去年の北九州芸術劇場リーディングセッション「わが星」のアフタートークの時、プロデューサーの能祖さんが言っていたことですが「日本では千秋楽で一番お祝いするが、西洋ではこの作品のこれからの発展を祝ってと初日を一番お祝いする」らしいです。
僕はそれに妙に共感してしまい、余計に今日の初日が嬉しいのです。これから回を増すごとに成長していくであろうこの作品の行く末に・・・
さて、そういうと、「いやいやお前何をエラそうに」といわれる方がいるかと思います。なぜならこの「白野弁十郎」という作品はかの有名なフランス演劇の古典「シラノ・ド・ベルジュラック」の和製盤で大正15年に新国劇という劇団で初演された作品です。
つまりとっくの昔に作られた作品で今も生き続け、成長を続け、そうしてこんな形でも演じられてしまった作品なんです。
だから作品の誕生を祝うという面ではちょっと語弊があるんです。
それでも、今舞いあがるように嬉しいのには理由があります。
そもそもこの白野弁十郎もともとはひとり芝居の作品ではないんです。それを芝居の神様とも言われている島田省吾がその晩年に新国劇の灯をともすまいとひとり芝居化し、亡くなる直前まで演じ続けた作品で、その死後2006年に弟子である緒形拳によって演じつがれました。(緒形さんの最後の舞台作品となったのですが・・・)
そして07年の初春にその緒形版の舞台放送を見て一目ぼれして以来、ひとり芝居に憧れるようになった。つまり僕にとってとても思い入れの深い作品です。
この作品があったから家茂が生まれ、森洋一と出会い、芭蕉を演じることができたのです。
昨夜はお客さんの前で演じて作品にできたこと、ともかく憧れていた作品を自分のレパートリーに持つことができた嬉しさからちょっと飲みすぎてしまいました。
協力してくれた両親にちょっといいお酒を買ってきて乾杯しました。両親もまたお祝いにちょっとしたお酒を買ってきてくれました。
飲みすぎると際限がなくなる僕なので普段は酒量をコントロールしているのですが今日ばかりは嬉しくって飲みすぎました。
白野の冒頭のセリフにもありますが「嬉しくって舞い上がりそうだ、むちゃくちゃに舞い上がりそうだ」です。
去年の夏以来舞台が続きやっぱりどこか自分の緊張感を伴い続けていたのですが、今日でひと段落です。
もちろん来週にもう一回ありますがそれさえも、今日二度やって見えた修正点、それこそ演技面にしても制作面にしても一週間あれば挑戦し実践しきれることばかりなのがまた嬉しくて、そして楽しいのです。
籠の鳥で、若さゆえの憧れと焦燥を。
芭蕉通夜舟でひたむきに芸に生きる芭蕉を。
白野弁十郎で男の浪漫を。
それぞれ演じてきました。どの作品もまだまだ未成熟なところはありますが全部素敵な作品です。
自画自賛するようですが人によってたとえば、うちの両親は芭蕉が一番よかったといい、相棒である森洋一は「おれは籠の鳥をみて君に惚れた」といってくれ、そして今日、感動して終演後話に来てくれた青年はたぶん白野が一番好きだろうと思います。
二畳の空間さえあればどこにでも持っていきます。ぶっちゃけ二万くらいは欲しいですが、今日の白野は一人で行けるのでいまの身の上では交通費だけでも万々歳ですが・・・
まぁ当面は呼んでくださる宛なんかないし・・・うん。
さて、次は何に挑戦しようかな♪
もう一つ書いておきたいことがあるので書きます。
嬉々とした日記を書いている井口ですが同じころ東日本では先週から続く災害の為に苦しんでいる人たちがいます。
今日の公演はそんなにお客さんも集まらないし、募金の呼びかけとかは控えておこうという考えが脳裏に働き、終演後のあいさつでお声かけすることができませんでしたが今、白野を演じ終えて一呼吸したいま、僕の中に会津藩士白野弁十郎がすんでいます。
会津は今で言う福島県のあたりです。
会津藩は幕末明治を江戸幕府とともに歩んだ忠義深い地です。武家の近代日本の精神を象徴する誇り高い土地がらだと思っています。
もう一つ言えば芭蕉の愛した松島も今回の震災で直撃を受けています。
宮城野に住んでいた知人と連絡が取れない。
日本はひとつ
考え出すと色々とでてきてきりがない。井口誠司はいま出来ることを精一杯務めます。
まだまだ半人前の修行の身、今の身の上では正業に就いている人のようには募金はできません。
はやく一人前になって世間様のお役にたてるようにがんばります。
二日市公演、募金集めまではしなくても呼びかけくらいはやってみます。