覚書ブログ

 

倉敷に行きました。

 

{DB8889F8-DADF-4C99-90BE-E1207A7BD30B}
 

ボランティアガイドさんと歩きました。

忘れないうちに、自分の覚書にしておきます。

その2

 

【倉敷と大原孫三郎】

大阪冬の陣の時に、倉敷から船で徳川方に米を送った。

その事から、のちに倉敷は天領となり、税が優遇されたため、多くの商人が倉敷に集まってきて、倉敷は発展した。

 

現在の倉敷川は、水門ができるまでは、満潮時には海水が入ってきていた。

そのため土地が悪く、綿花の栽培などをしていた。

その綿花から、糸を作ったのが、倉敷紡績(クラボウ)の始まり。

 

倉敷の大地主の大原孝四郎が倉敷紡績を立ち上げ、倉敷本社工場を作った。

それが現在のアイビースクエア

息子の大原孫三郎がそれを発展させた。

 

大原孫三郎は社会文化事業に熱心に取り組む人で、紡績工場で働く女性に、住むところ、食べ物を用意し、また、いわゆる花嫁修業もさせた。

病院も作り(現在の倉敷中央病院)、病気になれば、そこで診るなど、とても手厚い待遇で働く人を迎えた。

 

大原美術館も大原孫三郎が作ったもの

 

 

【アイビースクエア―】

おすすめ度☆☆☆☆

 

{4594EB4A-CEA1-45EA-992F-76CCA4E295A5}

 

倉敷紡績の本社工場の跡地。

 

当時の建物がそのまま残っている。

 

 

{91FB0DF3-18E0-4336-9590-C50CF495B771}

 

このツタのからまる建物が印象的だが、

これは、建物の設計図をイギリスから取り寄せ、全くその通りに作ったので、寒いイギリス仕様の建物だった。

倉敷は暑いので、その暑さを凌ぐためにツタを植えた。

 

今は、工場のあったところが広場になっている。

{A9C06C61-EC05-4FC8-8493-B57863A47653}

 

この線の上に紡績の機械が並んでいたが、第2次世界大戦の末期に供出した。

 

国民が、着るものもない生活を送っているときに、その着るものを織る糸をつむぐ機械が兵器になったのだ。

 

この供出では、大原美術館が所有している、ロダンの作品も対象になっていたが、奇跡的に供出を免れた。

 

{B23F5252-154F-4E44-B229-7D0448E96DC2}

 

 

 

アイビースクエアは、説明を聞かなければ、

 

わー綺麗な建物

 

で終わってしまう。

 

大原孫三郎という人が、いかに先を見て、何が大事かがわかる人だったか。

莫大な財産を、何に使えば人々が幸せになれるのかがわかり、それを実践した人だったのか。

「わしの目には10年先が見える」が口癖だった。

 

胸をえぐられる思いだった。

 

 

 

◎8ページのフォトブック無料でお送りします。

ご希望の方は下記フォームでお申し込みください

フォトブック申し込みフォーム

 

インスタグラム    

https://instagram.com/yukolinn  

 

フェイスブック     

https://www.facebook.com/yuko.takahashi.1884787

 

Zekkei

https://zekkei-project.com/users/3607