以前から考えているテーマ「対人支援者は人格者であるべきか」。
きちんとまとめたい、と思っていましたが、私の答えはもう出ているような気がしたので記しておきます。
結論から言うと、ありのままの自分を認めること(シンプル)。
対人支援者だって人間ですから、日常において、「#$&¥;%!@・・・・・なんなの?!」と理解不能に感じたり、自分に向けて言われたわけじゃないのに、「あの人、私に対して言っているみたい」と負の感情が生まれたり(具体的・・笑)することもあります。
それは、どうしたって無理な場合ありますよね。
これがまず第一段階。
そんな時でも、「でも、あの人にはこんな背景があるから」と理解を示そうとする・・それは素晴らしいこと。
だけど常にじゃなくてもいいと思う。
向き合うのがしんどいなら、スルーして他のことに目を向け始めてもいいと思う。
分かり合えないと思ったら、逃げてもいいと思う。
限られた人生、向き合ってばかりでは先へ進まないから。
これが第二段階。
要は、いつも素晴らしい人格者でいなくてもいい、という結論。
そんな、神か仏か仙人かっていう。
無理ですよ、生々しく生きている人間なんだから。
そこをまず認めたうえで、どうしていこうかと考える。
以前も書きましたが、「否定から入る前向きな言葉」を発する方々。
いいこと言っている風で信者も多いですが・・・
まずは自分のことを認めましょうよ。
自分は感情的にこじれていること。
単に自分の中に「認められたい」「負けたくない」というフラストレーションが溜まっているだけ。
それをご立派な言葉に置き換えて発信してるだけ。
不思議なもので、そういう言葉は生々しさがあるので、負の魅力と言いますか、人の共感も呼ぶんですけどね。
私は「負の共感」なんて呼んでいます。
私ももちろん人間ですから、同じような一面を持っています。
でも、以前のように、ドロドロした感情を認めたくなくて無理やり前向きになろうとするのではなくて、ありのままの自分を認め、「人間だもの」とちょっと半笑いしながら肩の力を抜いて、今の状態から何ができるか、現実的な方法を考えるようになりました。
ちょっと抽象的な言い方になってしまいましたが。
自分のドロドロした醜い感情を認めずに、漂白されたような真っ白な言葉を並べる人に、相談はのってもらいたくないなあ。
多くの信者・・じゃなかったフォロワーがいる人は、後戻りできないのかなあ。
自分は周りから期待されているという考えに縛られてしまっているのかな。
ちなみにフォロワー=信者100%、ではないと思いますけどね。
SNSの世界でも、村社会のようなもの、会社、学校みたいなものができているから。
この人には逆らわないでおこうとか、立てておこうとか、そういう感情を抱いている人も中にはいると思います。
「あれ?なんかおかしいな」と思うことも出てくる。
でも、言えない。
そんな時はスルーでいいと思います。
あえて真っ向から戦わなくても。
自分の時間とエネルギーを大切に。
というわけで、対人支援者の人格の話から発信の話へと移ってきていますが、対人支援者がSNSで発信を行う場合、①フォロワーが増えた場合は注意・配慮は必要になる、②それと引き換えに生々しさは減少せざるをえないかもしれない、③それでも、多くの人が目にすることを悪用し過激な発言(誰かを攻撃する言葉を含ませた負の発信)はしてはいけないと思う、④その結果、プラスの発信が多くなってきてしまうのは仕方がない、・・・とここまで整理できました。
対人支援者でインフルエンサーの方々を観察していると、④まで進めている人もいれば、③の渦中にいる人もいる。
生々しくやりたいなら、フォロワーは増やさない方がいいのにと思います。
そこには承認欲求があるので、難しいと思いますが。
自分も対人支援者アカウントで某SNSをやっていますが、最近はある分野に関する尖った発信はできなくなりました。
もうそこは知り合いばかりのムラなので。
ま、そこはそこで良さもありますから、楽しめる方法で続けていきます。