一生懸命やるトレーニングって、何であれ、充実感がありますよね(笑)
でも自己満足で終わってしまうことも多いのでは?とも思います。
何かが出来るようになるとき、一生懸命やって出来るようになるかと言うと、結構疑問かも。
一見、一生懸命やって出来るようになったこと、実は一生懸命さが抜けてフッと「いい加減」になったときに出来るような気がします。
あるいは最初から「楽しんでやれてる」場合。
どうでしょう。
ちょっと抽象的??
イヤートレーニングなんかもそうだと思います。
相対音感は一生懸命「でも」大丈夫かとは思います。
つまりそれほどリラックスしてなくても分かる、作れるようにはなる、ということです。
言語的、表面的、記号的な処理でもわかるので。
でもリラックスしているに越したことはないと思います。
絶対音感、直接的なピッチの方は「一生懸命」ではあまり上手くいかないんじゃないかと。
以前はよく、絶対音感習得は7歳くらいまでの子どもしか習得出来ない、とされていました。
年齢の壁が厳然としてあると。
でも何のことはない、自然にリラックス出来ているかどうか、実はただそれだけのことなのでは?とも思います。
1つの単音(Cなり、Aなり)をロングトーンでリラックスして聴く。耳を傾ける。
こんなこと、大人の普通の生活の中ではしないですね(笑)
でもこのポワーンとした、瞑想的な?ある意味「夢」みたいな意識が、ピッチをそのまま聴く時には大事かと思います。
子どもの時とか冷蔵庫の音をじっと聞いたことありませんか?
あの感じに似てるかも。
より、動物的な聴き方かもしれません。
記号化しない、「生」な聴き方、聞こえ方ではあると思います。
音と一体化してしまう、主客未分な状態。(ちと大袈裟か)
私が音を聴いているのか、音が私を聴いているのか、、、(笑)
そこまでラクにリラックスしてピッチと一体化してると、ピッチを覚えるのも、出すのもスムーズに。
何かとパーフェクトピッチの話になっちゃいますが、深いリラックスがある方が、音楽を文化的背景を突き抜けて?知覚として(も)深く楽しめると思うのです。
深く、ラクに、沈潜、、。
自分にも言い聞かせつつ。