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フユノハナワラビ胞子飛散

フユノハナワラビの胞子が飛散しました。

といっても、いっこうに飛ばない胞子に業を煮やしたボクが手で揺すって飛ばしました。

胞子って、待っていても絵に描いたようには飛ばないんですね。

風が吹くたびに、ささ~っと幾日もかけて飛ぶんでしょうね。
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吉永小百合カレンダー

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松本伊代

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山口百恵

小百合さんも伊代ちゃんも百恵ちゃんもピッカピカでしたね。

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油谷満夫(あぶらやみつお)氏

「秋の宮」に住む油谷さんを訪ねました。

我が「美」の師匠油谷さんとは10数年来のお付き合いですが、この頃はタイミングが合わず、2、3度すれ違っていましたので、意を決して冬が来る前に県境の鬼首の山を越え会いに行きました。

油谷さんのコレクションを展示していた「秋の宮博物館」は、先日閉じたそうです。電話をすると、その日は収蔵庫でコレクションの整理をしているとのことでした。

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兵隊人形(油谷さん初コレクション)

兵隊人形は油谷さんが子供の頃初めて買ってもらった人形だそうです。言ってみればコレクションの原点ですね。

油谷さんと言えば「昭和」のコレクション。閉館した「秋の宮博物館」には僕たちの子供の頃の遊び道具や、映画のポスターなどがいっぱいありました。

以前奥さんが、「今飲んだコーヒーの空き缶を集めるのだけはやめて欲しい」って言ってましたが、「歴史は今始まっている」と言う油谷さんには馬耳東風でしたね。おそらく「昭和のコレクション」では、日本一でしょうね。

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映画のチラシ

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ハリウッドスター

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世界画報

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少年倶楽部広告

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ベロ(?)凧

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野球盤

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パソコン、計算機

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ガラス絵、銚子

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寒修行

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バッジ

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模型飛行機

「テルミック」・・・懐かしいですね、確か「東京号」っていうのがあったような。中に竹ヒゴの機体が入っていてアルミニュームの細い管でつないで作るんですよ。あとはゴムの動力で飛ばしたっけなあ。

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永田雅一辞令

大変なものを見つけました。映画全盛時代の大映社長永田雅一氏の辞令です。プロ野球「大毎オリオンズ」のオーナーも務めた方ですが、「永田ラッパ」なんて言葉もありましたね、豪放な方だったんでしょう。別宅から出たものだそうですが、映画史に残る資料かもしれませんね。

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通行手形

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旅券

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ランプ

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最上川船下り時刻表

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引き手(襖のとっ手)

お伊勢参りの江戸時代の通行手形、通行手形って代官所とか役所が発行するものと思ってましたが、基本的には檀家になっている寺が、身分を保証するものなのだそうですね。

油谷さんのコレクションと言えば、「昭和」、それも表面的なものだけを思い浮かべてしまいがちなんですが、そのコレクション、実は江戸時代から続く東北の民衆の歴史なんですよ。

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文房具

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明治教科書

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木製ランドセル

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チョーク、鉛筆

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石板、石筆

中でも教育資料は目を引きます。昔の教室ではこんな石の板をノート代わりに使ってたんですね。

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電気釜、カキ氷機

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結婚式次第

昔の結婚式が目に浮かぶようです。座敷をぶちぬいて大広間を作り、膳が並び、壁にこの、料理や進行が書かれた紙が貼られるんだそうです。

格式が尊ばれる時代、結婚式は当人たちと言うよりも「家」「地域」の人々の晴れ舞台だったんでしょうね。

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農具1

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農具2

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バンドリ、ケラ

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秋田地主番付

「私の終生のテーマは農業です」と言う油谷さんの農具や農民の暮らしのコレクションは圧巻です。

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油谷さん自作

1934年、昭和9年生まれの油谷さんは、今年で77歳になりました。「秋の宮博物館」を閉じたのは、コレクションの集大成を考えてのこと。

今新しい計画が進行中です。ボクも及ばずながらお手伝いが出来ればと思っています。

油谷コレクションに心を動かされたあなた、来年ボクと、NEW油谷コレクションを見に出かけてみませんか?

※追記 油谷コレクションを見たい方、松島の海岸通の土産物店2F「松島レトロ館」(昭和の玉手箱)でその一端が見られます。是非お出かけ下さい。
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ソウル駅

今日はソウルの街のいくつかを紹介したいと思います。

ソウル駅・・・東京駅と似ていると思ったら、やはりあの時代の建物、どちらも同じ1925年の竣工でした。

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東京駅

設計者は違うようですが、時代の影響は大いに受けているようですね。以前は南大門駅と呼ばれていましたが、1922年に京城駅と改名されたとのことです。

いわゆる日韓併合、日本による植民地支配が決定的になったのは1910年、李朝の都「漢城」は「京城」となりました。日本人の居留区はこの京城駅(現ソウル駅)から東側、南山の北側の南大門、明洞(ミョンドン)の方向に設定して明治町、本町、南山町のような日本的な町名にまで変更し、ついには南山の麓に乃木神社や朝鮮神宮まで建てたそうです。ちょっとやり過ぎでしたね。

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現ソウル駅内部

東京駅は現役ですが、ソウル駅は使われていなくて、改装した後の今年からソウル駅文化館として公開されるそうです。

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参鶏湯(さんげたん)

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烏骨鶏(うこっけい)

移動する前に、参鶏湯で腹ごしらえをしました。ボクはこの現地語でオコルゲ(漢字は烏骨鶏?)と呼ばれる骨まで黒い鶏の参鶏湯はどうも苦手です。純粋に味だけを楽しめば変わらないのでしょうが、どうも骨の黒さが気になってしまいます。今日は同行のT田さんをそそのかして食べてもらいました。様子を見てたらなんとも言えないって顔をしてましたね。

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徳寿宮(トクスグン)

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この日徳寿宮では、ちょっと名前は覚えられなかったのですが、観光客向けに李朝時代の儀式を再現していました。

李王朝9代目成宗(ソンジョン)王の兄、月山大君の私邸であった徳寿宮は、1592年の壬辰倭乱(イムジンワラン)、日本で言う秀吉による文禄の役で焼き払われた王宮、景福宮の代わりに、後に王宮となったそうです。

ソウルの繁華街ビル群の中にあって、古さと新しさのコントラストがいいですね。

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中和殿

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ソウルも秋ですね。大陸の気候ですから特徴は良くわからないのですが、ちょうど仙台と同じくらいの気温でした。でも冬は氷点下20度とかになり、雪は少ないのですが、寒さは厳しいそうですよ。

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大河ドラマ「坂の上の雲」を思い起こさせる軍服姿の出で立ちが見えましたが、ここを舞台の古写真展などをやっていました。徳寿宮はその頃の時代の条約調印など、歴史の表舞台に使われたそうです。

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光化門(カンハムン)

タクシーで移動の途中、車内から撮りました。去年のブログでも紹介しましたが、1392年、高麗を滅ぼし朝鮮半島を統一した李成桂(イ ソンゲ)の李氏朝鮮は、風水に基づき東西南北に門を作り塀をめぐらし、都の漢城(ソウル)を城内と城外とに分けました。城内に住んでいない商人たちは日が暮れると城外に立ち去ったそうです。

この光化門は北にあたります。ただしこの北門だけはその上に王宮をつくり「景福宮」(キョンボックン)としました。

風水に基づいて作りましたから、後ろに山が控えていなくてはならないらしく、その背後にはかすかに山並が見えます。秀吉軍が破壊した宮殿は1867年に再建したそうで、300年も後だったんですね。

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仁寺洞1(インサドン)

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仁寺洞2(インサドン)

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仁寺洞3(インサドン)

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仁寺洞4(インサドン)

仁寺洞はすっかり若者の町に変わりました。ボクが初めて訪れたのは15年以上前だったでしょうか、古い骨董屋さんが軒を連ねてました。骨董に関しては目利きのつもりでしたから、李朝時代の白磁とにらんだ提灯壷を、没収されないかと、ひやひやしながら税関を通ったことを思い出します。そんな宝ものなわけないでしょ、アホですね。

でも「東西古美術店」(トンソコミスルチョム)が無くなってたのは淋しいですね。寡黙な店主で、韓国語と英語しか話せない人でした。ボクは日本語だけ。押し売りはしない人でしたから、行くと二人の間には独特の雰囲気が流れました。・・・・勝手に思ってただけですけど・・・。

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左餅台(餅の型)、右水滴(習字道具)

そういえば昔、そこでこんなものを買いました。左の餅台はいいのですが、右の水滴はいけません。表の蝶でしょうか、花でしょうかそれは良さげなのですが、裏の高台の焼いた後のようなところがいけませんね。ま、骨董の世界はダマしダマされですからね。それもまた楽しです。

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清渓川(チョンゲチョン) 

仁寺洞から宿のある南大門方向に歩いていくと、街の中を流れる川にぶつかりました。清渓川(チョンゲチョン) です。古い時代からこの川の治水は課題だったらしく、日本の植民地時代から蓋がかぶせられ地下を流れているのを今の大統領がソウル市長時代に、街の中を流れる川として復活させたそうです。

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韓国銀行前噴水台広場

日本で言えば日銀でしょうか、植民地時代の建物ですね。後でわかったのですがこのアングルの後ろに新世界百貨店、戦前の韓国三越の建物があったんですが、知らずに撮りませんでした。5階建てで今も現役だそうですよ。おばあさん達には絶大な人気の百貨店だそうです。なにやらどこかでも聞いたことがあるようなないようなお話ですね。

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豚カルビ

カルビと言えば、牛肉か、最近では3枚肉の豚カルビですが、この豚カルビは美味しかったですね。豚の臭みは全くなし。

こうして韓国の最終日は更けていきました。明日は6時起床、でも少しだけ南大門の屋台でさらっと仕上げをしてから宿に帰りましょうか?