人それぞれの人生を歩むけれど、寿命に限りがあるように、それぞれの人が持っている生きていくため
の資源みたいなものにも限りがあるものだ、とこれも誰もがなんとなくわかる・・わかっている。
しかし、それが、ものすごく上手くいって、満足のいく充実した人生を送れるように有効に効率よく使えて
いる人たちの層から、不連続、不均衡、マダラ模様になって、誰もがそれなりに・・という連続性が否定
されている気がしてしまう。
資源量が同じぐらいの人は、同じようなレベルの人生ドラマが並んで見られるかと思うと、一方は少し
やさしいがために、人を失ってしまい、失ったものをなんとかしようともがけばもがくほど、あるいは失った
ものの代わりになるものを、けなげな気持ちで不毛の土地を耕して、なんとかもう一度、得ようと頑張れ
ば頑張るほど、上手くいっている人の人生の方へブラックホールの重力のように、その資源がむなしく、
浪費されるがごとくに吸い取られていくように消失していく悪循環の悲しみ、憂き目を味わうことになって
しまう・・(T_T)・・。
世間の評価は冷たく、むなしく哀しく、吸い取られてしまった資源量は誰も見向きもせず、茫然としてしま
うような、残された資源価値で、厳しく査定して、生きる支えとしてきていた、残された、ささやかな希望
まで、正しい評価として、次々に奪い去って、100分の1の資源量しかなかった人の人生よりも惨めな
ものに変えてしまう・・、そして、それはいまだかつて、意図的に実施されたことであっても犯罪として処罰された人はいない・・(T_T)・・。