「日本には感謝しかない!!」その時以来、日本は常にボン・ジョヴィを信じてくれてきたんだ | truth-of-japanのブログ

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世界的ロックバンドボン・ジョヴィの公式Xが

日本時間2023年12月14日に更新され、中山きんに君へ感謝のメッセージを送りました

12日発表されたレコチョク年間ランキング

2023の洋楽ランキングで、中山きんに君がネタ中に使用していることでも知られるボン・ジョヴィの楽曲

 It’s My Lifeが1位を獲得

これを受け、ボン・ジョヴィの公式Xは

 It’s My Lifeがレコチョクで1位を獲得と報告

さらに中山きんに君のおかげだよありがとう

これからも良いトレーニングをと

中山きんに君へ感謝のメッセージを送りました

この思いがけない投稿に中山きんに君は「筋急速報」と題して

自身のXを更新し「ええー?なんとボン・ジョビさんの公式アカウントにて僕へメッセージをしていただきました」と

喜びを爆発、続けて「レコチョク2023洋楽ランキング第1位おめでとうございます」と祝福し「いつもボン・ジョヴィさんの It’s My Lifeを使わせていただき、

ありがとうございます」とボン・ジョヴィへ感謝を伝えました 

ボン・ジョヴィは今年結成40周年を迎えます

ジョンによると「あけましておめでとう 40周年を祝う2024年には皆さんのためにたくさんのことを用意しています」とのコメントをXに投稿しました

今年2018年以来の来日はあるのでしょうか

ボン・ジョヴィは1984年、西武球場で行われた日本初のヘビーメタルロックフェスティバル「SUPERROCK84」で初来日

このステージがヘビーメタルという枠を飛び越え、世界的な

スーパーバンドに上り詰めるまでの第1歩となりました

「もちろん覚えてるよ僕らの出番は午後の1時くらいだったんだ

SCORPIONS、MSG、ANVIL、ホワイトスネイク、そしてニュージャージー出身の小さなバンド、ボン・ジョヴィさ」

そのとき、今に続く素晴らしい友情を築けた

レコード会社も40年後の今もその時と一緒

SCORPIONSともホワイトスネイクとも

彼らの当時のマネージャーが僕らのコンサートプロモーターになったしね

良い思い出がたくさんだ」

実際、投稿主も当時ビデオで彼らの演奏に触れたのですが、

ホワイトスネイクのコージー・パウエル目当てだった

にもかかわらず、「前座のバンドすごくね?」と

大きな話題になったのを鮮明に覚えています 海外アーティストとしては、最多の国内

スタジアム公演回数を誇り、初の5大ドーム、東京、大阪、名古屋、札幌、福岡ツアーも達成しました

「こうした記録は誇りに思うこんな嬉しいことはない 

日本を心から愛しているという僕の言葉に嘘はないよ」

実際にそんな彼らがどのくらい日本が好きなのかは

ツアーのスケジュールなどをチェックすれば

すぐに分かります ツアーのスタートまたはファイナルは

ほとんど日本で行われています

通常、母国の出身地などからツアーがスタートするケースが

ほとんどであるにも関わらず、

彼らは日本を選び続けています CDのリリースなどにおいても、ほとんどが日本先行発売となっています

また、日本でしか発売していないボックスセットやDVD

グッズなども少なくありません 

デビューアルバム「夜明けのランナウェイ」が日本でゴールドディスクを記録し、

欧米に先駆けて人気に火がつきました

「その時以来、日本は常にボン・ジョヴィを信じてくれてきたんだ

流行やブームはやって来ては廃れるものだその過程でたくさんのバンドが姿を消した

でも、どんな時も日本のファンはいてくれた

みんなの人生の一部に僕らをさせてもらえたこと、どれだけ感謝してもしきれないよ

これから先まだ何年もそれが続くことを祈っている

ファーストアルバム、セカンドアルバムが

日本で大ヒットしたことから、ようやくアメリカでも注目を浴びるようになります

セカンドアルバム「7800°ファーレンハイト」では発売に合わせて日本公演を行いました 

チケットは全てソールドアウトという人気ぶりでした

デビュー後、生活が一転したことにより、メンバー全員が

アルバム制作開始前に離婚やガールフレンドとの別離を経験

寂しさや別離について歌った曲が多いのは、

その背景が影響しているそうです

また、「TOKYO ROAD」はデビュー間もない

ボンジョヴィを熱烈に歓迎した日本のファンに捧げられた曲で、イントロ部分にお馴染みさくらさくらのメロディーが使用されています

そして、バンドの人生を変えた1986年の名盤

『Slippery When Wet』で、ようやくアメリカでも大ブレイクしました

世界的に大ヒットしたこのサードアルバムにも日本だけのエピソードがあります 

 

先の2枚の大ヒットを受け、日本での先行発売が決まっていました

しかし、発売直前になって、このアルバムのジャケットにクレームがついてしまいます 女性の胸元のアップの写真でしたので、当時としては刺激が強すぎたのでしょう

そこで急遽ジャケットを差し替えることになりました 

先行発売となっていた日本ではもう出荷が始まっていましたので、差し替えが

間に合いません 結果として、日本盤だけが他の国とは違うジャケットで売られることになったそうです

この日本限定ジャケットのものは、今や世界のボン・ジョヴィファンの憧れとなっており、わざわざ日本まで買いに来てしまうファンもいたといいます 

写真家マーク・ワイスがこのアルバムのために撮影した写真にまつわる論争についてポッドキャストビデオで語っています

「彼らはアルバムを完成させて家に帰っていたが、アルバムのタイトルはバンクーバーのストリップクラブにインスパイアされて『Slippery When Wet』に変更された

ビーチで写真を撮って新しいアルバムタイトルの入ったシャツを着た

女の子たちにポーズを取ってもらおうというアイデアだったんだ

ジョンは、当時、ニュージャージー州ブラッドリービーチのビーチの真向かいに住んでて、

そこで撮影を行った 男たちはみんな車やバイク、そして女の子を連れてやってきた

もう少し女の子が必要だったので、通りの向こう側まで歩いていって何人かひっぱってきた

アシスタントのダニーは注文通りの女の子を連れてきてくれた

「アンジェラ」という名前のイタリア人のホットな女の子だ

この子がジャケットの女の子だ

そして石鹸と水を持ってきて、洗車パーティーを始めた

その写真はアルバムのジャケットに収められた」

リッチーは「フォトグラファーがビーチを歩きながら ねえ!

アルバムのジャケットのモデルになってみない?

と勧誘して歩いて回ったのさ」と語っています

「アルバムは完成した 

レーベルは20万枚の『Slippery When Wet』

に濡れたTシャツを着た彼女をプリントしてくれた

すべての準備は整っていた」 

無事、正式なアートワークが決まったかのように

思えたところで問題が発生します

なんとレコード会社はマークが撮影したアンジェラの写真に

よりにも

よって、ド派手なピンクのフレームを採用したのです

ジョンは「こんなピンクのアルバムジャケットを出したら、

俺たちのキャリアはそこで終わりだ」と猛反対したそうです

ところが、すでにこのデザインである程度印刷工程が進んでおり、

最終的には日本盤の多くはこちらでリリースされることになります

また、別の問題はアメリカ国内の事情でした

「しかし、これは1986年のことで

PMRC(規制団体のレンツミュージックリソースセンター)が

本格化していた

レコード店は露骨な内容やイメージを緩和しないとレコードを売らないとレーベルを脅していた

ポリグラム・レコードはせっかくの大ヒットアルバムを

危険にさらしたくはなかった

そこで俺たちは白紙に戻って別のジャケットを作ったんだ」

当時、CD・レコードの売り上げに非常に大きな力を持っていた

CDショップや大手スーパーマーケットチェーンは

こういうセクシーなジャケットを拒否する可能性が高く、レコード

会社としても急いで代替案を模索する必要があったそうです 

ジョンはピンクジャケが嫌

レコード会社は何としても、小売店で売りたい

しかし、こんな状況の中でも当然締め切りはやってきます

明日までに新たなアートワークがなければ、

アルバムのリリースは延期だとレコード会社から告げられた

ジョン再び地元ニュージャージーのスタジオで

マークさんと合流し、

ギリギリ急いで撮影されたのがあの

素っ気ない黒いジャケットでした

黒いゴミ袋に水をスプレーし、そこに指で描かれた

 Slippery When Wetの文字

メンバーの姿すら写っていません

しかし、この地味なアートワークとは関係なく、

 Livin' on a prayer や Bad name が超ヒットとなり、最終的には2800万枚を全世界で売り上げます 

例のピンクフレームのセクシージャケットは当初、日本で30万枚が販売され、刷り上がっていた50万枚分のアートワークが出荷されることなく、

マーキュリーレコードの手によって処分されたそうです 

「ジョンがニューヨークの俺のスタジオに来たのは、新しいジャケットを考えなければならないというニュースの直後だった

彼はただ俺に「ゴミ袋」「スプレーボトル」といった俺はゴミ袋を立てかけてスプレーを吹きかけ

ジョンは Slippery When Wet という文字を書いた

「これだ これがカバーだ」彼はポラロイドを見るのもまたなかった

翌日、俺は写真を届け、それから歴史が始まった」

 とマークは語ります

こうして世界的モンスターバンドに成長した今でもボン・ジョビの深い日本愛は変わらないようです

ボン・ジョビの日本での活動は音楽だけにとどまらないのです

社会的な活動も積極的に行う彼らは1995年の阪神淡路

大震災の時にはチャリティーコンサートを行い、義援金を寄付

2011年の東日本大震災でも復興支援のためのチャリティー

アルバム「SONGS FOR JAPAN」に曲を収めたりもしています

また、震災直後にはニューヨークのライター中村明美さんが直接ジョンから「日本人ですか?」と問われて「そうです」と答えると、以下のメッセージを何とか日本のファンのみんなに広めてほしいと頼まれたそうです

「今、日本で起きていることが本当に心配で仕方がないんだだからどうか日本のみんなに伝えてほしい僕は日本にすごくたくさんの友達がいるし、そのうちの何人かには実際に連絡を取って無事を確認したくらいだった幸い、彼らは東京にいたから大丈夫だったんだけどね

僕らのバンドは日本にはおそらく30回、またはそれ以上訪れているから、日本との関係は本当にすごく長いものなんだ

本当に素晴らしい友達がたくさんいるし、本当に僕らを長い間応援してくれた

ファンがたくさんいる だから、僕は彼らのことが本当に心配で仕方がない

MY HEART GOES TO THEM!それにできる限り、早く僕は日本のファンのために必ず特別な何かをやろうと計画しているんだ本当だから絶対に」

さて、そんなボン・ジョビが発表した

最新フルレングスアルバムは2020年にリリースした『2020』です 

ジョンは先行リリースされたシングル曲

『Do What You Can』について、「まさにタイトルどおり 人間普段やっていることができないときはやれることをやるしかないと思ったんだ」

自身の運営する飲食店で皿洗い中

妻のドロシアが撮影した写真のキャプションについての会話の中から

着想が生まれ、翌日には曲が誕生したといいます 

「ボン・ジョビの最新

 アルバムが伝えようとしているのは、オプティミズム(未来への明るい展望)だこの曲はまさにその精神を表しているのさ」

世界最多の感染者が出た米国でジョンの周囲も容赦なくコロナ禍に見舞われました

キーボードのデビット・ブライアンが感染検査は受けていないが、3月に体調不良だった次男も感染の可能性があったといいます

予定していた世界ツアーも断念し「コロナがすべてを停止してしまった」

しかし、そのオプティミズムで発想を転換したジョン「それならば、レモンからレモネードを作ろうつまりあるもので何かを作り出そうということだ おかげでアルバムに加える新曲を書く機会に恵まれた家族や親しい友人たちとゆっくり過ごすことや自分を振り返る時間ができた」と語ります

世界中が未知のウイルスで大混乱となるなか、ロンドンの地下鉄や公園で、またシカゴのアパートでは人々が窓を開けて代表

曲Livin' on a prayerを合唱する動画が注目を集めました

日本でも盆踊り大会で同曲に乗って踊る動画が拡散し、

ジョン自らいいねを付けました「何よりもまずこの曲を歌ってくれた世界中のみんなに感謝したいよ

僕自身が音楽ファンだから分かるんだ

人間は音楽を通じて人とのつながりを感じると、それはどんな音楽でもいい何人かが集まり、ハッピーバースデーだっていいんだ 

声を合わせて歌う音楽は僕らの心を慰めてくれる

音楽を超え、国境も信仰も超え、人をひとつにしてくれる

こういう困難な時期に僕らの曲が

そんな風に人を一つにできているのだと知り

何なんて自分は幸運な人間なのだろうと

思わずにはいられないよ」と語っています

さて、この2020を含め、2016年以降の作品にボン・ジョヴィをジョンと共に支え続けた

リッチー・サンボラの名前がありません ファンの方々はとうにご承知かと思いますが 

リッチーは4月2日のカナダカルガリー公演からバンドに不参加となっていたのです 

リッチーについてジョンは

「もうやめたんだよリッチーはもういないんだ でも悪い感情は全然ないよ

バンドをやるのには何も終身の義務じゃなくてもいいってことだよ」 と述べています

ジョンは「まずはニューアルバムを聴いて楽しんでほしい

また、『日本に行くよ』と言える日が早く来ることを願っている

それまでは心の中でみんなのことを思っているよ

安全で、健康でいてくれ」 

と呼びかけました 熱狂渦巻くライブ空間で世界のアンセムとなった Livin' on a prayerを

再び大合唱する日を多くの日本人が待ち望んでいます