本日 5月1日
セナ没後30年。
もうあれから30年か・・・
当時、日本中がF1全盛期の時代だったですよね。
1994年 セナが2年越しの悲願でウイリアムズに移籍。
前評判では、セナがあのハイテク装備を搭載したウイリアムズに乗れば全勝じゃないか、みたいな話もありましたね。
1992年からアクティブサスやトラクションコントロールなど、ハイテク装備でグランプリを席巻したウイリアムズでしたが、その圧倒的なマシンの速さが問題視され・・・
なんというタイミングか、セナが移籍したちょうどその年から、一切のハイテク装備が禁止されてしまうという。
ハイテク装備を奪われたウイリアムズのマシンはバランスに問題を抱え、扱いづらいマシンになってしまった・・・。
そんなマシンで迎えた1994年5月1日
左にステアリングを切ったままタンブレロコーナーで直進、そのまま旅立ってしまいました。
確実な事故原因は永遠に不明なのでしょうが、ステアリングコラムの破損と言われていますね。
当時リアルタイムでテレビ中継を見ていましたが
これが夢なのか現実なのか・・
よくわからなくなったことを覚えています。
享年34歳。
もうとっくに自分はその年齢を超えているという、、なんとも不思議な感じですね。
誰も聞いてないけど、自分的にセナの記憶に残るレースベスト3は
1:1992年モナコGP
2:1993年ヨーロッパGP(ドニントン)
3:1993年南アフリカGP
1位はいわずもがな。かもしれません。
1992年モナコは伝説のレースとして語り継がれていますが、あのモナコは1992年のあのレースまでの流れも含んでシナリオが出来過ぎているんですよね。
1992年。モナコ50回記念のメモリアルレース。
1992年、あの第6戦モナコグランプリまでウイリアムズの前を走った車は一台として無かった。
「セナが初めてウイリアムズの前に出た!」
三宅さんの実況でもそんなことを言っていますが、まさにそれ。
それまでのヒストリー含めて、モナコマイスターが第6戦目のモナコでウイリアムズの前に出たという物語が出来過ぎている。
それにマンセルがピットに入るタイミングと残り周回数も絶妙なんですよね。
そして、あれだけの接近戦で一度も接触しない二人のドライビングテクニックとフェアな戦い。
ほんとに2台のマシンが時々繋がっているように見えるくらいの接近戦でしたよね。
あの出来過ぎたレースは2度と無いんじゃないかな。
2位は、これも「雨のセナ」と言われる代表的なレース。
雨はマシン性能の差が少なくなり技術が試されるといいますが
そんな雨のレースで非力なマクラーレンのマシンでスタートからのセナのごぼう抜きが印象的。
3位は意外かもしれませんが。
自分的に印象的なレースですね。
何がすごいって、セナのブロック技術ですよね。
圧倒的に早いウイリアムズのマシンをギリギリで封じ込めるセナのブロックテクニックと
古館さんの実況が印象的です。
気付くと結構な長文・・・
F1語り出すと長くなるな(笑)
そんな5月1日、セナの思い出に振り返ろうということで
セナのアイテムを並べてみました。
書籍。
「アイルトンセナ全記録」は当時、セナが亡くなってすぐに発売された本でしたね。
もうかなり何度も見たのでボロボロになってしまっています。
DVD
写真右 「アイルトンセナ ー音速の彼方へー」
これは当時、友達と劇場で観ました。
あと、T-SQUAREやF1関係者が集まった追悼イベント
「セナ追悼コンサート」も行きましたね。
プラモデル
タミヤ製のマクラーレンは、もう何年も前に絶版。
もったいなくて作れない(笑)
いちおうマルボロとロスマンズのタバコのスポンサーデカールも揃えてるんですけどね。
じゃあいつ作るんだ???
という感じですが。
セナ没後30年という節目を迎えた今。
このタイミングで作ろうかなと考えています。
タミヤのマクラーレン、どうにか再販してくれないものかと何年も待っているのですが。。
いろいろ版権やら難しいのでしょう。
再販したら3つずつくらい買うのにな・・(笑)
ということで5月1日。
セナの思い出を振り返ってみました。
それではまた。