065「I Saw Her Standing There 」 もう他の娘とは踊れないよ  | A PLACE IN THE SUN ~見つけよう陽のあたる場所〜
065「I Saw Her Standing There 」 The Beatles


リリース 1963年3月22日 (Album "Please Please Me")
録音    1963年2月11日
作詞者 マッカートニー=レノン
作曲者 マッカートニー=レノン
プロデュース ジョージ・マーティン

「アイ・ソー・ハー・スタンディング・ゼア」は1963年に発売された1作目のアルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』にオープニング・トラックとして収録された。
ポール・マッカートニーによって書かれた楽曲。
アメリカでは、1963年12月にキャピトル・レコードから発売された第1弾シングル『抱きしめたい』のB面に収録され、1964年2月8日付のBillboard Hot 100で最高位14位を記録し、11週にわたってチャートインした。

Remastered 2009



Takes 3-9, 11 & 12




LIVE 1963









「I Saw Her Standing There 」 The Beatles

one, two, three, four!

Well, she was just seventeen
彼女はまだ17歳だったんだ
You know what I mean
この意味わかるだろ?
And the way she looked
その可愛さときたら
Was way beyond compare
比べ物にならないんだ

So how could I dance with another
だから、どうして俺が他の女と踊れるんだ?
Ooh, when I saw her standing there?
あぁ、彼女がそこに立っているのを見たときから

Well, she looked at me
彼女は俺を見ていたよ
And I, I could see
そして、俺はすぐに察したよ
That before too long
あっという間に
I'd fall in love with her
彼女と恋に落ちるだろうとね

She wouldn't dance with another
彼女は他の男とは踊ろうとしないのさ
Ooh, when I saw her standing there
あぁ、彼女がそこに立っているのを見たときから

Well, my heart went "Boom"
俺の心臓は "ドキン "と高鳴ったんだ
When I crossed that room
そのフロアを横切った時に
And I held her hand in mine
彼女の手を握りしめたんだ

Well, we danced through the night
夜通し踊り明かしたのさ
And we held each other tight
そして、お互い強く抱きしめ合い
And before too long
そしていつの間にか
I fell in love with her
俺は彼女に恋をしたんだ

Now I'll never dance with another
もう他の娘とは踊れないよ
Ooh, since I saw her standing there
彼女がそこに立っているのを見たときから

Well, my heart went, "Boom"
僕の心臓はドキドキした
When I crossed that room
その部屋を横切った時
And I held her hand in mine
彼女の手を握った

Well, we danced through the night
夜通し踊り明かしたのさ
And we held each other tight
そして、お互い強く抱きしめ合い
And before too long
そしていつの間にか
I fell in love with her
俺は彼女に恋をした

Now I'll never dance with another
もう他の娘とは踊れないよ
Ooh, since I saw her standing there
彼女がそこに立っているのを見たときから

Oh, since I saw her standing there
彼女がそこに立っているのを見たときから
Yeah, well since I saw her standing there
あぁ、彼女がそこに立っているのを見たときから




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ニュース

【速報】東京都、新たに9988人の感染発表 先週土曜から2573人減 2日連続1万人以下、20日連続で前週下回る 重症30人、死者27人 新型コロナ

減りましたね。嬉しいのだけれど。
なぜ減ったのかがよくわからない。


日本国内の感染者数(NHKまとめ)
(9月9日 23:59 時点)

日本国内
感染確認 1999万9631人
前日比 9万9491人 (2021年9月28日 169万7632人)  
重症  461人(9月27日 1106人)
死亡  4万2350人
前日比 +211人 (2021年9月27日 1万7514人) 
退院  1850万1301人 (2021年9月27日 163万8633人)

クルーズ船
感染確認 712人
重症   0人
死亡   13人
退院   659人

合計

感染確認 2000万343人
前日比 9万9491人 (2021年10月3日 170万5557人)
重症  461人(9月28日 1062人)
死亡 4万2363人
前日比 +211人(2021年9月28日 1万7577人)  
退院 1850万1960人 (2021年9月28日 164万3633人)

[世界の感染状況]

2019年12月31日、
中国湖北省武漢市で病因不明の肺炎
2020年11月27日夕更新
感染者:61,000,000人死者:1,430,000人
2021年1月10日 20時時点
感染者: 89,634,318人 死者: 1,926,624人
2021年8月31日 17時時点
感染者: 217,119,227人 死者: 4,510,202人
2021年9月30日 18時時点
感染者: 233,254,926人 死者: 4,774,173人
2021年10月30日 17時時点
感染者: 246,025,709人 死者: 4,989,532人
2021年11月29日 17時時点
感染者: 261,5045,022人 死者: 5,199,821人
2021年12月30日 17時時点
感染者: 284,530,653人 死者: 5,422,092人
2022年1月30日 17時時点
感染者: 372,553,400人 死者: 5,658,543人
2022年3月31日 0時時点
感染者: 484,900,219人 死者: 6,133,410人
4月29日 17時時点
感染者: 512,463,322人 死者: 6,231,567人
5月31日 17時時点
感染者: 529,371,340人 死者: 6,289,033人
6月30日 17時時点
感染者: 546,390,185人 死者: 6,334,351人
7月31日 14時時点
感染者: 576,818,099人 死者: 6,399,498人
8月31日 10時時点
感染者: 601,553,303人 死者: 6,488,267人
9月10日 17時時点
感染者: 607,977,873人 死者: 6,512,542人



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こんばんは

季節の変わり目、雨の日、晴れの日と交互にやってきます。
今日は満月、中秋の名月ですね。
見れるといいですね。

音楽はビートルズの「I Saw Her Standing There 」です。
マッカートニーの ”1、2、3、4”のカウントで始まる感じが
ライブ演奏のような雰囲気を演出したのが見事に決まりましたね。
10代前半の自分が初めて針を下ろしたLPレコード、
ここからビートルズの世界が始まったのを今も思い出します。


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065「I Saw Her Standing There 」 The Beatles

当初の曲名は「Seventeen」でサウスポートランカシャーで行なわれたビートルズのライブからの帰り道、マッカートニーが1960年にリヴァプールで聴いた民俗音楽「Seventeen Come Sunday」を現代風にアレンジした楽曲として考案された。
ビートルズの伝記作家であるマーク・ルイソンによると、マッカートニーは1962年10月22日の夕方に友人のロリー・ストームの実家で、アコースティック・ギターを使用してコードとアレンジを練り上げたとのこと。2日後、マッカートニーは当時17歳だったガールフレンドのセリア・モーティマーとロンドンを訪れた時に、歌詞を書き下ろした。この約1か月後にフォースリン・ロードにある自宅でジョン・レノンと共に完成させ、1962年12月にハンブルクのスター・クラブで行われたライブで演奏された。なお、マッカートニーは本作をロリー・ストーム&ザ・ハリケーンズに提供する予定だったが、曲を聴いたブライアン・エプスタインによって却下された。
ベース・リフはチャック・ベリーの楽曲「アイム・トーキング・アバウト・ユー」より引用しており、マッカートニーは「まったく同じフレーズを演奏したら、それがうまく曲に合っていた」と語っている。なお、ビートルズは「アイム・トーキング・アバウト・ユー」をライブで演奏したことがあり、この音源は1977年に発売された非公式ライブ・アルバム『デビュー! ビートルズ・ライヴ'62』に収録された。
歌詞は、リバプール芸術学校で使用していたノートに記され、1992年に出版されたマイク・マッカートニーの著書『Remember: The Recollections and Photographs of Michael McCartney』には、マッカートニーとレノンがアコースティック・ギターで音を鳴らしながらノートに歌詞を記している様子を捉えた写真が掲載されている。1988年のマーク・ルイソンとのインタビューでマッカートニーは「ジョンと一緒に書いた曲。学校を休んで、ギターで書いた。『Well she was just seventeen / Never been a beauty queen(彼女はちょうど17歳 / 絶世の美女ってわけじゃない)』という歌詞だったんだけど、ジョンに『何だって?それじゃ駄目だ』って言われた。初めてのことだったよ。そこで『You know what I mean(意味わかるだろ?)』に変えたんだ」と語っている。レノンも1980年の『プレイボーイ』誌のインタビューで「ポールがいつもの調子で作った曲で、ジョージ・マーティンが『ウケ狙い』と呼んでいた。歌詞をちょっと手伝った」と語っている。

最初のレコーディングは、1962年10月頃にキャヴァーン・クラブで行われたライブ・レコーディングで、現在リリースされたアレンジよりもテンポが遅かった。このレコーディングにおいて、レノンは1曲を通してギターを演奏せず、ハーモニカを演奏するのみだった。
1963年2月11日にEMIスタジオにて2度目のレコーディングが行われ、レコーディング・エンジニアはノーマン・スミスが担当した。アルバム『プリーズ・プリーズ・ミー』のためのレコーディング・セッションは、同日午前10時にスタジオに入り、約3時間のセッションを3回繰り返し、10時間弱ですでにシングル曲として発表されていた4曲を除く10曲をレコーディングするというスケジュールで行われた。本作は「ゼアズ・ア・プレイス」の次いで2曲目に録音された楽曲で、9テイクを要した。録音されたテイクのうち、最終テイクとなるテイク9のみ、マッカートニーによる「one, two, three, four!」というカウントが入っていた。昼休みを終え、マーティンは最初のテイクにハンドクラップを加えることを提案。ビートルズはテイク1にハンドクラップを加え、テイク数は12となった。
1963年2月25日にミキシングが行なわれ、テイク9に入っているマッカートニーによるカウントがテイク12の冒頭に継ぎ足された。通常カウントは、最終ミックスの段階でカットされるが、アルバムにライブ演奏のような雰囲気を演出したかったプロデューサーのジョージ・マーティンの意図によりそのまま残されることとなった。なお、アメリカで1963年7月22日にヴィージェイ・レコードより発売された編集盤『Introducing... The Beatles』収録テイクでは、このカウントがフリーランスのサウンド・エンジニアによってカットされている。

『オールミュージック』のスティーヴン・トマス・アールワインは、本作について「彼らの最高のロッカーの1つで、驚くべきハーモニーとメロディの進行で構成されている」と評し、音楽ジャーナリストのグレイル・マーカスは、本作のマッカートニーによるカウントを引き合いに「今まで聴いた中で最もエキサイティングなロックンロールだった」と評している。

(wikipediaより抜粋)