アルゼンチンOP公式サイトよりKei Nishikori:lejos de los flahes | All the best for them

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好きな人と好きな人に関連するあれこれ、好きな物、家族とのことを細々と、時間があるときに綴っています。





















 

今朝のまだ夜中、

アプリに投稿が入りました。

グランドスラム決勝前の、誰が優勝するでしょうか?

恒例のアンサークエスチョン。

オリーかな?まあ何でもいいや…

こういうのを投稿するってことは、

もう立ち直って、大会を客観視出来てるのかな?

もしかしたら、テレビで観戦してるのかも?

と正直ホッとしたんですよ。

でも、このタイミング…

もしかしたら又何らかの批判が起こるかも?

と少し懸念しながら再び布団の中へ…

朝起きて、用事を済ませたら、

親切な女神さまがチャットに来てたよと

教えてくれた~。ありがたや~。

投稿後しばらくしてからチャット部屋に来たみたいで、

フロリダからちょっとご挨拶、と

一文だけ残して去っていったみたい。

その後、

もしかしたら前回みたいに当選者にプレゼントでもあるかも、と

とりあえずポチして、ついでにコメント入れておこっ、と、

ページを開いたよ…

ガーン。気落ち…また出くわしてしまった…

ネガティブコメントのオンパレード…

こんなアンケート意味あるのか?

ディミの試合には感動した。

メンタルが全然違う、ラケットも投げてなかった…

負けてもきちんと挨拶しサインした…

人間的に素晴らしい、

もっとストイックになれ、

生活環境を見直せ…

はー、きっと来るだろうなと思ってたが、

これが世界トッププレイヤーにかける言葉?

自分が好きで追っかけてる人に対して、

こんな言葉投げつける神経、疑う…

まあ、アプリの中のディミへの称賛は隠れ蓑、

本音は恋人への不満の腹いせの場合が多いか…

自分の思い描いた女性と付き合ってくれないケイを嫌なら、

さっさとアプリから出て行けばいいのに…

ディミはいろいろ要らないものを整理していって、

今テニスとグラマラスな彼女が残ったというわけでしょう。

ケイの要らないものって?

一部の人にとっては彼女の存在なのかもだけど、

ケイにとっての要らないものって、

実は彼に固執するクレイジーな連中なんでは?と思う…


ケイが今度出場するアルゼンチンオープンの公式サイトに

ケイに関する記事が1月21日に上がってました。

スペイン語を英語に訳して、その上で和訳しました。



ケイニシコリ:フラッシュから離れて


http://argentinaopenatp.com/atp/es/content/kei-nishikori-lejos-de-los-flahes


集中を失わないためにケイニシコリはアメリカへ移ることを決めた。

単独会見でこの日本人は国から離れて住んでなぜ快適なのかを

話してくれた。


ジュリアンポロ ブエノスアイレス1月21日 2017年


彼が人生で初めてアメリカの地に踏み入れたとき、

寂しさとは対照に幸せを感じていた。

かのIMGアカデミーでトレーニングすることを許可する奨学金を得た。

当時13歳の日本人は英語を話せず、

ルームメイトとの会話は成り立たなかった。

数年を経て状況は変わり、常夏のフロリダが彼の住み家になった。

なぜランク5位の彼は、故郷を離れてブラデントンに居を構えることを

選んだんだろう?


大手電機メーカーソニーの創立者モリタアキオ氏による奨学金を受け

ケイニシコリは世界で最も有名なテニスアカデミーに入った。

島根で生まれた27歳はニックボロテリーの学校…卒業生に

アンドレアガシ、ジムクーリエ他のテニス選手がいる…に来たとき、

英語が話せなかった。

意見を発することが出来なかったのだ。

「最初は大変だったが少しずつ言葉を学び始めた。

僕にとってよかったことは部屋に友達がいたこと。

5,6人の仲間と同じ部屋で、英語を学んで話させようとしてくれた。

英語はうまくなかったけど、とても楽しかったのを覚えている」

とニシコリはアルゼンチンオープンサイトに話してくれた。

後、シュウゾウマツオカにまつわる「プロジェクト45」で、

この日本人はブラデントンで知られるようになる。

シュウゾウマツオカは世界ランクが45位だった日本人である。

「少しジョークのような始まりだったけど、

IMGアカデミーのチームはすぐに真剣に取り組んだ。

子どもの頃は世界で45位になるのは無理だと思えたけど、

大きな目標ではあった。それが近づいたとき、不安になった。

ヒューストンの決勝でプレイしたとき、

勝てば目標を達成するんだけど負けてしまった。

一度壁を破ってしまうと全てが早く過ぎていったんだ」

とケイは言う。

彼は2月11日から19日までブエノスアイレスでの

アルゼンチンオープンに出場するのだ。


彼のアルゼンチン人コーチ、ダンテボッティーニが、

恐ろしいことと表現する出来事は、2011年に起こった。

ニシコリは上海マスターズで準決勝に進出し、

日本人最高位になったのだ。


彼のランクは瞬く間に上がった。

2012年、世界20位、2014年にはトップ10になった。

この素晴らしい結果は、日本での名声と高評価を呼んだが、

彼は普通の人ではいられなくなってしまった。

このことで彼はアメリカ滞在を楽しむようになってしまったのだ。

彼は母国がこんなに奇妙な場所になるとは思ってもなかっただろうに。

彼は母国を愛している。実際にニシコリは、

「将来再び日本へ移りたい」と答えている。

しかしキャリアを発展させるために、

アカデミーからちょうど5分の距離に静かに住むのを選んだ。

アメリカに住む快適さを選んだのだ。


2,3年前にニシコリの代理人オリバーバンリンドンクは、

日本に到着する日は普通明かさないと話した。

加えて、ホテルの予約を取るときは架空の名前をよく使う

と言う。

報道陣や多くのファンに追っかけられるのを防ぐためだ。

この激しい追っかけから人目につかないようにするために、

エアケイ…

彼が空中で打つ、両手からのバックハンドやフォアハンドから

つけられた彼のニックネーム…そのエアケイが、

英紙「テレグラフ」に語ったところによると、

眼鏡をかけ、帽子をかぶり、マスクをしないといけないというのである。

「僕の家はフロリダ・ブラデントンにある。

テニスシーズン中にそこに住むのは素晴らしい。

集中させてくれるし何もかも表に出ない。

ここでは誰も僕を悩ませない。

日本は今やクレージーな環境だ。

外出すれば人々が行く先々で僕を追っかけてくる。

少しの期間滞在するのは楽しいが、

トレーニングやテニスに集中するのには、理想ではない」

ATPツアー11勝を上げている彼だが、

1年に3週間しかアジアにはいない。

一言で言えば、暑いフロリダは、彼のプロとしてのキャリアを

発展させるために快適にふるまえる場所だ。

フラッシュから遠く離れ、何よりもまずコートに近いのだ。



ところで、

これも日本時間の夜中にアップされた

オージーオープン期間中のATPによる質問。

"What makes you happy" あなたを幸せにするもの


https://www.youtube.com/watch?v=MIfPWqC7Qcc&t=2s


間髪入れず笑顔で、

" To win a match, of course, or win a tournament.

You know that's what I'm doing for all these practice

and training session.

To win a match that's when I get really happy".

(試合に勝つこと、もちろんさ、

もしくは大会で優勝すること。

そのためにこんなに練習してトレーニングしてるんだから。

試合に勝つこと、そのとき僕はとても幸せなんだ)

と答えたニシコリン。

あ、やっぱり勝つことへの飽くなき欲望は持ち続けてるんだと

改めて思いました。

その気持ちがある限り、ケイはこれからも進化し続けるでしょう。