26話:ハエ子ちゃんⅠ
バスの中。太く黒い葉巻の煙を深く吸い込んでいる運転手に、僕は貴重な命を任せていた。運転手の喫煙習慣の長さに相当する呼吸の音が、エンジンの騒音をかき消すようにバスの後部まで響き渡った。
クーラーがなく窓も開いていなかったので、バスの中の空気はうっとうしかった。焼け付くように暑い日差しは僕の頭の右側に当たり、額の汗が目に流れ込んでヒリヒリするような感覚を引き起こした。
僕のすぐ前、窓際の席に座っている中年の男性は大きな禿げ頭の持ち主で、禿げ頭の表面に浮かんだダイヤモンドのかけらのような玉の汗が、窓から差し込む日光で輝いていた。完全な禿げというわけではないが、ふさふさした髪は後退して半円を描き、生垣みたいに空地を三方から囲んでいた。歳月とともに彼の額が頭髪の領土へと食い込み、その最前線が後頭部に達しているという状態だった。
艶のない髪の毛とは対照的に、禿げた部分は家具磨きで光沢を出したように見え、そこに当たる日差しが反射して僕の目に入った。何となくまぶしかった。
陽光を照り返す禿げ頭は、道路に空いた数々の穴でガタガタ揺れるバスの動きから期待出来る程には揺れなかったが、両肩の上でダラリとした舞踏を上演した。彼は、浅い睡眠に逃げ込んでいたに違いない。
エンジンの振動は、居眠りも出来ない位に僕の内臓と脳味噌を振り回していた。前に座っている彼と僕の気分には、天地の開きがありそうだった。バスの乗客の中には、少なくとも一匹の家蝿もいた。どこからともなく出現したその家蝿は、ブンブン音を立てながら禿げ頭の上空を元気よく飛び回っていた。
三方をふさふさした髪の毛に囲まれて光輝く禿げ頭が、家蝿の複眼に空港かヘリポートのように見えるのかどうか、それは誰にも分からない。
「どのような休憩所が蝿の立場から見て最適か」という問題に関する僕の見解を無視して、この家蝿は禿げ頭が原則的に適当だと思ったらしく、その禿げ頭の上に軟着陸して(頭着という表現の方がよかったかも知れない)、数秒の間、微動もせずにそこに停まっていた。
ライト級の家蝿に、このバスの不快極まりない雰囲気の中でも安らかに寝られる人の安眠を妨害することなど出来ないのは当たり前だろう。つまり、この家蝿は幸運に恵まれていた。厚かましさの権化という悪評のある家蝿の生死に関わる追跡は、始まらなかった。
(つづく)
25話:語学無力、女学有力Ⅰ
日本人は、他の人種より勤勉さや忍耐力に恵まれている。あいにく、その誉めるべき美徳には語学は含まれていない。日本では少なくとも6年間英語を学ぶ人が多いが、上手に話せる人はほとんどいない。
会社の二人の課長は、語学の分野で典型的な日本人だった。それで僕は、開発本部長から二人に英語を教える任務を与えられた。英語対訳の短編集を買った後、毎週火曜日の晩に英語を教える事に決めた。
授業時間を決めるのは非常に簡単だったが、二人の“学生”を呼び集めるのは解決出来ないほどの問題でいつも20 分前後かかった。そのうえ、課長たちは学童時代に戻ったかのように英語の時間を出来る限りサボろうとした。英語を定期的に教え始めると、出席すべき学会、会議等は火曜日の晩に集中するようになった。
課長たちが嫌な英語の授業を巧く避ける方法を考え出せば出す程、それを見抜く僕の能力も向上した。ギムナジウム卒業まで13年間におよぶ苦しみを切り抜けた僕は、“生徒”の手管には絶対負けなかった。それで、課長たちは再び英語と取り組むようになった。どうやら僕が勝ったらしく、授業は4週間スムーズに続いた。しかし、僕は日本人の忍耐力を過大評価していた。
ある晩、二人の課長は「先週のレッスンを復習していないから、ちょっと困っています。今夜だけ遊びに行きませんか?」と、英語の授業に対する反感をいい表わした。
「会社の経費でホステスのいるバーに行ったら…?」と自分たちの善意を強調していい添えた。僕は逃げ道を見つけられなくて、胸の中で英語の授業にも日本人の忍耐力にも呪いをかけながら、笑顔で悪賢い招待に応じた。課長たちは心の重荷を下ろしてタクシーを呼んだ。
薄明りで美人に見えるホステスに甘やかされて、僕はその晩をたっぷり楽しんだ。しかし、それは課長たちにとって勝利への第一歩だった。カラオケで歌った流行歌は、英語授業の葬送歌になってしまった。
それから帰国するまで、火曜日の晩はいつも女遊びと梯子酒の授業時間だった。
24話:機内の楽しみⅡ
飛行機は500人を乗せて満席だった。乗客の大部分は男性で、隣席の人と話したり新聞を読んだりして、ポーカーフェイスで離陸を待っていた。もう機内のスクリーンでJAL Original Golf Lessonが放送されていた。
離陸のちょっと前に番組が変わって、機首に取り付けたビデオカメラの撮影している光景が見えるようになった。それは空港のエプロンや滑走路だった。離陸すると再び画面が変わった。突然、東京湾に浮かぶ飛行機の胴体と、その回りに散らばっている残骸や救命ボートの中でガタガタ震えている負傷者等が、ワイドスクリーン映画みたいに映し出された。それは事故の経過を詳しく検証する公開討論会で、事故原因となった精神病の機長をめぐる様々な問題を長ったらしく論議していた。
ある専門家の意見によると、日本航空に勤めている精神病患者の数は不明らしい。ということは、僕らが乗っている便の機長だってそうかも知れない。乗客たちは誰もが肝をつぶしたような顔つきをして、ぼんやりと機内を見回していた。彼らは何を考えていたのだろう?
僕が乗った飛行機は一時間以内に無事に着陸した。もしかしたら、機長が精神分裂病の症状を抑える精神安定剤を飲んでいたから無事だったのかも知れない。
23話:機内の楽しみⅠ
6年ぶりに会社員として日本に戻った僕は、住まいが見つかるまで大阪のRoyal Hotelに泊まる事にした。実に豪華なホテルだった。設備には文句をつける所が全くなかった。便器のすぐ側にさえ電話器が取り付けてあった。
部屋と浴室の組み合わせや家具の配置は、お風呂に入っていてもテレビのスクリーンが見えるように工夫されていた。テレビも入浴も大好きな僕にとって理想的なホテルだった。毎朝、僕は一時間程浴槽の中でのんびりとテレビの番組を見た。
ある一月の朝早く、東京湾からの生放送があった。日本航空のDC‐8型の飛行機が羽田空港に着陸する直前に墜落して、かなり多くの死傷者を出したのだ。
操縦室の中で殴り合いが起こり、それに勝った機長は逆噴射を入れた。飛行機はそのでたらめな操縦で滑走路に着かないうちに海に落ちた。原因は機長の分裂病だったらしい。精神病患者が飛行機を操縦したという事件は、数週間の間、政治家の汚職をニュースから押しのけた。
一週間後、僕は出張を命じられた。目的地は東京で、乗る予定の飛行機は日航機だった。日航機で東京に行かなければならないという知らせを受けた僕は、冒険心があるかのように見せかけて大阪空港に向かわざるを得なかった。
22話:さん付け、ちゃん付けⅡ
外人は日本の土を踏むと、すぐ「無礼御免」という特権を与えられる。靴をはいたまま部屋に上がったり、浴槽の中で石鹸を使ったりしない限り、ほとんどの失礼が許される。どうやら日本人は、外人の奇行に対して超人的な寛容に恵まれているらしい。外人が常識はずれの事をした場合、最悪でも無理解な目にさらされるだけだ。
僕も外人としての特権を行使して、親しくなった三人の女性をモルモットに言葉遣いへの反応を学ぼうと思った。
いつもは「美重子」と呼んでいたが、「美重ちゃん」と愛称を使ってみた。
すると「私の事は「美重子」と呼んで。「ちゃん」をつけちゃダメ。もう15才なんだから!」と怒られた。「ごめんね」と謝らざるを得なかった。
「ヨーロッパ大陸を出て未知の文化に飛び込むと、アフリカだけではなく中国や日本でも、あちこちを手で触られる。頭のてっぺんから爪先まで!」と民族学の教授はよくいっていたが、三人の女性にとっても僕の体で未探検の場所はもうほとんどなかった。とりわけ僕の柔らかい髪の毛は、彼女達の指を抗しがたい力で引き寄せたようだ。
ある日、美重子はお姉さん一緒に買物に行った。お母さんは僕と並んで坐っていて、腕の毛を指二本で触って調べていた。僕はそれまで、いつもお母さんに対して敬語を使っていたが、飲酒のせいかうっかり「ひろちゃんの手は奇麗ですネ。」といってしまった。
不思議にも説教を食らわなかった。それどころか彼女は嬉しそうにほほえんで、僕の手を優しく握って何も言わなかった。
変な情事にはまり込まないうちに美重子とお姉さんは帰ってきたが、この時、僕は日本語の矛盾を発見した。その後、「ちゃん」付けで呼ばれて喜ぶ女性に何人も出会い、うっかり「ちゃん」を付け忘れて怒られた事さえある。
21話:さん付け、ちゃん付けⅠ
ある日、知らない人から下手な英語で書いた手紙が届いた。差出人は15才の美重子で、僕の住所を文通クラブに教えてもらったらしい。日本語で返事を出した。
次の手紙もピンクで初回よりずっと長かった。この便りだけで美重子と親しくなって、渋谷駅のハチ公前で会う約束をした。体格に全く合わない学生服のせいでブスに見えた。喫茶店に立ち寄った後、隣の杉並区の高級住宅地に向かった。美重子のお母さんとお姉さんが僕ら二人を待っていた。
どうやら僕は百万長者の娘に出会ったらしい。父親は地方でデパートを経営していて、東京では母親と二人の娘が豪勢な暮らしをしているようだった。三人の女性は僕に国賓並みの待遇を与え、夜中までちやほやし続けた。
その家で、僕が見たのは日本特有の現象だった。
ヨーロッパ男性の目で母親と娘を比べると、母親の方が可愛らしく、魅力的な振る舞いで異性の心を引きつけることが多い。美重子のお母さんは45才を越えていたが、行動や外見は女子大生のようだった。それとは反対に二人の娘は何となく社会人気取りだった。僕は長年の間に「娘がどんなに可愛くても、お母さんの方がもっと可愛い」という親子に幾度となく出会った。
それから、たびたび三人の女性と遊びにでかけるようになり、誕生日パーティもその家で催してもらった。美重子のお母さんは、僕に、こけし、どこかの旅館の浴衣、それからピンクの手袋を贈ってくれた。その後、こけしの手紙をくれて、その意味と使い方も詳しく説明してくれた。
20話:山とようかんⅣ
5分ほど歩くと突然人の群れが見えた。
好奇心に引かれて見に行った。かなり多くの人が円を作って、倒れた老人を見ていた。老人はずっと前から毎年富士山に登っている人で、たった今気を失ったという事だった。僕は割り込んで老人の傍らにひざまずいた。脈をみようとしたが彼はもう亡くなっていた。僕の富士登山が検死で終ろうとは夢にも思わなかった。
又山麓へ出たとたんにパトカーが現れて、警察官二人が僕の方へ走ってきた。そしてお辞儀合戦をしながら僕にお礼の言葉を浴びせ、怪我した中学生の住所、入院先等を教えてくれた。親切な態度は見せかけだけではなさそうだった。
だから僕は「絶対日本の警察官と日本語で話さない」という誓いを一瞬忘れて、高山での事故の全てを語った。
誓いを忘れたことはすぐに実を結び、パトカーで下宿に送ってもらった。丁度日が昇ったばかりだった。その日は学校なんかどうでもよかった。布団に入ると僕は次の朝までぐっすり眠った。
それから2ケ月後、重さ10キロの小包が届いた。
差出人の名前も住所も全く覚えがなかったが開けてみた。敬語に溢れる手紙が入っていた。その解読は、僕の限られた日本語で一時間もかかった。富士山で怪我をした中学生の父母からの手紙だった。
小包の中味はすべてようかんだった。その半分は友人たちに分けたが、残りの半分は帰国するまでほとんど毎日、日本茶をすすりながら少しずつ食べ続けた。
19話:山とようかんⅢ
自分のカメラでも英子のカメラでも、記念写真を何枚も撮った。暗くなる前に5合目で英子に会う約束していたので4時頃に下山を始めた。
その時、5~6人の中学生が半ば走り半ば滑りながら、ゆっくり降りている僕を追い越した。数秒後一人が突き出ている岩につまずいて転んだ。起き上がれず倒れたままだった。怪我をしたに違いなかった。僕は医者の使命感に駆られ、下山を中止してまだ立ち上がれずにいる少年に近付いた。
少年は気を失って寒さで震えていた。山で怪我した人の命を脅かすのは、寒さとショックだ。その被害を防ぐために応急手当てをした。少年の体を暖める為に毛布かコートみたいな物が必要だった。登ったり降りたりしている人達に頼んでみたが、皆僕らの頼みを聞いても知らん顔でそれぞれの目的地へと歩き続けた。
自分達で何とかする他はなかった。少年の一人が助けを求めに9合目まで走って降りる間、僕ら残った者は怪我人の手、足、体を擦って体温が下がり過ぎるのを防いでいた。時間はあまり経っていないように感じたが、なんとか少年を担架で9合目まで運ぶことができた。
ヒュッテの中で少年は正気に戻った。ヒュッテの主人が、無線で警察や病院に連絡した。山麓を歩き出した時は、もう真っ暗だった。怪我人を担架で運びながら、懐中電灯の弱い光を頼りに手探り足探りで道を捜しながら降りた。
富士山は岩で出来た山というより、まるで巨大な灰の山のようだった。2~3分ごとに靴に入った火山灰を出さなければならなかった。足元の石につまずいて、何度転んだか分からない。夜中過ぎにやっと5合目に着いた。救急車はすでに2時間位待っていたらしい。
僕は一人で下山を続けた。深夜の為、最終バスや電車はすでに出てしまっていた。早起きの登山者は、もう山に向かっていた。
18話:山とようかんⅡ
9時頃、5合目に着いた。
雪の帽子を被った富士山は、フィリピンのマヨン山やアリューシャン列島の火山と並んで最も美しい山の一つだ。しかし、夏になって雪が溶けると登山者の目には巨大なごみ捨て場か灰の山のように見える。
富士山の様子は期待外れだった。それでも二人とも元気良く頂上に向かった。上は青空で、足元は火山灰や火山岩ばかりだった。英子は短い足とがっちりした体で僕よりずっと早く進んだ。彼女はカタピラや戦車みたいに山を登った。でも9合目に到着すると頭が破裂する程痛くなって、やむを得ず下山することになった。
僕は、最後のヒュッテでジュースを飲んで元気をつけると、英子のカメラを荷物に入れ、独りで頂上への征服を始めた。
暫く歩くと、10歳の女の子を連れて登っている夫婦の姿が僕の目を引いた。子供の顔は真っ青で、すでに卒倒しかかっているように見えた。
それでも夫婦は登山を続けていた。
子供の状態を指摘すると母親は「頂上まで、もうすぐですネ!」と言い逃れをした。
「高山病で死ぬ人はかなり多いんですよ。特に子供は薄い空気に弱いでしょ!」
と登り続ける夫婦を怒鳴りつけた結果、やっと父親が子供の手を取って下山し始めた。母親は力強く頂上に向かった。
午後3時、山頂に着いた。
17話:山とようかんⅠ
僕は日本に着いてからずっと富士山に登りたいと思っていた。でも、すべての友人は富士登山に関して「一度も馬鹿、二度も馬鹿」という考えだった。だから、富士山に挑戦する機会もないまま一年程が空しく過ぎ去った。
やがて幸運の日はやってきた。あるパーティで英子という活発な女性に出会ったからだ。太った子ではなかったが、足の短いがっしりした体格でクロスカントリー向きだった。知り合いになってから間もなく、一緒に富士山に登る事にした。
英子は時刻表で電車の出発、乗り換えの駅等を詳しく調べて、富士山に挑戦する日を決めた。夜遅く新宿を出て途中で2度乗り換え、翌朝6時頃、5合目から登り出すという計画だった。待ちこがれた晩に計画通り出発して、2時間後に乗り換え駅に着いた。でも、いくら待っても接続列車は来なかった。
もう一度時刻表を見てショックを受けた。接続列車は水曜日以外毎日運行していたのだが、僕らがその列車に乗る予定日はちょうど運休の水曜日だったのだ。
日出子がベンチの上に横になってぐっすり寝ている間、僕は退屈しながら次の電車を待っていた。