金剛禅門徒の少林寺拳法修行記 -6ページ目

金剛禅門徒の少林寺拳法修行記

金剛禅門徒としての自覚を促すべく旧タイトル「練習日記(仮)」からタイトルを変更しました。

内容は変わりません。

よろしくお願いします。

まただいぶ間が空いてしまいました。



その間少林寺ライフ的にはちょっとした転機もありました。


引っ越しに伴い道院を転籍しました。


12年前に1年ほどお世話になった道院です。


今後はこの道院で頑張りたいと思います。




道院を決めはすぐ決まったわけではなく・・・


色んな道院を見学し、いろいろなつながりもできました。




今回は、そこでご縁のあった道院で学んだことです。





半転身蹴・横転身蹴は2級技(旧科目)で登場する技です。

ともに直蹴に対する返し技ですね。


学んだ方法は「待ち蹴りを蹴らせて、そこに合わせて上記技を出す」と言う方法。


通常、相手から仕掛けてきたときに使うんですが


それだと体捌きのタイミングがむずかしい。。。
(体捌きが早いと相手の蹴りがついてきてしまう)


ちょっと難しい方法ですが、便利だなと思いました。

備忘までに記載しておこうと思います。


※区切りを多くした方が読みやすいかな、と思ったんですが、かなり読みづらそうです。。。








抜技のあと、相手の手をどうしていますか?

連反攻後、律儀に払っていますか?それとも放置ですか?

僕は放置派でやってきました。だって連反攻も決まった後にわざわざ払うって
意味わからんし。。





そんななか、先日道場で、先生の寄抜の相手をさせていただきました。


先生は、払う派でした。



先生の寄抜⇒熊手を右手で受けて、開きさがって復位しようとしたその瞬間!

無意識に引き寄せようとした手をいい感じでパシッと払われ、下がりが相当
遅れました。体制が崩れたんだと思います。


体制の崩れだけでなく、意識としても、抜かれたことで完全に虚になっていた
左手に、払いによって一瞬にして意識を戻される。
三崎先生のお弟子さんと言うこともあってか、いなすようにパシッと払うのでは
なく、半ば弾き飛ばされるように受けられたもので、インパクトは大きかったです。



抜の後の払いにこういった有効性があるということを今まで認識していなかったため、
今後はこの視点も含めて練習に取り組みたいと思います。
お久しぶりの更新です。

引っ越し等々で新しい道場を探してるのですが、どうやら10年前に通っていた
道場に舞い戻ることなりそうです。
(会社からも家からも一時間かかるので通いづらいのですが)


自分は結構癖の強い人間のようなので、受け入れられるかどうかわからない
新しい環境でやるよりはこっちの方が無難かもな、なんて。
先生もとても良くしてくださりますし、ほんとにありがたい限りです。


10年ぶりと言っても、地元に帰るたびに顔は出していたので、少年部あがりの
中学生・高校生も大体しってる顔でした。

今後の目標は自分の成長と共に、こやつらをどう鍛えていくかということに
なりそうです。


現時点では少林寺拳法の道場にありがちな、なよなよ拳士の粋を集めたような
状態になってますので。。。まずは高校生を鍛えるべく、目を光らせております。




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さて、標題の前指固ですがこの前道場で中学生に教えてきました。

僕の中では少林寺拳法の数ある技の中でも最も教えるのが簡単な技です。


大体できてない人の特徴は、前指固めにおいても「手首をひねる」という
意識を持ち続けてしまっているように感じます。



最も「逆小手からの流れを切らずにかけろ」という風に教えるべきであり、
かつ、一般的には「逆小手は相手の手首をひねって倒す」という言い方を
してる以上、むしろ教えをしっかりと守ってるとも言えなくもないですが(笑)
ほほえましいものです。





前指固めにおいて、手首をひねる(手の甲の小指側をねじ込む)という動作は
不要です。大拳頭を攻めて手首を可動域限界まで屈曲させないと示指伸筋を
伸ばせません。

示指伸筋を伸ばすことにより、人差指への圧が意味を持つからです。

(さらに言うと、手首・肘・肩の3点によって構成される平面内で行った方が
 効果的です。この面から体の中心側に外れてしまうとやや効きが甘くなります。
 おそらくは示指伸筋の起始部(尺骨後面と骨間膜)との位置関係が問題かと
 思われますが。。。)


まぁいろいろ実演も踏まえて教えたのでそこそこ伝わったように思えます。


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こんな感じで技を教えてきたんですが、道院で気を付けるべきこととして、技の
理解をしていても基本動作からぐっだぐだという事があるので、腰を落とせとか、
構えをしっかりとか、肘が抜けるなとか、そういう細かいことをぐちぐちいう
おじさんになろうかと思っています。

久々の更新です。


最近若い子たちの練習を見に行かせてもらっているんですが、

標記の件についていろいろと考えさせられます。


端的に言えばひどすぎる。



「昔は~」とか言い出すのもあれなので端折りますが、道場として

活気ある場を保つには少なくとも以下の2点は大事だと考えています。


 ①返事

 ②集合・離散時に走る(だらだらしない)


最近はどうも返事もできない子が多く、集合の号令がかかっても

なかなか集まらないなど、ちょっと残念な気持ちになることが多い

気がします。



積極的に口出ししていい立場なら、きっと相当怒ってますね(笑)


上記の2点だけでもできていれば、礼儀のもつ本質的な意味を

差し置いても、少なくとも道場内での雰囲気は引き締まり「修行の場」

としての体裁だけはとれると思うのですが。。。

(かなり低レベルなことを言ってますが)



あとは精神面ですが『仲間として上下のない関係』というのも確かに

すばらしいですが、『教えてもらう立場として、どのような態度で

接するか』というのもまた重要だと思います。

(これを教える側が求めた時点でダメだ、という考えも当然あります)


所詮道場や部活での上下関係などは、道場・部活外で実際に困らない

ようにするための練習の場だと認識しています。

ですので、「失礼な奴だ!」と怒るまでは行かないものの、このままでは

心配というのが本音です。


技の指導中におもむろに逆小手を誘うように中段を構えられて

「ん(掴んでみろ、ということかと)」とか言われると、若干焦ります。。。




礼儀等について、言う立場は(厳密には)ないのですが、ここまで

ひどくなるとさすがに言った方がいいのかなぁ、なんて思う次第です。

隣の火事でも消しに行け、とか言いますし。


まぁ「隣」ってほど遠くもないんですけどね。

言ってみれば二世帯住宅みたいなもんです。



んー、愚痴ってるなぁ。



武道的な話とは異なりますが、最近どうやら後輩との接し方にムラがある点、それとなく後輩OBから指摘をもらいました。

元々全ての後輩と均一に接していたわけではなかったものの、最近は術科好きの後輩が現れてくれたこと、恐らく来年は大学に顔を出せないのでしっかり技を教えたいこと、などからかなり接し方に偏りがあったようです。


とはいえ、正規練ではまんべんなく教えてるつもりではいるので、あとは自主練に参加してるか否かが大きい気がするんですが。。。みんなもっと自主練しろよと。

まぁ古いOBにもなると、振る舞いひとつとっても影響が大きかったりするので、今後の方向性如何に関わらず気を付けねばと思った今日この頃です。

色々と難しい。

 道場の後輩が乱捕をしていて、先生からいろいろ忠告を受けていました。


 帰りに、その後輩が「先生の言うことができればそれはたしかにすごいけど、でも正直理想論にしか聞こえない」と。



 その言葉を言わせてしまったことに深く反省しています。





 本来であれば、道場の先輩というものは、先生の言う技術を完全にとは言わないまでもそれなりに出来ていて、後輩が成長していくための道しるべ的なものであるべきなのに、大学流の乱捕ばかりやっていて道場で言う戦法をあまりにやらなさすぎた。後輩からみて、先生の技術が到達不可能なものと思わせてしまった。



 やはり、自分のやり方を大事にしつつも、道場という組織に属する以上、それなりに道場の方法を体現できないと、先輩として失格だと思った今日この頃です。



 がんばります。


前回の続きです。


前回は・・・

団演の各組演が合わない理由は①動きが違う ②タイミングが違う の2つに集約されるということを書きました。



 ①の動きがずれている場合、それを合わせる必要性はあるのかと考えた場合、やはりいくつかのレベルに分けられそうです。


 まずは、一方の動きが間違えている場合。勘違い等も含めておかしなところがあった場合です。この場合は団演を通じて間違いや勘違いに気づけたということで、喜んで直すべきかと思います。そうすることで「合う」方向に進むわけです。


 次は、技として許容される幅の範囲内で、ある人はAという方法、またある人は別のBという方法で技を考えており、そのため動きが異なる場合。

 たとえば、屈身受での体捌きの方向などがあるかと思います。


 この場合は、まず動作が違うことをメンバーが認識することが最低限必要で、それすらも理解しないまま「なんで合わないんだろう」とか「あわなくてもいいじゃん」とか言っていては何の成長にもならないかと思います。


 しかし、合わない理由が理解できた上で「じゃあ団演だし、今回はこの方法に統一しよう」ということになれば合う方向に進みますし、「そこは自由裁量でやろう」ということであれば合わないことを自らの意志で許容した(選択した)ことになります。


 これはスタンスの問題ですが、僕個人としては合わせるべきかとは思っています。




 ②のタイミングも①とほとんど同じ話の繰り返しなので若干端折りますが、理屈から外れたタイミングでの動作(突天一の蹴り返しが1人だけ同時蹴りじゃないなど)が理由でずれている場合には合わせなくてはいけません。しかし、理屈の幅の範囲(後の先・対の先などの違いによるもの)であれば、それは合わせるかどうかは団演メンバーの考え方によるものかと思うわけです。



 要は、合う・合わないという表面上の問題に対して、少なくとも上記のことは検討してほしいなという願望が僕の中にはあるというだけのことです。



 僕は頭でっかちタイプなので、こう考えだすと窮屈すぎるのかもしれませんけども。。。




 何はともあれ、誰がどういってこようと自分らのやっているものについて自信が持てることが大事だと思います。上での理屈は、その根拠づけ程度のものかと思います。



長文駄文でしたが、最近上記のようなことを考えたので書いた次第です。


団体演武の指導をする機会に恵まれました。


とはいうものの、「指導」という表現はおこがましく、今まで練習してきて積み上げたものに対して横からちゃちゃを入れているだけの状態ですが。



さて、技術論的な話もいろいろとありますが、今回は団体演武の特徴として、「合わせる」というものについてちょっと思うところを。。。



たとえば8人で団体演武を行い、組演武(2人一組)を4組行う場合、守者・攻者それぞれ4人ずついるわけですから、これら4人が同じタイミングで同じ動きをすることが求められます。「合わせる」とはこのタイミングの一致を

指しています。





とはいえ、そもそも体型も癖も異なるメンバーでの演武ですから、合わせることに対して(評価上の)どれほどのウェイトが置かれているかは不明です。


すなわち『「合わせる」ということをそんなに躍起になってする必要があるのか?』ということに対する疑問が生じます。競技としてはもちろん武としてはなおさら。


合わせようとしてダンスのようになっていくことをいいことだとは思いませんし、そんな練習を強いられる側もたまったものではないかと思うわけです。




じゃあ合わなくてもいいじゃないかとも思うんですが、なかなか微妙なところで、「なんで合わないの?」という逆の疑問が出てきます。


合わない理由を考えますと結局は以下の2つに集約されるかと思います。


 ①動きが違う

 ②タイミングが違う


①は各人の癖や同一の技であっても複数のかけ方がある技などに関して、異なる動きを行っているなどです。足さばきや体捌きの大小もこれに含まれます。

①が原因の場合、そもそもが違うので合わせることは不可能かと思います。


得てして①にずれている理由があるのに②を合わそうとすると悲惨なことになります。


②は連の拍子や、後の先・対の先(後の先の場合は受けてから返すまでの間隔も)などによるものです。①があっていれば実は比較的直しやすい部分かと思います。



これら2つの要因について、「合わすのが是か、それとも非か」という問いがあるべきかと思う次第です。



言ってしまえば考え方次第なのですが、僕は「団体演武」として行うからには一応すべてそろえるのが、出場するうえでの最低限の礼儀かなと思っています。



長くなってしまいそうなのでここでいったん切ります。

続きは多分書きます。









こんばんは。いい感じに更新しています。



武道でも勉強でも仕事でもそうなんですが、人には自分が成長しやすい『型』があるように思えます。


たとえば「自己成長のために!」で伸びる人や「相対的優位に立ちたいから!」と言って成長する人、「人に教えたい!」ということで成長する人、いろいろいるようです。


過去に塾で教えていた時にもそれは心から実感していて、生徒によっては直接教えず、本人が仮に現時点でわかってなくても教える側に立たせて相互の成長を図ったりしたこともあります。



しかるに僕も他人に教えることで成長するタイプのようです。昔から自覚はありましたが。


現在後輩にじっくり技を教えることで、1人で考えていた時にはうやむやのまま残しておいたものがいろいろ整理できて確かに技術が向上しました。


というかそもそも自分が技について検討を行うときは、研究者の気分で人体と向き合いあたかも実験しているように検討するパターンと、人に教える図を想像しながら、自分では自明と思っているものを言葉にして噛み砕いて説明するように理解を深めていくという2つの方法をよくとります。


これが自分にあってるという気持ちからその方法をとってきたわけではなく、いつしか自然とそうなっていたというだけの話ではありますが。



自分の成長しやすい方法論をいち早く発見することこそが効率のよい修行への近道かなと思う今日この頃です。


後輩はいったいどのタイプか。

こんばんは。


技とは全然関係ないんですが、「帯の結び方」について練習中に話題が出たので書きたいと思います。

とはいえ、文章で帯の結び方を具体的に書くのは無理だと思うので、概略だけ。



どうやら帯の結び方といってもいろいろあるようで。。。

今僕がやっている結び方が少林寺拳法の公式の結び方かといわれると、きっとそうでもないのだとは

思います。というか、公式な結び方ってあるのかな?実はよく知りません。



高校時代部活で少林寺拳法を始めた時に習った結び方は、

 ①帯を胴回りに二周巻く

 ②片橋を下から出したら、もう片端は上から出るようにする。(要は一回結ぶ)

 ③両端の長さが均等になるように整える

 ③団子結び


でした。まぁオーソドックスですかね。


正直帯は厚みがあるので、この方法だとよくほどけてしまいました。



大学で習った方法は、②までは高校と同じで、①で帯を二周巻いているため帯が二層ある状態になっているのですが、帯の両端をこの帯の層の間に挟むようにします(詳細割愛)


この過程を追加することで、帯がほどけない状態になるわけです。


この結ぶ方にしてから帯がほどけたことは一度もありません。本当に。



先日、後輩と話す中で「帯がほどけて困る」という言葉があったので、どうやら今現在はこの結び方がうまく伝わっておらず、(おそらく)ただ団子結びしてるだけの状態になってるのかなぁと思われます。今度伝えてあげないと。。。



柔道家の友人にこの結び方を紹介した時は、「柔道では試合中に帯がほどけると、帯を結ぶ時間がもらえて若干の休憩ができるので、これは困る(笑)」と言われたものです。もちろん冗談交じりですけども。



ひょっとしたらほかにももっといい結び方があるかもしれませんね。


なにかいい方法があれば教えていただけると幸いです。