昨日の試合の前に、相手チームの選手を中傷するビラがそのチームのスタジアムの公園に貼られていたという話を聞いた。
内容は幼稚で、センスもなく、読む者に不快感しか残さない類のものだった。
こうした行為は当然のことながら恥ずべきものだし、きちんとした処分を受け、本人たちが反省することを願うばかりだ。
でも、それだけで終わらせてしまっては、何も変わらない気がした。
たしかに矢印は彼らに向けられるべきなのだが、その矢印のうちのいくつかは自分自身に向けてもいいんじゃないか。そんなふうにも思った。
相手チーム、あるいは審判に対して、僕はちゃんとリスペクトの気持ちを持って接していただろうか。
盛り上げるため、という言い訳のもとで、どこかで一線を越えたような言動をしてはいなかったか。
聞いた人が嫌な気持ちになるようなことを、冗談のつもりで言ってしまったことはなかったか。
たぶん、それは多かれ少なかれ、誰の中にもあることなのだと思う。
もうひとつ気になったのは、そのビラの写真をSNSにそのまま載せていた人たちのことだ。
そこに僕は少し違和感を覚えた。
彼らは「これは許されない行為だ」と告発するつもりだったのかもしれない。でも、結果として多くの人のタイムラインに見たくもないものが流れていった。
拡散した人もまた「よかれと思って」の気持ちがあったのかもしれない。けれど、それでもなお、受け取る側の気持ちを想像する想像力があればそんな選択はしなかったんじゃないかと思う。
この出来事を通して、僕は他人を責めるだけではなく、自分自身を見つめる機会にしたいと思った。
「人を以て鑑と為す」――人の過ちを通して、自分がどうあるべきかを考える。
それができたなら、少しだけこの場所は良くなる気がする。