これを早く読みたかった。
次の大会の予定を聞かれて「手首の不安」を明かしたのですね。
コルダ戦のプレイの感触が悪くなかったことはよかったけど、やはり肝心要なのは、ケイの手首を含めた身体の状態。プレイの質は場所が変われば上がることもあると思えるけど、身体だけは場所には左右されない。
ニッカンは「右手首」を強調した見出しで、敗戦の言い訳にすんなとのたまうアンチのアクセス数を稼げて本望だっただろうなぁ。
テニクラの記事を読む限り、まずセビ戦の感想を述べた次に手首のことを明かしてるから、試合敗戦の言い訳に手首痛を用いているのでは決してないのにね。
見出しのつけ方による印象操作。
テニクラ一問一答の記事を読む限り、ウィンブルドンヘ前向きな思いを持っていると自分は感じた。タイムラインや錦鯉は、WBは欠場しても、と相次いでコメント述べていたけど、自分はいつだってケイの思いを第一に尊重したい。
見る側はどんなに逆立ちしたって、ケイの代わりに激しいトレーニングをすることも、ヤフコメ民の非難の矢面に立つことも、痛さを辛さを重圧を背負うことなどできやしないのだから。
ケイにあああせよこうせよと指図するなら、彼の背負っているもの全てを肩代わりしてから指図すればいい。彼の人生をそっくりそのまま歩んでみせてから、説教すればいい。己の趣味として推しを責め吊し上げるのは許しがたい。おそらく自分の心の安定のために、予防線を張っているのだろうけど。
だったら静観すればいいじゃないの?
何が起きても彼について行くという心構えができていれば、わざわざ、自分の描いた赤の他人である推しの未来予想図を推しに指図する必要はないのでは?
いや、違うか。自分の見る限り、日本の大半の「ファン」とやらは、何があっても推しを支持するという心構えがモットーではないもんね。自分の思い通りに推しを動かしたい、そっちをモットーにする日本の「ファン」の方が多いように感じる。こちらが観戦料を払っているのだから、こちらの言うことを聞けと偉そうに。嫌ならファンでいる必要なんてこれっぽっちもないのに。むしろ向こうの許可なく自分の意思のみでファンにさせてもらってるのに?好きでいさせてもらえてる身なのに、なんで謙虚にならないのか。
誰かの夫や妻や恋人になるためには、その人の好意を得なければならないが、相手の好意を得ることなくこちらはファンでいられるというのにこの横柄さ、謙虚さの欠如。ファンというのは水戸黄門の印籠か?
どうかどうか痛みが少しでも軽減しますよう。。。ケイの思いが叶いますよう。。。