「ようこそ、夏の王国へ」高中正義 | A PLACE IN THE SUN ~見つけよう陽のあたる場所〜

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「Practice makes perfect」
「継続は力なり」

「ようこそ、夏の王国へ」高中正義

 

 

リリース:1984年7月10日

プロデュース:高中正義

Guitar, OB-8, Vocal, DMX, DSX:TAKANAKA

Keyboard:MiMi KOBAYASHI

Vocal:CINDY

Rap:CHRIS

 

先行シングル。曲の冒頭にスネークマンショーの伊武雅刀による台詞が追加されている

発売当初は『高中正義 and 楽園ガールズ』名義で発売された。

アルバムのタイトル通り、夏を意識したアルバムとなっている。

高中バンドに参加していた高橋ゲタ夫、木村誠、ペッカー、森村献らが参加していたサルサバンドのオルケスタ・デル・ソルが演奏した「CUBAN HEELS」以外は、前作に続いて打ち込みをほぼ全面的に使用しており、このレコーディングのためにMIDI化される前のオーバーハイムのシンセサイザーにドラムマシン、ミュージックシーケンサーを購入している。

このアルバムをもって、Kitty Recordsからリリースされた最後のアルバムとなり、翌年の1985年に東芝EMI内のレーベルであるEASTWORLDに移籍した。

 

 

 

 

 

 

「ようこそ、夏の王国へ」高中正義

 

「暑いなぁ 何処かへ行きたいなぁ 

何処でもいいよ、暑くなきゃ!」

 

Pack your dreams in an old suitcase

And leave the world behind

To where the girls have heaven

In their south sea eyes

Hula-hula kisses on their lips

That they give for free

Well, here we are at the Tropicalypso Club

 

古いスーツケースに夢を詰め込み

この世を去り

少女たちが天国を持つ場所へ

南国の瞳に

唇にフラ・フラのキス

無償で与えてくれる

さあ、ここはトロピカリプソ・クラブ

 

Where fields of stars

Grow wild in your heart

In the Tropicalypso skies

 

星空が

あなたの心の中で

野性味あふれる

熱帯の空に

 

Well, on a clear day maybe

You can see Pago-Pago Bay

Where the girls are sweeter than candy cane

But herе the sun never lеaves the sky

Or even blinks an eye

Oh, here we are at the Tropicalypso Club

"It's twice as nice here as paradise"

At the Tropicalypso Club

 

晴れた日には

パゴパゴ湾が見えるかも

少女たちはキャンディケインよりも甘い

でもここでは太陽は空を離れない

瞬きさえしない

ああ、ここはトロピカリプソ・クラブ

「ここは楽園の2倍素敵」

トロピカリプソ・クラブで

 

"Hula-hula hot"

「フラ・フラ、ホット」

 

Oh, watch the girl with the honeycomb lips

And the mermaid heart

And dream of being there

Close within her arms

Where the waves come and dry themselves

Up upon the beach

Well, here we are at the Tropicalypso Club

"Yes, it's twice as nice here as paradise"

At the Tropicalypso Club

 

蜂の巣のような唇と

人魚のような心を持つ少女を見て

そこにいることを夢見て

彼女の腕に抱かれ

波が打ち寄せ、乾く場所

浜辺へ

さあ、ここはトロピカリプソ・クラブクラブ

「そう、ここは楽園の2倍素敵よ」

トロピカリプソクラブにて

 

 

 

Guitar:高中 正義(出生名:劉 正義(りゅう まさよし)、1953年3月27日 - )は、ギタリスト、音楽プロデューサー、作曲家。東京都北区赤羽生まれ、品川区大井育ち。

中国人(南京市出身)の父親と日本人の母親の間に生まれる。父は第二次世界大戦後に中国から来日して高中姓の母と結婚したことから、小学4年生の時に正義本人も日本へ帰化して劉正義から高中正義を名乗ることになったという。生まれは北区赤羽だが、生後まもなく品川区大井町へ移転。商店街で「雀荘三元閣」を営んでいた。小学校は私立小野学園へ入学。中学から女子校になるので私立武蔵工業大学付属中学校(現:東京都市大学付属中学校)へ進学。ギターばかり弾いている日々だったが成績はトップクラスで、東京都立日比谷高等学校から東京大学を目指し外部高校受検をするも当時の学校群制度により東京都立九段高等学校に合格。不本意な結果だったため、武蔵工業大学付属高等学校へ内部進学。高校在学中、府中の米軍基地にあるAIRMAN'S Clubでグランド・ファンク・レイルロードやジミ・ヘンドリックスのコピーバンドで演奏した記録が残っている。

 

Vocal:CINDY(シンディ、シンディ山本とも。本名:山本 真裕美、1958年5月5日- 2001年)は、日本のシンガーソングライター、作曲家、作詞家。神奈川県横浜市出身。

父は韓国人で作詞家、母は日本人。CINDYとは妖精の名に由来する洗礼名である。横浜のサンタマリアインターナショナルスクールを卒業した後、彼女はアメリカ合衆国に移った。音楽ライターとしてライオネル・リッチーなど有名ミュージシャンのインタビュアーを務め、その一方でスティービー・ワンダーのセッションにも参加。1982年に帰国後は、多くのCMソング歌唱で活動、親友のアン・ルイスのレコーディングにも参加。

1984年、シングル「Chance On Love」でデビュー。自身のシングル・アルバムは1990年から1991年にかけてリリースされている。

1986年から1989年まで山下達郎のコンサート・ツアーおよびレコーディングにコーラスとして参加、その歌声はライブ・アルバム『JOY』に収録。

作曲家として中山美穂にシングル『人魚姫 mermaid』(1988年)を提供したのを始め、様々なアーティストに1990年代後半まで多くの曲を提供。1988年に中山に提供した『Witches』は『第15回決定! FNS歌謡祭』グランプリを受賞した。

2001年、移住したアメリカのロサンゼルスで癌で死去。43歳没。その後、鬼籍に入ったことについては、中山が自身のファンクラブ会報誌にて明かした。

 

 

 

 

 

 

 

 

海1

 

こんばんは

今日は、術後初めての取材でした

再断裂にならないよう左腕を庇いながらの撮影でした

奥多摩方面に行きましたが、、中野から約2時間もかからず

青梅あたりを過ぎると山た自然の多さに改めて東京は広いなぁと感じました

雨が途中降ったりしましたが無事終了。

明日はリハビリと車の六ヶ月点検(車乗るのも久しぶり)

少しづつ通常の生活に戻りつつあります

音楽は学生の頃からよく聞いていた高中正義です。

Vocal、シンディも43歳という若さで亡くなり残念です

写真は以前撮った沖縄の海です、また行きたなぁ^

ではまた