覚書ブログ
倉敷に行きました。
ボランティアガイドさんと歩きました。
忘れないうちに、自分の覚書にしておきます。
その2
【倉敷と大原孫三郎】
大阪冬の陣の時に、倉敷から船で徳川方に米を送った。
その事から、のちに倉敷は天領となり、税が優遇されたため、多くの商人が倉敷に集まってきて、倉敷は発展した。
現在の倉敷川は、水門ができるまでは、満潮時には海水が入ってきていた。
そのため土地が悪く、綿花の栽培などをしていた。
その綿花から、糸を作ったのが、倉敷紡績(クラボウ)の始まり。
倉敷の大地主の大原孝四郎が倉敷紡績を立ち上げ、倉敷本社工場を作った。
それが現在のアイビースクエア
息子の大原孫三郎がそれを発展させた。
大原孫三郎は社会文化事業に熱心に取り組む人で、紡績工場で働く女性に、住むところ、食べ物を用意し、また、いわゆる花嫁修業もさせた。
病院も作り(現在の倉敷中央病院)、病気になれば、そこで診るなど、とても手厚い待遇で働く人を迎えた。
大原美術館も大原孫三郎が作ったもの
【アイビースクエア―】
おすすめ度☆☆☆☆
倉敷紡績の本社工場の跡地。
当時の建物がそのまま残っている。
このツタのからまる建物が印象的だが、
これは、建物の設計図をイギリスから取り寄せ、全くその通りに作ったので、寒いイギリス仕様の建物だった。
倉敷は暑いので、その暑さを凌ぐためにツタを植えた。
今は、工場のあったところが広場になっている。
この線の上に紡績の機械が並んでいたが、第2次世界大戦の末期に供出した。
国民が、着るものもない生活を送っているときに、その着るものを織る糸をつむぐ機械が兵器になったのだ。
この供出では、大原美術館が所有している、ロダンの作品も対象になっていたが、奇跡的に供出を免れた。
アイビースクエアは、説明を聞かなければ、
わー綺麗な建物
で終わってしまう。
大原孫三郎という人が、いかに先を見て、何が大事かがわかる人だったか。
莫大な財産を、何に使えば人々が幸せになれるのかがわかり、それを実践した人だったのか。
「わしの目には10年先が見える」が口癖だった。
胸をえぐられる思いだった。
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