まだ、空っぽになったわけではないのだから。

Believe in your appetite.

精算の際、
合計金額の端数が「1円」だったため、

財布の中から「1円玉」を底まで隈なく(くまなく)探そうとするも、

あまりの脳の疲弊(ひへい)によって指先が震え、

小銭入れの奥ふかくの角にピッタリとフィットして潜む(ひそむ)その1枚を、

どうしても掴み(つかみ)出すことができなかった。

 

背後に並んでいる、

一刻も早く会計を終えて、

胃もたれを解消するために家路につきたいと願っているかのような、
部活帰りの男子高校生たちの、

ゴミを見るような冷徹(れいてつ)な視線を全身に浴びて、
私は再び、

心臓の痛みとは別の場所、

すなわち自尊心に鋭い激痛を感じることになる。

結局、

1円のために1万円札を崩さざるを得なくなった、あの敗北感に満ちた数秒間。
 

命を削って手にした数万円の原稿料など、

この1円の不手際のために失った、人間としての最低限の余裕に比べれば、

ただの紙屑(かみくず)にすぎない。
 

私はただ、乾いた笑いを浮かべながら、

油でベタついたマックブックを抱え、

震える足で街の雑踏(ざっとう)へと消えていくしかなかった。

 

( 著者:TSK )