"見せかけの相関"について書いたことによってまた一つ疑問や考えが更新されていく。この感覚はやはり心地よい。
まとまっていなくても書き連ねてみるとまとまる、固まるわけではなく。
どんどん自分自身の幅が広がっている。

なわけで、見せかけの相関について書き連ねたことによってまた一つ思考が増えた。

それは、見せかけの相関を生かすにはも捉え方を少し変えれば良さそうじゃないか?と。

スポーツと感性について書かれている本に載っていたイチローの話

「競技成績と人間性は深く関係している」

誰が見ても高いレベルの成績、という意味ではなくて、その人の能力の限界はある。野球でいうならば、二割五分が能力の限界の人が10年続けることは大変なこと。だけど、三割五分打てる能力を持っている人が三割しか打てないというのは、たいしたことではないと思うんです。そこには人格が入ってくるからではないでしょうか。


"普通"にこれを捉えたら、

人間性が良ければ良いほど、競技成績はよくなる

という相関関係になるだろう。
でも、じゃあ人間性が良ければ本当に成績があがるの??
この疑問は誰でも感じると思います。

でも大体はそんな疑問を持つけど、実際人間的にしっかりしていたほうが活躍しそうだし、活躍してる人って人間的にしっかりしてるから…ぐらいの気持ちでしっかりしなさい、と伝えたりしていると思う。

確かに結果的に間違いではないし、大切なことだと思います。
ただ、これだけでは少し薄いんじゃないかと。

単に人間性と競技成績だけの関係を見るのではなくて、そこに複雑に絡んでくる色々な予測不能な物事までを含めて捉えることができれば、「見せかけ」が意味のあるものになると思うのです。







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軽量経済学にて

"見せかけの相関"ってのをやったわけよ!
見せかけの相関とは、全く理論的な関係がないが、"見かけ上"強い相関関係が現れること。


例えば、選手の相対的な人件費(年俸とか)が高ければ高いほど戦績が良くなる
ってのも見せかけの相関(それっぽく見えること)!

例えば、素走りをたくさんやれば試合中走れるようになった!

…これも見せかけの相関。

確かにたくさん素走りをしたことによって肺活量が上がり試合中少し多く走れるようになった のかもしれない。
だが、試合中の運動量は、技術、戦術、体力、精神力の全てが複雑に絡み合って形成されるのであって、単に素走りをしたからといって試合中の運動量が変わるかといったらそれは違う。これが見せかけの相関。

フットボールをカオスなものだと捉えないで要素還元論的な考え方しかないから、見せかけの相関(勘違い)がたくさん溢れかえっているのだと感じる。

村松さんが言っていた、日本の"サッカー"のガラパゴス化は見せかけの相関からくるものだと思う。日本でしか使えない、海外に出ると使えなくなってしまうという日本独自のスポーツ"サッカー"に形を変えてしまっているのだ。

軽量経済学の先生に聞いたら、経済学の中でも見せかけの相関がたくさんあるんだって!学者でも!!そりゃ皆勘違いするわな!

「ゴールは偶然の産物ではない」 の中にも見せかけの相関が…(^^)笑

もしや世界にでても勘違いが溢れかえってるんじゃねえか?と。

サッカーじゃなくてフットボールを見て行かないと見せかけ(勘違い)になっちまうね( ´▽`)



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