明治政府になって岡山や広島県が成立する前に存在した小田県、備後東部と備中の小田郡域を合わせた短期の行政機関です

廣嶋から玉島を経て備中/連島へ送られたエンタイア、差出年は不明ですが、
小田県は明治8年12月迄でしたので二重丸を使っているこのエンタイアはおよそ明治8年8月と推測できます
差出局の廣島も明治8年前半は朱色の二重丸を使っていましたが、6-8月のどこかの時期で黒色に移行したのです
もう2ヶ月早い時期だったら三局が確実に朱揃いで見応えがあったでしょうね

玉島の朱は二種類あり、この字体はこのあと青色でも使われていました
三か月後なら黒・赤・青の三色でこれもカラフルで中々良いかもしれませんね
さて、ヤフーでの投稿は今日で最後になりました
長い間、ありがとうございましたx