朝日新聞内田記者 | All the best for them

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余談。


デヴィスカップのリモート事前記者会見で、記者たちによるケイニシコリ復帰に関する質問に回答したゴウソエダのコメントを、ツイートしていた朝日新聞の内田記者。

ツイッターのプロフィール欄に新たに自己紹介を加えていて、岡山出身、家族が妻と1歳児がいるとのこと。出身は違えど、我が推しと同じ西日本だし、しかも妻と1歳児って、なんだか被るところあるなぁ。。。そして、男だということも判明した。92年生まれで推しより3つも下だ。



ああ、そう、と思いながら、デヴィスカップに関する彼のツイート1連を読む。

だけど、自分が一番引っかかったのは、彼の書いた今朝の朝刊記事。
デヴィスカップのことは割と大きく取り上げられていて、今日の記事の中心はヨウスケワタヌキであった。

その中に、「コロナ禍でスポンサーの多くが離れ、資金を稼ぐ必要に迫られ、目の色が変わった」という箇所があり、自分はとても違和感を抱いた。

こういうことをプロのメディアが書くから、この逆パターンで、それでもスポンサーが離れず多額の収入があるから、目の色が変わらない、と嫌味を書き立てるヘイターが後を絶たない。

これは、妻のせいで成績が上がらず怪我も多いというヘイターの理論に通ずるところがある。
これの逆パターンが、だったら怪我が減り成績が上がれば、妻のおかげか?と説が成り立つのか?というもの。かつて相互フォローしていたユーザーさんが、成績が下がることを妻のせいにするのなら、成績が上がれば妻のおかげ、となるはず、だけども、そうなった場合でも彼彼女らは絶対に妻のおかげとは言わない、だから、成績が下がったのは妻のせい、というのは間違っている、と自論を唱えていて、私もこの説明にものすごく納得している、今も。


そもそもスポンサーが就くのは、対象選手にそれだけの商品価値があるから。人気がありその選手が所属していることで、自社製品の売り上げが見込めるから、だと思う。そしてその価値を選手がずっと維持していくのは選手自身の努力によるものだと思う。試合で戦わずとも、人々の心を魅了し続けるスターであり続ける努力をその選手が磨き続けているからこそだと私は思う。何もせずただ金を食い潰すだけの人に多額の契約金を支払い続けるほどの奇特な会社はありませんで。そもそも目の色が変われば怪我や痛みが一切なくなるのか?って話。プレイできないのは痛みがあるからなのに、そこをまるでサボってるかのように執拗に非難し続けるヘイター。。。根性論を押し付けて人の命を奪うつもりか?もしヘイターの言うことを聞いて再起不能にでもなったら、ヘイターたちはどう責任を取るのだろう?どうせ素知らぬ顔をしてまた新たなヘイトコメントを書き込んでるに違いない。


記者の書く理論で行くと、じゃあワタヌキは、スポンサーが離れるまで目の色が変わってなかったのか?ということになるけども、いついかなる時も最大級のパフォーマンスを求めて努力を払っていたはずだ。
プロ選手なら、スポンサーが離れようが離れまいが、自分にできる最大のパフォーマンスを発揮するため日々研鑽するのは当たり前のこと。ワタヌキの飛躍をスポンサーが離れたことだけに結びつけるのはあまりにも短絡すぎのような気がする。
まぁ、多くの記者は、選手の飛躍をスポンサーやら結婚やら子供ができたことなど、何かに結びつけたがるものだけど。でないと記事にならないものね。




テニスのことを書く記者はたくさんいるけども、自分はこの内田記者の文章には、出会った時からなんとなく引っかかる。