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浅草十二階(凌雲閣)~江戸東京博物館

明治23年(1890年)、パリのエッフェル塔(276m)の開業の翌年、高さ52メートルの展望塔がある建物、浅草十二階(凌雲閣)が東京浅草に誕生しました。

レンガを積み上げてつくったものですから、鉄骨を組み上げて作ったものとは違って和洋折衷の何重の塔というイメージのものだったのでしょう。
 
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各階が30数坪ほどあったらしく、二階から七階までは土産物店などが入り、現代の東京タワーやスカイツリーのようなものだったんでしょうね。

当時としては世界的にもまだ珍しい電動モーター式のエレベーターを設備し、七階まで乗客を運んでくれたそうです。

しかし浅草十二階は数奇な運命をたどりました。エレベーターは構造的に不安定だということで翌年に使用中止となり、大正3年に復活したものの大正13年の関東大震災で、建物そのものが崩壊してしまいました。

以上江戸東京博物館で見た浅草十二階(凌雲閣)の模型から、細馬宏通さんの著書「浅草十二階」を、本棚から引っ張り出して綴ってみました。

凌雲閣には何故か惹かれます。
 
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新そば「重作」~宮城県美里町

新そばの季節になりました。

美里町の重作は山形県舟形町の分店です。出される蕎麦は自家栽培、つなぎ無しの十割だそうです。

年に一度大晦日だけしか打たない蕎麦打ちですが、「十割は固まらないですよね!?」と聞きましたら、市販のそば粉では難しく、粉を挽く時にコツがあるとおっしゃってました。
 
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ツヤツヤとした麺を見ていたら、新そばを捏ねている時の蕎麦粉のつーんとくる香りを思い出しました。

蕎麦打ちまであとひと月半、練習は嫌いですから、気モチベーションだけは上げて行きましょうかね。
東日本大震災による津波で亡くなった石巻市大川小学校の児童の損害賠償請求裁判で、教師らの過失を認めた仙台地裁の判決を不服として控訴を決めた石巻市と県に対し、遺族側も控訴することにしたという。

大川小の悲劇、思い出すたびに自分が教師だったらどうしていただろうかと自問自答する。

夫の仕事の関係で気仙沼に住んでいた娘とは、津波の前の午前、妻が電話で話した後一週間連絡がとれなかった。

聞けば、揺れの後、「ここまで津波が来れば気仙沼は全部終わりだよ」というアパートの大家さんの言葉を振り切って、一才の幼子を背負いさらに高台を目指して避難したという。

たらればであの訴訟を論ずることはしたくないが、その時再会した娘には「さすが我が娘」と大いにほめてやった。