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昭和21年 北海道三菱美唄炭鉱カレンダー 炭鉱はいち早く復活したようです。

今日は67回目の終戦記念日です。

太平洋戦争が終わって間もない昭和22年(1947年)、当時の文部省は同年公布された日本国憲法の解説書として「あたらしい憲法のはなし」を中学1年生の教科書として発行しました。

その中では、国を滅ぼす戦争はしてはいけないこと。もう日本は、戦争をするための軍備は一切持たないことなどが書かれていました。

310万人とも言われている太平洋戦争での日本人犠牲者を考えると、丸腰で国が守れるかの議論はともかく、昭和22年の国民大多数は同じ考えだったと想像されます。

話は変わりますが、この頃山口弥一郎さんが昭和18年に書かれた「津波と村」という本を読んでいます。

今度の東日本大震災の津波によって大きな被害を受けた三陸地方は、明治29年(1896年)と昭和8年(1933年)の三陸大津波でも壊滅的な被害を受けました。

「津波と村」には、山口さんが、リアス式海岸の村々を訪れて取材した二度の津波被害の後の高台移転とその後の話が、丹念に書かれています。

二つの津波の間には40年ほどの歳月が流れています。せっかく高台移転をした村も、海岸線近くで漁業に従事するための便利さから、一人二人、一軒二軒と海の近くに住居を戻したケースが多くなっていったようです。

どうやら、津波の高台移転の話と戦争放棄の話はなにやら似てますね。

高台は不便だからと一人二人と作業小屋を海辺に作り、それがやがて住居に。最近では尖閣列島や、竹島の領土問題なんかも、実力行使したりされたりが始まってきています。

人間は愚かですね。そのたびに犠牲になるのは名も無き弱き人々。

やっちまえ!と勇ましいのはいいけれど、一生と言うようにやり直せないのが人生。

終戦の日に、あらためて自分の中の好戦性や、安易な方に流れる性根に対し、胸に手を当ててみたいと思います。

そしてそれが戦争と震災による犠牲者の鎮魂につながればいいですね。
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コイン精米機

都会ではあまり見られないようですが、米どころ宮城ではあちこちにこのようなコイン精米機が見られます。

300円で30キロの米を精米してくれます。米は精米し立てが美味しいですから、農家からまとめ買いした米や、近頃は農家の方もこの精米機を利用することが多いようです。

8月に入ってからでしょうか、このところ道端に設置されているコイン精米機の稼働は好調のようですね。

「あんだ、おぎゃく(客)さん来(く)んだから、米、精米して来てけらいんよ。あ、もつ(もち)米もね!ずんだもづ(ずんだ餅)食べさせんだがら」

都会に行った子供たち、そして孫たちの帰省を待つ宮城の熟年夫婦の会話が聞こえるようです。

あ、いけね、オレの10キロの精米も終わったようだ。
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仙台七夕 2012.08.08

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仙台七夕が昨日で三日間の幕を閉じました。

曜日と雷雨などの天候の関係で前年より3万人の減だそうですが、それでも200万人の人出だったそうです。

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秋田の竿灯祭りは過去最多の139万人、青森ねぶた祭りは300万人の大台を回復したそうです。

東北の三大祭りと呼ばれるこれらの祭り、各県の県民性が表れているようで面白いですね。

青森ねぶたは、津軽人の熱さが伝わってきますよね。

秋田竿灯は、技を競うというか、こつこつと鍛え上げる職人気質って感じですかね。

そして仙台七夕、ちょいと気取ってます、やはり伊達ものですね。ボクの好みから言えば、動的なものがない七夕祭りに、かつては不満もあったのですが、年をとったせいでしょうか、この頃は吹き流しをかきわけながらのそぞろ歩きも悪くはないなあと思うようになってきました。

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インベーダー、なつかしいですね。名古屋撃ち、なんて言ってももうわかんないでしょうね。

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一関市よろづや 昭和30年代前半?

宮城県地方今日の最高気温は25℃とか、明日からまた30℃くらいになるとはいえ幾分暑さがやわらいできました。まだまだ暑い地方の皆様もご自愛くださいね。