なんと快適な気候だろう。



雲ひとつ無く、乾燥した空気に、目の奥が痛くなるほど



濃い色のスカイブルーだ。



昔から平泉に行きたかった。



義経が落ち延びた街。



藤原氏三代の木乃伊が見たかった。



木乃伊とは、すごい字を当てるものだ。



ミイラと読むのだ。即身仏。



快晴の津軽海峡を左手に見て、八戸に向かう。



人家と人家の間に深い森が横たわっている。



欧州大陸の田舎道を連想した。



八戸から新幹線で一ノ関へ。



盛岡の手前で、これまたとても立派で端正なコニーデが



目に入ってきた。



が、不覚にも山の名前が分からない。



新幹線を降りて、駅の本屋さんに駆け込み、



岩手のガイドブックを見た。



岩手山だ。なんとベタな名前だろうと思ったが、



それ以外に名前が思い浮かばないくらいに、



このあたりを、文字通り代表する独立峰だということに



誰も異論は無いだろう。



ベタで結構。



それ以外には命名はできない圧倒的な存在感なのだ。




普通列車に乗り継いで、平泉に到着した。



平日ということもあって、観光客もまばらだった。



街には、「平泉を世界遺産へ」とキャンペーン中のようだった。



知らなかった。



義経の最期の地に向かった。



北上川



北上川がゆったりと蛇行して、



時計の針を押しとどめながら、義経の時代から



時を刻み続けているように見えた。



『夏草や~』 の石碑の前で、



芭蕉の眺めた同じ景色を、長い時間をかけて味わった。



しかし、彼のような気の利いた一句など



どうころんでも、詠むことなどできなかった。



芭蕉の句



のんびり歩いて、中尊寺に向かう。



団体旅行のバスが来ていた。修学旅行と地方からのバスツアーだ。



こちらは、目的も予定も帰りの時間もない、一人旅だ。



意地を張ってでも、人一倍ゆっくりと見て回ってやろうと思った。




金色堂


金色堂は光り輝いていて、雨でも濡れないというのは




まぎれもない事実だと確信させられるほどの、




見事さだった。




数百年前の東北の山中に、




忽然とこのような黄金張りの御堂が




目の前に現れたら、どう振舞うだろうか。




私なら極楽浄土をここに見つけた、と早合点するところだろう。







だが、昔から期待していた木乃伊は見ることができなかった。







さて、旅は終わろうとしていた。




急ぐ必要のない旅は、平泉の街をのんびり歩いて




駅まで行くことを許してくれた。晴れ






途中で、下校途中の小学生の集団に出くわした。女の子男の子




何と、子供らしく、はつらつとして、屈託の無い笑顔だろう。




都会でもこの笑顔は、今でも見ることができるのだろうか。




どうか、この笑顔がいつまでも途絶えることがないように。虹




遠くから見守りつつ、駅に向かった。





典型的な山間の駅である平泉駅から、




私はとうとう観念して現実へ向かう電車に乗った。電車



その後、世界遺産への登録が実現しなかったと聞いた。





旅を終えて帰って来た、そのすぐ二日の後、




大地震が彼の地を襲い、天災の犠牲者が出た。




中尊寺の壁がひび割れた、と聞いた。




私は、犠牲者のために、より多く祈るべき人間だと思った。




それ以上でも、それ以下でもない。