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2013.01.05 宮城県大崎市上空

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昨夜は全国的に冷え込み、ここ大崎市も朝方は雪もちらついていましたが、午前中にはこんな青空が見えてきました。

この辺りでは白鳥はいたるところの田んぼにいますから、コンビニの広い駐車場の隅から白鳥の写真を撮っていたら、何事かと奇異の目で見られているようで、白鳥だとわかると安心したように駐車場を出ていきます。

今朝の地元紙、河北新報の「テレビ"還暦"色あせず」によりますと、今年は、昭和28年に放送を開始したテレビ放送が60年の還暦を迎えるのだそうです。

ボクが昭和27年生まれですから、こんな称号はイヤですけど、ボクも「テレビっ子」の部類になるんでしょうね。

ボクの家にテレビが入ったのは、昭和34年ですから小学校1年の時でした。

それまでは近くの食堂のテレビをたまに見せてもらったり、商家に上がらせて見せてもらったり、遠い日の記憶にはNHKのチロリン村とくるみの木だったでしょうか?人形劇の記憶が残っています。

テレビは、うやうやしく押入れの棚かにしまっていた時代ですから、子供同士見せる見せないの攻防、悲喜劇があちこちであったことは言うまでもありません。

ところでその「テレビ"還暦"色あせず」の記事の中には、テレビの草創期から活躍した黒柳徹子さんと、草野仁さんの対談が載っていました。

当時は、ドラマも生放送。棺おけにあるはずの遺体がなくて、刑事役の森繁さんがそれ以上演技が出来ず、やむなく黒柳さんが「終」の表示を出したこともあったそうです。

「徹子の部屋」はなぜ収録したままで編集しないで放送するのか?って不思議に思ってたんですが、黒柳さんは、その生放送のドラマの緊迫感、ガチンコ勝負の魅力を知ってたからそんなふうにしていたようですね。

獄中の堀江貴文さんこと、ホリエモンさんがかつてテレビはいずれ消滅するようなことを書いていましたが、昨今のお笑いタレントたちを使って作られる安易な番組を見てると、あながち否定は出来ませんね。

新聞のタイトル、「テレビ"還暦"色あせず」かどうかは、スポンサーの景気に左右されるテレビが、低成長或いは、横ばい下降気味の経済状態の中で、いかに良質で人々の心を揺さぶる番組を作れるかにかかっているような気がします。
今年の大河ドラマは、会津藩出身の八重という、後に同志社大学を作った新島襄の妻となった女性を描いたものだそうです。

会津藩には、「什(じゅう)」と言う六歳から九歳までの子供、10人前後の組織がありました。

その「什」の子供たちの間には「什の掟(おきて)」があり、挨拶や、嘘をついてはならないこと、年長者に敬語を使うこと、卑怯な振る舞いをしないことなどを定めていました。

そしてその「什の掟」の最後に書かれていたのが、ブログの題名にした「ならぬものはならぬこと」ではなく、「ならぬものはならぬもの」でした。

現代語に訳せば、ダメなものはダメってこと、言わば問答無用だということでしょうか?

この言葉で思い出したのが、子供の教育、それも体罰のことです。

子育ての頃、駄目なものは駄目と時々ポカっとやりました。

果たしてあれでよかったのかなということです。

・・・子供は三人いて三者三様に育ちましたが、萎縮させなかったかな?なにごとも気長に言い聞かせて育てるべきだったかな?

つまり、「ならぬものはならぬこと」だったのかなあ。と。

昨晩(1月2日)深夜の正月特番。


志村けん、鶴瓶、マツコの番組が終わった後、キムタクの出てくる〇〇ホームのCMを見た。


なんだかキムタク弱っちい。


・・・人生、二枚目だけが武器じゃないな。