一番辛いのは誰だ | All the best for them

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好きな人と好きな人に関連するあれこれ、好きな物、家族とのことを細々と、時間があるときに綴っています。





















 











タイムラインは回転寿司。好きなものだけピックアップしてあとは流せばよい、と以前タイムラインで読んだことがあったけど、人には目と脳みそがついていて、ピックアップするには、まず見て脳でこれは食べていいかどうかを判断するわけである。見たものは脳に記憶される。

回転寿司のネタを見ても脳に何の影響も与えないけど、人の文章は回転寿司のネタと違い、嫌な思いを人の脳に残す可能性がある。

なので、タイムラインは回転寿司と同様ではない、と私は思う。



見る側が「辛い」?はぁ?こちらには全豪オープンを視聴するかしないかの選択権があるのだから、推しがいなくて見るのがしんどければ、視聴しなければいいのでは?
視聴者の抱える「辛い」思いまで推しのせいにされちゃあ、推しはもう何もできなくなってしまう。
私は、推しのいないテニス界は虚しいだけなので、全豪オープン公式もJoseもミュートにした。


だいたい。
アジアのスラムをプレイできない本人こそ、一番辛いはずなのに。
本当、おかしいわ。自分の気持ちで何とでもコントロールできることですら、推しのせいになってしまうのだから。



ツイッターは何でもかんでも吐いていいところかもしれないけど、推しが見ていると思えば、吐く言葉も自ずと変わる。推しの名前をプロフィールに書いてるんだったら、推しに読まれている、という心構えを少しぐらい持てばいいのに、と思う。推しへのラヴレターという思いは、ユーザーにはないのだろうか?その心構えもないのに、なぜ安直に推しの名前をプロフィール欄に載せるのか、わけわからん。