JEF審査の基準についての私見
最初にお断りしておきます
この記事は私が思っていることであり
一般財団法人ヤマハ音楽振興会の規定など
全てのヤマハの決まり事とは全く関係ありません
ヤマハ、JEF・ESに限らず
どんなコンクールでも審査は大体複数
そして条件が許せば奇数の人数で審査します。
この意味はお分かりでしょうか?
基準がはっきりしていて、数字化でき
誰の目にもはっきり見えるものがあれば
こういったことは必要ないはずなのです。
ましてエレクトーンの審査はクラシックやポップスなど
様々なジャンルの音楽をひとつの土俵の上で
評価します。
規定時間我から外れれば「 カット 」して演奏する
というのも他では見かけません。
しかも「 エレクトーンのために書かれた曲 」
という物が極めて少ないですから
なにがしかの音楽をある意味
「 無理矢理 」エレクトーン一台で演奏したものを
審査します。
また小学校低学年という1~4年生という幅の年齢を
ひとくくりに審査するコンクールもまた少数です。
この状態でどの審査員も同じ結果を出すことなど
ありえないと私はおもいます。
よってその時の審査員が何を大事だと思っているか
これに審査結果が左右されるということは
当たり前だと思います。
・ミスができるだけ少ない事を良しとする
・年齢を鑑みて演奏レベルが高い曲を弾いた事を評価する
・弾いた曲の解釈を間違えないことを良しとする
・個性がでている演奏を大事にする
・聴衆に訴えかける力が他よりあったものを評価する
……
列挙すればまだまだあるでしょう
色々ある審査のポイントの中で
どれを一番に据えるかはその日の審査員によって
絶対違うはずです。
それぞれの要素の判断の割合も違うでしょう。
この傾向を「 好み 」をいうことばで表現するのは
私は好きではありません。
全ての人が同じ判断をするのであれば
「 演奏家 」はたった一人しか必要ないからです。
例えばショパンを日本人が弾いていいのだろうか?
という話にまで発展するかもしれません。
横道に逸れました。
一応、私が考え得ることを列挙しておきます。
1:音楽的解釈が間違っているものは
どうしても評価がさがります
ポピュラーならアフタービートの曲を
1拍目にアクセントをつけて弾き続ける
クラシックなら時代と楽式を無視した演奏をする
などです。
漢字の書き取りと比べたら乱暴でしょうか?
同じ読みでも違う意味の漢字はたくさんあります
似て非なるものは「 似非 」と言います。
2:不必要な振り付けは意味がないと思います
尊敬するピアニストであり指導者である
黒河好子先生の
この研修を受けたとき身体は全て
「 思い通りの音で思い通りの演奏をする 」
為にだけ使うのだと確信しました。
全身を音楽表現のために使ったら
「 振り付け 」に回す余裕などどこにもないからです。
3:テクニックの誇示で終わった演奏を音楽と言えるでしょうか?
音楽はことばと同じで何か伝えたいことがあって
書かれています。
それはご本人のオリジナルでも同じでしょう。
ただの再生マシーンのような演奏には魅力を感じません。
というより私には
「 それでは何故自己表現の手段に演奏を選んだのか 」
ということが分からないからです。
上手、テクニックがあると誉められたいのならば
音楽でなくてもいいでしょう?と思います。
音楽はあくまでも自己表現であり
自分の「 気持 」を「 音楽とエレクトーン 」を通して
他の人に伝えないと存在意義がないと思っています。
「 伝えたいこと 」が感じられない演奏ほど
空しいものはありません。
厳しいと思いますが私は自分が関わる生徒さんに
いつも言っています。
「 どうしても次の大会に進みたかったら
誰より練習して、誰より感性を磨いて
しかも本番
誰よりもミス無く正しい演奏をして
誰より聞いてくださる人を感動させる演奏をしなさい 」
と……
かつて私も学生時代コンクールにエントリーして
若かった私は結果に納得できないこともありました。
それでもそれが結果なのです。
出された結果に満足がいかなければ
どんなことをしても自分のレベルアップをはかるか
その土俵を去るしかありません。
でも以下のような場面に遭遇したこともあります。
エレクトーンコンクールの本選の録音を聴いて
こんな曲と演奏が存在したのかと驚愕したのです。
平部やよい先生の「 ラプソディ・オン・GX 」です
またインターナショナルエレクトーンコンクールを
毎年聴きに行っていた時
ファイナルで聴いた松本惇一さんのオリジナル
「 アイアの祈り 」の曲と演奏に戦慄しました。
ここ数年のグランプリの中でも多分誰より優れているだろうと
居合わせた他の講師も皆思ったと言っていました。
そう
色々な意味で全てに於いて秀でていれば
結果は皆が納得するものとなるのです。
でも、一人一人秀でている場所が違うと
聴く人によって出された結果の受け止め方が
違ってくると思います。
まとまり無く、長くなりましたが
所詮、芸術に順位をつけることはできません
無意味かもしれません。
唯一意味があるとすれば他の方と自分を比べて
「 劣っているところ 」を確認し
それをこれからの練習と演奏に活かすことにのみ
理( ことわり )が存在するのではないでしょうか?
私のコンクールに対する思いを書かせていただきました。
反論もおありだとは思いますが
私も数々の現場に居合わせてきました。
ご質問や疑問をくださる方が抱えていらっしゃるだろう以上の
経験を経て、尚、今言えることはこれだけです。
参考にならないかもしれませんが
ここに記録として残させていただきます。
MAMI 拝