僕は変な外人である 「Ich der verrueckte Deutsche.」 -3ページ目

16話:礼儀正しさはずるい方法だⅢ


僕は待っている間に、日本の色々な事、特に脹れ上がった官僚主義について思索した。明治維新以来、日本は西洋から様々な知識、技術、思想様式等を導入して、それらを改善しながら現代的な国家を築き上げた。近代的な官僚主義もその「輸入品」の一部だった。僕は本来の官僚主義国家の立場から見て、改善された官僚主義を体験していたのだ。

 

戻ってきた署長は、渋い顔で僕を睨みつけた。何か問題があったらしい。再開した取り調べで、署長の英語は前より分かりにくくなった。意外なことに、僕は全て理解出来た。勿論相当な時間がかかった。

僕は、日本に着いてすぐに品川にある入国管理事務所で外国人登録証明書を受け取り、それから渋谷区役所でその証明書を呈示して住民登録をした。ところが区役所にはその書類がなかったのだ。署長は相反する事実で板ばさみになって、権威が大分縮んだようだった。

僕はその機会を素早くとらえて「外国人登録証明書は下宿にあります」と繰り返していった。署長は「じゃ~、行きましょう!」とだけ答えた。

 

二人の巡査に挟まれて下宿へ向かって出発した。署長は後からついてきた。大名行列ではなかったが僕にとって凱旋のパレードだった。下宿に戻る途中、多くの人が同情して僕に話しかけた。僕はそのたびに日本語で、署長にも聞こえよがしに警察と渋谷区役所の非能率的な点を説明した。署長は下宿で僕の外国人登録証明書を見て、機械的に詫びの言葉を述べた。

 

日本の警察に連行されたのは何となく勉強になったが、僕は結局数時間を無駄に過ごさなければならなかった。

将来それを避けるために「日本人の警察官に出会ったら、今後は英語、日本語、標準ドイツ語は使わず、分かりにくい点で鹿児島弁に劣らないプファルツ弁だけで話す。警察官が僕と話したかったら、ドイツの方言を習わなければならない」という誓いを立てた。

 

この誓いを今日までほとんど守っている。

 

 

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15話:礼儀正しさはずるい方法だⅡ

僕が何をいっても巡査は耳を貸さなかった。日本では、融通のきかない生え抜きの官僚を圧力でも常識でも納得させる事が出来ないことが、すぐに明らかになった。仕方なく、黙って巡査に連れられて警察署に行くことにした。どうやら僕は一時的に抱束されたようだった。

 

警察署まで30分位かかった。そこはかなり広い警察署で、20人ほどの巡査が手持ち無沙汰にしていて、まるで僕を待っていたかのように見えた。

 

僕は警察署の片隅で腰を下ろしたまま、暫く待たされた。僕を連れてきた巡査は姿を消し、他の巡査たちは皆知らん顔をして怠け続けていた。遂にイタリアのアイスクリーム屋と海軍大将を掛け合わせたような人が隣室から入ってきた。彼はここの署長で、ほとんど通じない英語で僕を尋問し始めた。

 

僕は順応性に欠ける警察への怒りを一生懸命押し殺そうとしながら、日本語がほとんど出来ないふりをして英語だけで話した。署長も全てを知りたいようだった。彼も前の巡査と同じように下着の色だけには興味を持っていなかった。

 

僕の頑固な態度と署長の下手な英語の為に、尋問は2時間以上もかかった。その後、署長は僕の話したことが真実かどうかを調べる為にまた隣の部屋に行った。

 

 

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14話:礼儀正しさはずるい方法だⅠ

初めて日本の土を踏んでから、すでにかなりの時間が過ぎ去っていた。それでも入国手続きを除いて悪評の絶えない日本の官僚主義を肌で感じとる機会はまだなかった。

ある夏の日、その機会がやってきた。

 

その日、いつものように朝8時頃下宿を出て日本語学校に向かった。幡ヶ谷駅に入った瞬間、一人の巡査が親切そうな声で僕に話しかけた。国籍、趣味、日本に対する意見や印象等を片言の英語で尋ねた。関心を示さなかったのは下着の色ぐらいだった。好奇心の強い巡査をおかしく思ったが、不信の念は抱かずにありのまま答えた。

 

到着した電車に乗ろうとした時、巡査は急に「外国人登録証明書をちょっと見せて下さい!」と柔らかい調子でいった。

 

僕はほとんど毎日、パスポートも巡査の見たがっている外国人登録証明書も、下宿の箪笥の引き出しに入れたまま出かけていた。巡査に真実をいわざるを得なかった。巡査は「急いで取って来ますから5分だけ待って下さい」という僕の言葉を聞き取れなかったかのように、相変わらず親切そうな声で「じゃ~、一緒に警察署に行ってもらわなければなりませんネ!」とだけ答えた。

 

 

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13話:タコちゃんⅢ


いつも僕が食事や映画をおごっていたので、タコちゃんはお返しに僕をどこかへ連れて行きたいと思ったようだ。行き先は千葉県のマザー牧場だった。

 

大きな牧場みたいな農園の経営者たちは、牛の乳を絞ると同時に牛より多い観光客の財布も巧みに絞っていた。食堂もあった。でも食べ物の味は値段の割にまずかった。タコちゃんは、日帰り旅行の失敗で通夜の客のような顔をしていた。

 

僕はタコちゃんの気を晴らす為に、色んな手管を使ってみたがその結果はすべて苦笑に終わった。しくじった旅に喜ばしい結末を付け加えるように、「東京に戻って美味しい晩御飯をたべよう!僕が払うから安心してネ!」といいながら彼女の手を掴んで牧場の出口に向かった。

 

マザー牧場をつまらないと思ったのは、僕ら二人だけではなさそうだった。まだ午後2時を過ぎていないのに、東京行きの電車はすでに呼吸出来ない程人でいっぱいだった。タコちゃんは離れないように僕のズボンのベルトを握ったまま立っていた。 

車内の雰囲気は牛小屋そっくりで、男性たちが髪に大量に塗り込んでいるポマードが、牛糞の臭いの役割を果たしていた。

 

電車に乗って1時間ほど経った頃、突然タコちゃんは僕を両手で抱いて頬を強く僕の胸に押し付けた。「今夜は計画外れの経過を辿るかな~?」と僕は密かに期待しながら、満員電車に揺られる不快感を我慢し続けた。僕が性的な妄想にふけっていると、柔らかいいびきの音が聞こえてきた。タコちゃんはぐっすりと眠っていた。

 

この日は、僕の妄想に反して美味しい晩御飯で終ったに過ぎない。

 

 

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12話:タコちゃんⅡ

それでも文法上の誤りの少ない英語で、自分の経歴をかなりプライベートなことまで話してくれた。兄弟が多く、お兄さんの一人は心臓弁膜症で手術を受けたそうで、先祖代々ずっとフィリピンに住んでいたが、終戦の頃、彼女の両親は日本に帰って徳島を居住地に選んだそうだ。

 

「でも私は純粋な日本人です!」と彼女は紅潮したり青くなったりしながら繰り返した。顔色の激しい移り変わりはビールを飲むにつれて落ち着き、赤みが少しずつ顔全体に広がった。タコちゃんにとっては外人との初顔合わせだった。

 

それ以来、僕らは幾度となくデートをした。一緒に東京で最も美味しいレストランを見つけ出したり、近所の山に登ったり、それから大島のユースホステルで夜を別々に過ごしたりした。

 

「料理が得意です」とタコちゃんは自分の才能をよく自慢した。「男心をとらえるのはうまい料理」という国際的な英知を行動で証明する為に、僕の部屋に来て六品の料理のディナーを作った。あいにくその具体的な証明にことごとく失敗して「例外があるのは規則のある証拠」ということを明らかにした。

腹痛が二日も続いたが、お互いの親密さは増していった。

 

 

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11話:タコちゃんⅠ

僕は次第に新しい環境に慣れていった。下宿の近くに居酒屋、レストラン、食料品店等があって、日常生活に必要な物は安く手に入った。毎月かなりの奨学金を受け取るので、他のドイツ人留学生の非難にさえ超然としていられた。

要するに年30%以上といわれていた当時の日本のインフレは、僕にとってたいした問題ではなかった。生存競争はなんとなく他人事で、僕は旅行、飲酒、美食等の遊びにふけって学生生活をたっぷり楽しんでいた。

 

ある日、早稲田大学が学生に英語を話す機会を与える為にパーティを開くことになり、出来るだけ多くの外国人を集めるために「ビールを無料で飲ませる」という噂が日本語学校内に広がった。喉の渇きに急き立てられて早稲田大学に向かった。

乗り換えの駅は高田馬場といい、その名前の響きで頭に浮かんだのは昔の騎馬隊の訓練場ではなく、年をとって皺だらけになった高田住まいの老女だった。

 

無料飲酒への誘いは万国の留学生の心を動かさなかったらしい。僕以外に西洋人は一人も姿を現わさなかった。

隣の席に若い女子学生が腰を下ろした。がっしりした体格だが不格好ではなく、みんなに愛きょうを振りまいていた。「鈴木タカコと申します。タコちゃんと呼んでね!」と英語で僕にいった。

簡単な挨拶でさえ母国語のアクセントを隠す事が出来なかった。

 

 

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10話:トイレに助けられてⅡ

全然話をしないのも頬を膨らませたまま話すのも失礼だから、トイレにかけ込んで出来るだけ早く逃げ道を見つけようとした。何分間も噛んだ餅をホストの前で吐き出したら、困るのは僕だけではなかっただろう。

 

トイレの中で頑張って餅を噛みくだいても、少なくとも30分位はかかりそうだった。そんなことをしたらホストは何か腐ったものでも出したかと思って、よけい困ってしまうに違いない。そこで、お互いに当惑しなくて済むように、僕は餅を素早く便器の中へ吐き出して水で流した。

餅はすぐに見えなくなったが、暫くすると再び浮かんできた。水を2~3回流してみて自然法則に負けた事が分かった。餅の比重は水より小さかった。

 

さらに窮地に追い込まれた僕は自制心を失い、餅を素手で便器から取り出した。どうしたものかちょっと考えた後、餅をトイレットペーパーで包み、再びトイレに流してみた。ついに餅を処分する試みは成功した。

 

僕を困らせた自然法則をやっと負かしたという安堵で、トイレにつっこんだ手を洗い直す事すらもう忘れてしまっていた。そして、大急ぎで鯨飲馬食の場に戻った。

 

 

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9話:トイレに助けられてⅠ

どこの国民も祖国の料理は最高だと思っていて、作る人の巧さ、美味しさ、消化しやすさ等の長所を雄弁に賞賛する。いうまでもなく、日本人も例外ではない。

 

僕は留学のために東京に着いた後、幡ヶ谷駅の近くに下宿を見つけた。引っ越すや否や家主のお婆さんが夕食を御馳走してくれた。

僕はさまざまな物を食べながら、日本料理を賛えるお婆さんの淀みない弁舌を浴び続けた。天ぷら、寿司、鰻はとても美味しくて、お婆さんの気持ちを感じ取る事が出来た。僕の口に合わないのは餅だけだった。

 

別にまずいとは思わなかったが、噛みくだいても喉につかえるので苦手だったのだ。元旦に餅が喉に詰まって窒息する老人が多い、という話を何度も聞いた事があった。でも断わると失礼だと思われそうで、僕はお婆さんの出した餅を仕方なく不安な気持ちで食べ始めた。

 

餅は大型のチューインガムのようだった。15分間程噛み続けても飲みこみやすい小片に噛み切れなかった。僕のそしゃく筋は、噛みくだこうとする骨折りでやがて力が抜けてしまった。

 

そこで次は、舌で餅を一本のアスパラガスの形にこねて何とか飲み下そうとした。その努力も無駄だった。僕は本当に困った。

 

 

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8話:車内の冒険Ⅱ

外人の国籍を話題にしない人もこの電車に乗っていた。「一緒に僕の家に帰ってウィスキーを飲んだらどう?」とへべれけに酔った人が僕にいった。

 

「家内も喜ぶから…」という言葉で陶然とした心が産み出した招待を強調した。いくら断わろうとしても彼のよけいな親切から抜け出せなかった。

僕から離れようとしない彼の態度は大迷惑だった。

内心では、もう慌てて逃げ道を考え出しながら、酔っ払いの招待を受け入れた。

 

突然、僕の目の前に有望な逃げ道が開けた。彼の家は駒込駅の近くにあったが、僕は渋谷駅で下車するつもりだった。そのことは黙ったまま酔っ払った邪魔者との話を続けた。やがて渋谷に着いた。僕はすでに出口の側に立っていた。乗客が皆下車した後、僕は二枚の扉が閉まる瞬間に電車からホームに飛び降りた。

 

酔っ払いの悲しそうな顔を見て胸をなでおろしながら、押しかけ客をもてなさずに済む彼の妻の幸運を想像した。

 

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7話:車内の冒険Ⅰ


結晶学者のワッテンベルグ君が新しい家に引っ越し、日本語コースの同級生を皆招いてパーティを開いた。

 

スイス料理を食べながら多様な酒を飲むと、僕はすぐに俗世の事を忘れて超然としていられるような状態に落ち込んでしまった。最後の電車に間に合うように夜中頃ワッテンベルグ君の家を出て、千鳥足で駅まで歩いた。

 

ホームはもう人でいっぱいだった。ベンチの上で横になって新聞紙で秋風の涼しさを防いでいる人も少なくなかった。彼らに気をとられていると誰かが吐いたばかりのラーメンを踏む恐れもあったが、どうにか無事に乗車できた。

 

終電の中はポマードの臭いで飽和状態となっていて、始発で帰宅しなければならない事態を避けようとしている酔っ払いで満員だった。世界中どこでも酒は人の口を解きほぐす。僕はアルコールが染みこんだ人たちの好奇心から逃げられなかった。

 

「君はアメリカ人だネ!立川に帰るのかい?」と一人が尋ねた。

「ソ連は本当にダメだネ!」ともう一人がいい添えた。

「違う!」と僕は答えて「中国人ですよ!」

すると今度はソ連とアメリカが侮辱と非難の対象となった。

僕は絶え間なく批判を受けているソ連をかわいそうに思って、次に話しかけられた時は「僕はロシア人です」と答えた。

ロシア人の振りをした僕のおかげでソ連は不当な誉め言葉を浴びた。

 

 

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