2014年春も、自分の限界を超え、濃い時をすごし、どんどん経験を積み、良い結果を求めて、挑戦を選択し、挑戦し続けます。
為末 大さんの言葉がとても響いたので、引用します。
挑戦はとにかく素晴らしいと言われる事がよくあるけれど、僕はそうは思わない。挑戦するにはそれなりに労力や他者の協力が必要で、それに失敗すれば他者の信用やそれまでに費やした時間等失うものもある。それに挑戦し続けて最後まで成功しない事もある。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31だから挑戦するもしないも個人の勝手で、挑戦したい人がすればいいし、したくない人はしなければいい。挑戦をせずに静かに平穏な人生を歩むのもいいと思う。私は挑戦したい、もいいし、僕は挑戦したくない、もいい。挑戦は自分で選択できる。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31ただ挑戦した時の学びは、ルーティーン化された行動に比べ濃さが違う。新しい環境でなんとかうまくやれないかと適応をはかり、振り返った時には大きな学びをもたらしてくれていた事に気づく。学びはいつも不確定と新規性の中にある。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31実際に社会的な成功も、挑戦の数が多い人の方が多いように思う。もちろんみんな成功する訳ではないけれど、確率は高い。短期的には違っても、挑戦して失うもの<挑戦して得るもの、になると思うから、挑戦を繰り返せば繰り返すほど差は開く。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31結果と取引で挑戦すると割に合わないと感じる。挑戦に夢中になればそれそのものが報酬化する。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31挑戦をした後に残ったのは、挑戦した日々だった。そしてそれが結局一番大事なものだと後で気づいた。挑戦をしない人はそんなもの何の価値も無い、無形じゃないかと言った。両者はわかりあえない。たぶんわかりあえないまま生きていくしか無い。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 31チャレンジはある一定の失敗の確率を含む。失敗の確率が低いものはチャレンジではなくただの実行。チャレンジし続けるという事は失敗するリスクを取り続けるという事なのだけれど、結果に潔癖な人はこれを恐れる。失敗は消せないものだと考えている。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 5結果に潔癖な人は成功するというより、成功しそうな事しかやらない。だからチャレンジの数が人生で少なくなっていく。チャレンジは自分に限界を超えさせて、成長を促す。そのチャレンジが不足するという事は長く見ると成長が滞り、結局結果が出なくなっていく。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 5絶対負けない方法がある、それは戦わない事。やるからには結果を出さないという価値観が強すぎる人は、いずれやらなくなる。やらないから経験がなく、全て頭で考えた世界で生きる。プライドが肥大化し、そして現実とどんどん剥離する。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 5結果に潔癖な人は例えば90%成功する事が成功だと思っている。でも人生は例えば一つ成功すればいい。そしてそれに挑む回数には制限がない。例え成功率1%でも、数打てば当たる。そして当たればそれまでの失敗は全て”意味があった”と評価される。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 5【終わり】思いっきり挑戦して、失敗すれば笑う人も馬鹿にする人もいると思う。そういう時は自分も一緒に思いっきり笑えばいい。そして気が済んだらまた挑戦する。結果は運だけれど、挑戦は選択。勇気を持って選択し続ければ本当に勇気がある人間になれる。
— 為末 大 (@daijapan) 2014, 3月 5