手を出しすぎてはいけません! | あなたが幸せで在りますように

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人と違う個性を輝かせて、自分も人も許し愛し、せっかく生まれて来たこの人生を幸せに生きていけるように応援しています。

親の役目って考えたことありますか?


以前の私は考えたことはありませんでした。


親はただ子供を育てる役割としか


思っていなかったように思います


だから、もし、考えるきっかけも何も与えられなければ、


な~んに考えなしでただただかわいがるような親になってかもしれません。


そう、考えるきっかけがこんな私にもあったんですね。


それは、今は天国にいる息子を授かったことがきっかけでした。


お空の息子、智大は脳に障害を持って生まれてきました


検診中は全く分からず、


産んみて初めて分かったことでした。


その時点で私が妊娠中に思い描いていた子育てや


楽しそうなママライフは叶わないものになりました。


ショックだったけれど、くよくよしていても何も変わりません。


重度心身障害、歩くことも、食べることも、一般的な成長も


全てできないと宣告された息子。



絶望を感じた後は希望を糧に進むしかありません。


医者は言うことはあくまでも医学上のこと。


私とこの子の気持ちが折れなければ希望はいくらでもある。


そう思い進んで行きました。


その時から親としての意識が甘たるいものから


しっかりしたものに変わった気がします。


親である私はこの子が何ができるかを見つけ


それを伸ばすことが役割と。


その思いで進み、息子はその素晴らしい可能性を私に沢山見せてくれました。

智大は2歳でお空に帰っていってしまったけれど


私を親として大きく成長させてくれたと感謝しています。


この考えは今の育児でも変わりません。


親は子供の能力を見つけ、伸ばすのが役目


そして、一人で生きていける力をつけさせることが役目と思っています。


だから、今の息子には沢山の言葉と愛情と少しの手をかけつつ


育てています。


この子には言っても分からないと思わず


小さい頃から色々なことを説明し


ぶつかったときには相手の気持ちも聴き、


親の気持ちも話してきました。


何でも言いなりになり


すぐに要求を呑むことは絶対にしません。


ほしい、ほしいと、泣き叫んだ時は、


たとえそこがお店の中であろうとも


じっくり話しあいをします。


おやごさんの中には子供がないたら仕方がなく


かわいそうだからという理由で


もう自分がこれに付き合うのがいやだから


という理由で買い与える人もいるとおもうのですが、


これは子供のためにならないと思うのです。


社会では我慢しなければならないこともたくさんあります。


泣いて駄々をこねたら親はなんでも言うことを聞いてくれるんだ


と子供が覚え、誰にでもその態度で接する子になったとしたら・・・


怖いことだと思うのです。


親との関係はそれでいいかもしれませんが、


社会では、わがままは通用しません。


いつまでも親が洋服を選び、着せてあげたり


できないと言われたことは全部親が完全にしてあげたり


この子はまだ小さいのだからという


親の勝手な思い込みで可能性を拾ってあげなかったりすることは


果たして子供の成長のためになるのでしょうか?


自立を促すことになるのでしょうか?


例えば、


お菓子の袋がきれなくて困っているときは


少しだけ切れ目をつけてあげ


あとは子供にわたし


最後はこどもにさせてあげてください。


そして、子供が袋を開けることができたら、


ほめてあげてください。


これだけでも子供って


自分でできた!!という喜びと


自分ややればできるんだという


自己肯定感が育ちます。


出来なことは少しだけ手を貸し、あとは子供にさせてあげてください。


子供の手足や脳の発達状態も関係してできることと


できないこともあると思いますが、


そこは親が子供をよく観察し、


出来そうな芽をみつけてあげ


親としてどうサポートできるのかを考えてゆけるといいと思います。


親と言う字は「木」の上に「立」って「見」ると書きます。


親は子供をよく見て


子供ができるようになるための


「きっかけ」を与えるだけで十分なのだと思います。


何もかも親がしていたら、


一番こまるのは子供です。


愛情と過保護の区別には注意したいものです。