大分間が空いてしまった。
やっぱり自分は筆無精だ。
冬の寒さと日照時間の短さにより、あまり生産的ではない生活習慣を身につけつつある。
(日照時間と書いたのは実は科学的根拠があって、日光を十分に浴びないとセロトニンとかいう脳内物質が十分に生成されなくてうんたらかんたらって話。冬期うつ病ってのはこれが原因だとかなんとか)
良い習慣も悪い習慣も二週間続けたことは定着するという話を聞いたので、今は必死になって悪い方面に定着してしまった体内時計の調整に心を砕いている(笑)
暫しそんな自堕落な自分を改めて見つめ直してみると、実は自分は周りに思われている程努力家ではないんだろうなという結論に達した。そして多分周りが思っている以上に才能に恵まれていた。それだけの話だ。
自分にとって幸運だったのは人より時間的に恵まれていたことと、人より格段に学習効率が良かったことだ。たぶんそれだけの話なんだろう。そりゃこれでも平均的な人よりは努力してるだろうが、周りにいる超人的な努力家達に比べれば全然だ、と、やや自虐的な自己分析。
そりゃ高校受験以来ノータッチの英語が、たった二週間の勉強でTOEIC860までいった日には自分の才能に酔いもするし、そしてそれなのに何故今さら単答式の勉強をやる羽目になっているのかと自問した日には自分の怠惰さに反吐が出たりもする。
ややナルシスト的な思考ではあるけど、「成功を才能のせいにして失敗を努力不足のせいにする」というのは夢があっていいじゃないですか。少なくとも逆よりは。
他人が失敗した時、できない事がある時に「どうせ努力が足りないんだ!」と一蹴するのは他人に厳しすぎるけど、かといって自分が失敗したときになんでもかんでも「どうせ自分には才能がないから」と卑下して終了してしまうのは自分に甘すぎるだろう。
もちろん結果なんてのは努力、才能、運…etc、色んな要素が交じり合った多変数関数の解なんだから、そもそも原因を一つに単純化しようなんてのが間違ってる。
だけど運や才能と違って自分で数値をいじれる変数は努力だけだから、そこを向上させようってのが一番生産的な考えじゃあないですか。(そういう意味では1変数関数なのか?)
だからとりあえず自分の失敗は全て努力不足のせいにしておくってのが自虐なようでいて一番前向きな思考なんだろう。
ただし、ただし悲しいかな
自分のグラフがどんな傾きをしてるのかってのは誰にも分からないんですよね。
分かってるのは(たぶん)右上がりなんだってことぐらいか。
どれだけやっても殆ど報われないかもしれない。無駄になるかもしれない。
でもある日いきなり報われるかもしれない。自分はどっちなのか。
そんな不確実性と戦いながら、不安を振り払いながらも僅かな可能性にすがろうともがく姿。
それは残酷でいて美しい。
高校野球をやっていた時は、その残っていた僅かな可能性がゼロになったと感じた瞬間に頑張る意味を見失ってしまった。あと少しで卒業ではあったけど、少しの間だとしても惰性で野球をやるなんてことはしたくなかった。
その時に気付いたんだけど、努力ってのは自分の可能性を信じる事と同義なんだなと。
努力をしてる人が輝いているのは、その過程で何度も何度も自己肯定を繰り返しているからなんだと。
無意識にかもしれないけど、「やればできる(かもしれない)」と信じているからこそ頑張れるのだろうな。
コンプレックスの塊(直したい部分、ダメな部分が沢山ある)であり、
なおかつポジティブの塊(やれば成功するだろう)である自分がこういう道に進んだのもある意味必然か。
必然…といえば書きたかったことが他にあるけど、長くなりすぎたので一旦シメよう。
言いたい話を全部詰め込もうとすると話の筋が蛇行してしまう。
「良い考え手」かどうかは分からないけど、相変わらず自分は「良い書き手」にはなれていないなあと嘆息。