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仙台市長町 2011.01.20

「おめー、まだ生きてたのか?」

「ちょっと恥ずかしいじゃねーか」「静かに話せよ」

「裕ちゃんは?旭は?」

「ここんとこ見えねーな」

「あんたに会ったから、今夜あたり、ギターかかえて出て来るかもな」
「好きだからつよくぶつけた雪合戦」

96年に亡くなった渥美清さんが俳句を作っていたのは、知る人ぞ知ることだったらしい。

俳号は風天(ふうてん)、「分け入っても分け入っても青い山」の山頭火(さんとうか)のような、五七五にとらわれない自由律の俳句を作っていた。

「おふくろ見にきてるビリになりたくない白い靴」

少年時代は貧しかったという。自身の少年時代のことだろうか、ふと通りかかった運動会に、少年の日々がよみがえったのだろう。誰にでも思い出のある幼い日の出来事だ。

「コスモスひょろりふたおやもういない」

秋、まばらに生えて風に揺れるコスモスの姿に両親を見たのだろうか?

「好きだからつよくぶつけた雪合戦」

現代の子供は、この気持ちわかるのだろうか?好きだけど、それが言えず、反対にいじめてしまう。友達にも心のうちを知られたくないという気持ち。

「貸しぶとん運ぶ踊子悲しい」「ゆうべの台風どこに居たちょうちょ」「赤とんぼじっとしたまま明日どうする」

極貧の少年時代を経て、浅草ストリップの司会、幕あいの芸。弱きものを見つめる目はあくまで優しい。

「冬めいてションベンの湯気ほっかりと」「そばあっけなく食って扇風機」「股ぐらに巻き込む布団眠れぬ夜」

やっぱり寅さんです。おもろうてやがて悲しきの世界、演技は演技では出来ずですね。

「うつり香の浴衣まるめてそのままに」「団扇(うちわ)にてかるく袖打つ仲となり」

やっぱし艶っぽい句もありました。男は色っぽくなくちゃいけません。

「朝寝して寝返りうてば昼寝かな」

渥美さんは若い頃肺結核を患い、片方の肺を切除したとか。撮影の合間には体を横たえて、次にそなえていたそうです。

「陽炎(かげろう)の向こうバスのゆれていき」

陽炎の向こうに遠ざかっていくバス。その景色に何を見たのでしょうか?翌96年、68歳で亡くなりました。ご冥福をお祈りいたします。

※参考 本阿弥書店 渥美清句集 「赤とんぼ」
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オ二コウベスキー場(宮城県大崎市鬼首)

三連休の中日、日曜日はオ二コウベスキー場でテレマークスキーの特訓を受けて来ました。

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A沢さんとS先生

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H夫妻

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今日の講師は、漁師テレマーカー「踵自由悪雪滑走人」のA沢さんと、「青春とはしがみつくことだ!」と言う永遠のチャレンジャーDr、S先生です。そして生徒はボクとHさん夫妻の3名です。

実は鬼首まで2時間程の車中、S先生の特訓は始まっていました。

曰く、「宝石を散りばめたような人生ではいけない。珠玉のような人生でなければ」「No Action Talking Only、つまり、NATO(ネイトー)マンになっちゃいけない。

S先生ってボクよりずうーっと年上なんですよ。A沢さんに聞いたんですが、みんなが疲れてギブアップしても最後まで滑っていて、常に前向きな方とか。このチャレンジ精神見習わなければなりませんね。

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両先生の滑り

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A沢さん

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S先生

ボクは主にA沢さん、H夫妻はS先生の特訓を受けました。

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Hさん

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yamaちゃん

どうです、ボクがテレマーク歴5年、H夫妻は2年でしょうか、帰る頃には見違えるように(?)なってました。

でも、先生最後の講評は、「テレマークに王道なし。人の話は謙虚に聞きなさい。ストックは前で使いなさい」でした。帰ってから見るとボクの左手ストック、見事に遅れてました。

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鬼首の湯A沢さん先週撮影写真

帰りは、もちろん温泉です。露天風呂に雪がハラハラと舞い降りて最高でしたよ。

もう終わり?なわけないでしょう!

仕上げはA沢さんお勧めの産直の店「大久」です。

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産直「大久」

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どうですこの店内の猥雑さは。山菜やきのこに混じって、熊の毛皮、熊の脂、イナゴの佃煮、マムシの粉と皮。

しまいには、「山のバイアグラ」と呼ぶ木の根の飲み物も振る舞ってもらいました。「ボクは抑える薬の方がいいんだけど」って言うと「見栄張らないの!」とS先生にたしなめられました。

どうです、皆さんも「山のバイアグラ」を飲みに、じゃなかった、オニコウベのスキーと温泉に出かけてみませんか~。