この日はヘルシーモード。
翌日、昼も夜も素敵な女性と約束していたので太りたくなかったという男心。
こんな時はあれを食べに行きましょう^^
会社が日本橋三丁目から一丁目に移転し、その微妙な距離がランチ圏を変化させた。
お多幸にくるのはけっこう久しぶりかも。
最近も夜にダメ元で覗いてみるのだが、やっぱりダメというパターン多し!
実はボクは大勢の飲み会があまり得意ではない。
2人飲みが基本、多くて3人、最大4人くらい。
たしか、こちら予約は4人だったか5人だったかからでボクにはちょっとしたハードルです。
一階は満席。
「いま二階が空きましたから」とのことで二階へ。
お!
すっかり冷たいお茶の季節ですね^^
メニューを決めるのはボクにとってワクワクな時間。
もちろんおでん四品。
一品は絶対的な一品があるから実質的に三品のセレクトとなる。
「とうめし(豆腐)と」
「はい、とうめしと」
「えーっと」というのはいつものパターン(笑)
この日はとうめし(豆腐)に加えて、厚揚げ、がんも、大根。
そしたら・・・
厚揚げが入っていなかった。
全部食べ終えてから入っていなかったと言われてもお店も困るから箸をつける前にホールのおばちゃんにそろっと「厚揚げが入ってないねんけど」
「あ!」っと言って深々と頭をさげたおばちゃん。
二呼吸くらい後に向こうのほうから「ちょっと~!厚揚げが入ってないよ」と一転して元気な声。
過去記事にも書いたことがあるがおでんの種ってひとそれぞれで好み、こだわりがある。
一番好きなおでんの種は?って大人なら一度は話したことがあるような気がする。
大らかに話しているうちに議論っぽくなる面倒なのか、面白いのかわからない人がいたり。
そして、マイベスト3に入る厚揚げが入っていないというのはボク的には大問題だったのです。
ある異性を目的に合コンに行ったら、お目当ての異性がいない状態と言えばいいだろうか。
↑ キミに会いたかった!そして、やはりキミが好きだ💚
がんも、大根。
この大根の染み方を見てください。
お酒とともにいただくときは要注意。
すごい、酒泥棒に豹変しますから^^
そして、これを食べに来たと言っても過言でないとうめし。
食べながら「ここでバイトをしたら毎日まかないでこれが食べれるのだろうか?」とお腹を空かした大学生みたいなことを考えてしまう自分が嫌だ(苦笑)
この日はヘルシー気分とか言っておきながら「大盛り」と言ってしまい反省。
↑そしてこう書いて、あることに気がついてさらに反省した。
最近、ボクは大盛りを食べてもブログに反省と書くとチャラになった気分でいるような気がする・・・
ホントに反省しなきゃ(笑)
しじみのお味噌汁はすっかりボクの中ではお多幸のお味噌汁。
最初に飲むと「あーこれこれ、お多幸だ」って思いますから。
↑ 夜はまたダメもとで来てみよう。
19時くらいは予約がないと厳しいけど、20時前後にタイミングがいいと回転するタイミングで入れることもありますから。
↓ ボクが好きな昔の銀座のイラスト。
1989年とクレジットがありますね。
ボクが大学を卒業し、社会人一年目だったころです。
下記、少し長いですが下に転記させていただきます。
おでんとお多幸
おでんとは、平安から室町時代、農村・漁村に伝わる収穫の舞「田楽舞」から名付けられたという「田楽」がおでんのルーツ。江戸の町に煮売り屋が現れた頃、家庭の惣菜から営業向けの料理に変わっていったものと、言われています。
お多幸とは、大正十二年に太田幸というおばあちゃんが自分の名前にちなみ、かつ、お客様に「幸多かれ」を願い、屋号となりました。その後、太田幸さんの下で働いていた弟子三人に暖簾を分け、新橋、名古屋、仙台と増え戦争直前まで営業しておりました。
お多幸本店とは
戦争で全て営業をやめてしまったお多幸を太田幸さんの友人「中村てふ」さんが昭和二十六年に銀座五丁目で、営業を再開し、そののちてふさんの下で働いていた「田中辰雄」さんによって営業を続けてきたが銀座五丁目付近の再開発により日本橋へと移転して参りました。
他店とは戦前・戦後の暖簾分けであり本店は、五十余年の間、一店舗一味で営業を続けて参りました。
一子相伝ならぬ一弟子相伝によりお多幸本店の味を引き継いでおります。
深みのある味をご堪能下さい。