金剛禅門徒の少林寺拳法修行記 -9ページ目

金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒としての自覚を促すべく旧タイトル「練習日記(仮)」からタイトルを変更しました。

内容は変わりません。

よろしくお願いします。

普段は道場での練習後、道場の前で高校生と乱捕の練習をしています。



今日はちょっと趣向を変えて、高校生とだらだら喋ってました。


・・・僕の体調がわるかったからという理由もありますが。




道場について、どう思ってるか。


どうしたらもっと良くなるか。


そのために何をしたらいいか。



自分にとって白帯とは、茶帯とは、初段とは、二段とは、三段とは・・・



今現在、自分は少林寺拳法の修行を通してどういう風になりたいのか。



それらについて、他の人の考えとは違っていてもいいけど、自分の意見なり信念なりを持ってもらいたい。


そんなことを思って今日はそういう話をしてきました。




さてさて、どこまで気持ちが通じたのか。

今日は祝日。


ということで、大学の体育館に行って練習してきました。



ひたすらにサンドバッグ&鏡の前で蹴りの練習。


あ、筋トレもしたなぁ。




大学のころに戻ったような気分です。


昔はホントに朝から晩まで修行修行だった・・・懐かしい。




体育館の閉まる1時間ぐらい前からぽつぽつと後輩(現役部員)が集まり、その子らと少し乱捕を。



やっぱり現役は毎日乱捕してるだけあって強い。


ぼくなんてけちょんけちょんにやられました。




後輩がたくましく成長している姿を見るのはうれしいものです。


帰りに焼肉おごって帰ってきました。



いい休日でした。ローキックで足が痛いけど。。。


先日柔道家の友達と、遊び半分で突き蹴りしつつ遊んでました。


まあ、突き蹴りなら当然僕が上。


でももちろん本気で当てるわけないし、最終的には掴まれてごめんなさい、の繰り返し(笑)


まぁ掴まれてからもがきはするんですけどね。まず敵わない。だって相手強すぎる。



それはそれで楽しいものです。



・・・




ひとつ、面白いことが起きました。


相手の上段への突きを、上体をそらして、こぶし一つ分ぐらい余裕を持たせたところで見切る。

まぁ、ゆっくりとした突きですしね。それぐらいできます。


相手は訝しがった顔をしている。自分の攻撃をすれすれでかわされたことが不思議なのだろうか?


あまりにもいぶかしがってる感じなので、僕も不思議に思ってきた。


・・・それにしても、相手はかわされた攻撃の手を引く気配がない。


なんでだろう?もうそこからは攻撃できないよ。




相手は、訝しがりつつも、僕の襟をつかみ、引っ張る!そして、あえなく僕は撃沈。



相手曰く「掴める間合いなのに、なんで手を払いのけなかったんだ?」




そうなんです。突きの間合いと掴みの間合いは、指の分だけ違うんです。


相手は突いてきた手でそのまま『掴む』という選択肢が頭の中にあり、僕の認識にはそれがなかった。



認識により、間合いが異なる。


間合いとは認識だ、とまで言うとあまりにも言いすぎだけど。。。。




なんかとても深いものを感じました。



とりとめもなくてすみません。


今日も道場での練習後に、道場の高校生を捕まえて、外でストリートファイ・・・・乱捕練習をしました。



拳サポやグローブをつける時もあったりつけない時もあったり。



今回はベアナックルでした。



空気読んでくれる高校生は上段はなしか、寸止め的な感じなんですけど、まぁどんな攻撃でもまぁ適当に捌くことが今まではできてたわけです。



高校生が成長したからなのか・・・・

自分が下手になったのか・・・・

たんにまぐれパンチだったのか・・・・

やはり真っ暗な中でのベアナックルは無理があったのか・・・・


顔(口)に一発当てられてしまいまして、流血。


唇が腫れております。。。



高校生も気にして謝ってきたけど、それはちがう。避けないほうが悪い。


とりあえずその高校生には「人を殴る感触を知っておくのも大事。今日の感覚を覚えておいて。そして、避けないほうが悪い。気を遣わせてごめん」と言って、とりあえず今日は解散。




あれですね。肉体的ダメージより精神的ダメージのほうが大きいですね。



なぜかわせなかったのか・・・これをもっと研究して上達しないと。。。

前向き感あふれるタイトルにしてみました。


ええ、合理的精神です。合理的精神。



昨日ほかの武道の方がスパーしてるのを横目にサンドバッグをひたすらたたきつつ(時にはスパーに混ぜてもらいつつ)、ふと思ったことがあります。




あー、武道始める前は、『技』というものを非常に誤解していたなぁ(サンドバッグ・スパー関係ないですね、笑)と。




いうなれば、ゲームの呪文のように思っていた節があります。


「メラ!」と言えば火の玉が飛んでいくような、そんなイメージ。


「逆小手!」と、技をかければ、相手は転がる。だってそういう技だから。 と、こんな感じ。



バカですね(笑)



でも、多かれ少なかれ、人はそういうところがあるのだと思うのです。



「そういうものだから」という思い込み。




『なぜ、転がるのか』『なぜ、これが技になりうるのか』『なぜ・・・・』『なぜ・・・・』



たくさんのなぜがあったはずです。



ただの突きに関しても、昔(武道以前)は、こぶしが当たればそれは突きだと。

痛いはずだと。


これも同じく思い込み。




先入観というか、思い込みというか、そういうものを、実践というもので外していく。

検証していく。自ら「なぜ?」と問うていく。


そういう姿勢は、僕の好きな数学だけでは身に付かなかったかと思います。



数学は「なぜ?」ありきで、実生活とのかかわりは薄い。もちろん実生活の背景に数学があり、数学を用いればきれいに説明できることが無数にあることなんてわかってる。自然は数学と言う言葉で書かれているわけですから。



しかし、いざ、生を持った自己が、この現実で活動している中で、そのように考えるのは非常に難しい。


武道を通して、この難しいハードルを一つ越えられたのかもしれません。



そんなことを思った、京都での冬。


武道って素晴らしい。



以前「予備動作の是非」について書きました。


昔は予備動作を無くすことに執着しており、今は、相手の予備動作の際に「備えの動作」として、受けの予備動作に入っていればよいのではないかと。


そしてその備えの動作が相手に認識されない形で行われていれば「負けない拳法」として一歩前進するのではないかと。




昨晩部活の後輩と呑みつつ、昔話に花を咲かせていましたが、そこで「乱捕中は相手が「突く!」と思った瞬間に避けてないと間に合わない。そんだけ突き蹴りがみんな速かった」みたいな話が出てきました。



そうなんですよ。予備動作も何も、来ると思った時には来てる。確かにそうでした。



相手は『予備動作→攻撃』という二段階である前提での、こちらの「備え→受け(反撃)」という論理が、一気に崩れる。



正直言うと、今の道場の人らの突き蹴りが遅いだけの話です。

大学生でバリバリやってる人らの突き蹴りに、そんな悠長な態度で臨んでたら当てられて終わりです。


ましてや他武道の乱捕バリバリ系を相手にしたら・・・・




また、考え直しになりそうです。むぅ。

演武。少林寺拳法の大会公式種目です。


これがうまいと少林寺拳法の中で一目おかれる節があります。


元学生拳士の立場から見ると、学生時代は演武なくして語れない状態で、乱捕は一部の乱捕好きな人がやっていて、術科に関しては演武の従属物というか、術科それのみで脚光を浴びることがほとんどないかのような状態なのかなと思います。



最近、学生大会の演武のビデオを見てみました。



前々からうすうす思っていたことなんですが・・・すごい違和感がある。


「学生演武が」っていう部分もあれば「演武そのものが」っていうところもあるかと思います。



いろいろ書いてみたけど、消しました。



違和感を感じた時に、その違和感を無視して突っ走る能力が僕には欠けています。



やっぱり演武ってものは好きになれない。


少林寺拳法に向いてないのかなぁ。

大学時代、僕は『予備動作』を消すことに専念していました。


思えば順突を最初に習った時、一歩前に入りつつ、突き手側の肩腰を引き、十分なためをつくって、そこから肩腰を返して威力ある突きを突く、とそう習いました。


茶帯・黒帯になるにしたがい、「動作が大きすぎると相手に攻撃がばれる」ということで、「ため」は作るものの、肩腰を引かずに突く方法を習いました。



そこからは、自己研鑽の道で、威力を出しつつ(手突きにならず)なおかつ予備動作(肩腰の引き等)のっ極力ない動きを追求してきたつもりです。



止まっている状態からでの初動のない突き、という意味ではそこそこな出来栄えにまでなってくれたかなぁと思うこともあります。



しかし、相手の攻撃をかわしながら、とか実戦的な観点からはちょっと不十分な点もありました。



というか、予備動作を消したとしても、動きだしはあるはずで、どうしてもそこに反応されてしまう。


止まったままの攻撃なら相手に届かないし、相手の攻撃を待つとどうしても「攻撃」の前に「受け」が入るので俊敏な突き蹴りに移行しづらい。という問題に直面しました。


結局相手の攻撃を待っていると、練習通りの動きはできないし、かといって自分から攻撃するにも間合いを詰めるという動作で相手にばれる。とても残念な感じになってたわけです。


ここで焦点を当てたいところは、「自分だけでなく、相手にとっても攻撃には予備動作(間合いを詰める等)が必ずある」ということです。



この点で道場の先生の方法論はとても面白い。




相手の攻撃の予備動作(ほんとに些細なことです。重心を落としたとか、その程度)に対して、自分の重心はそのままに、片方の足を相手に詰めた方向にちょっと出しておく、もしくは引いておく、という「準備」をしておきます。



相手は(こちらの重心は変わってないので)意外と「あ、こいつそのまま棒立ち。これなら倒せる!」という意気込みでいらっしゃいます。


相手が間合いを詰め終わった『後』、その時相手の意識は「こっちも動き終わって相手も動いてない、そして動かない!」と思うようで、そのタイミングを狙って、こちらは重心の移し替えを行います。


すると相手からは「動かないはずの相手が突然動いた(間合いがずらされた)」と思い、届かないはずの攻撃を全力でついてきたり、また、間合いが詰まってうまく突けなくなったりするようです。





説明がよくわからないと思いますが、結局言いたいところは「予備動作を消すのではなく、相手に意識されないようにしっかりしておく」ということが大事なのではと。


「少林寺拳法は絶対に負けない拳法」であるためには、相手のどんな攻撃に対して、自分は備えることができる体系でなくてはならない、というのはざっくり考えるととてもわかりやすく整合的です。



今は、その観点からの修行に務めています。



また、何か発見があれば報告させていただきます。

今の道場に移って早2年がたとうとしてます。

最初こそ、道院によくある「突き蹴りはすれど、人に当てたことなし」という状態で、どうしたものかと思っていましたが、最近はどうにもいい風向きを感じております

最初こそ法形で少し当てれば嫌がられ、乱捕したいと言えば野蛮人のように罵られ(そこまでひどくはないかw)、肩身の狭い思いもしましたが、『ミット蹴りの導入』による「当てることへの意識付け、爽快感の付与、痛みへの慣れ」から、だんだんと少しずつ対人の攻防に慣れさせ、今では練習後僕と当てどめの乱取りをする子まで出てきました。


それまで、ちょっと蹴りが当たっただけで泣き出す中学生男子を見て心折れそうになることも何度かありましたが、くじけずに続けた甲斐がありました。

よく乱捕で挑んでくる子に至っては、当初は「向こうからの一方的な攻撃」という設定の中でも怖がっていたのに、今では「多少手を出してきてほしい」とまでいう始末(まさか舐められてるのか?w)

人が育つさまを見るのは気持ちいいものです。

ただ、最近はその乱捕を挑んでくる子が「あいつは特別だから・・・」と言われて、その他の子がついてこなくなることを危惧しています。

なので、ほかの子も目をかけて育成中。そのうち若い子たちで乱捕させてみるとかも計画中。

やればできるものだ。ほくほく。

少林寺拳法の技法は、各種の理法をその技術の中に内包させています。


※他武道の技術も、もちろん少林寺拳法同様の理にかなった技術になっているかと思います。

 少林寺拳法ではそれらを「理法」として命名し特に重要視している、と言ったほうがいいでしょうか。

 正直、他武道の事情はよく知らないんですけどもね。



さて、その理法の中に「車の理」っていうものがあります。


僕はこの車の理が正直よくわかっていません。



教範にも

『車は物を軽く動かしたり、重いものを上げたり、又各種の機械を廻すときに勢をつけるために必要なものである。

其の勢力のつく道理は、例えば同じ長さの物でも、真直ぐに進めて力をつけるのと、車の如く廻して力をつけるのとは、同じ寸法でも非常な差が生じてくる。この事は独楽が僅かの短い紐によって、車の如く回転させれば勢強く長く廻ることによって証明せられる所である。』


とはあるものの、どの技のどこにこの理法がどのように使われているのか、まったくイメージできない。



昔先生に聞いてみたところ、「足と地面の接点を小さくすることによって、(独楽のように)回転しやすくなる」という説明をいただいたことがある。


しかしこれは(同じ独楽の例えとしても)、「独楽の軸と地面との接触面積の小ささ」であって、教範にある「車の如く廻して力をつける」(『廻る』ことではなく『廻して力をつける』ことを強調。さらに、これは『真直ぐに進めて力をつける』のと対比されているわけで、結局「力の出し方」を説明していると思われる)とは異なるものと思えてならない。。。




腕十字などで、真っ直ぐ引き込むのではなく、相手の前足を軸として、相手が回転する方向に崩すことを言ってるのだろうか?それならなんとなく納得できる。



・・・・だれか、詳しい方・・・・教えてください。。。