「石川佳純さん、今まで私たちに与えたすべてに感謝します!」と福原愛さんに言わしめた石川佳純さん | truth-of-japanのブログ

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卓球の五輪3大会連続メダリストである石川佳純さんが
2023年5月1日
23年間の現役生活から退くことを表明しました。
"自身の公式サイトを通じて、
日本語と英語で発表したほか、ファンが多くいる"
中国のSNSサイト微博(Weibo)にも投稿。
4月18日にあった「WTTチャンピオンズ・マカオ大会」


"2回戦で東京五輪女子シングルス金メダル、
中国の陳夢選手に"

1-3で敗れてから10日余りで下した決断に
今も国内外から惜しむ声が続出しています。
"この動画では、石川佳純さんの偉業を
振り返るとともに、 "

"石川さんが「誰からも愛される」理由
について詳しく見ていきます。 "


石川佳純さんは小学1年生から
本格的に卓球を始め、小学6年生で出た
"2005年の全日本選手権女子シングルスで
3回戦に進出し、"
「愛ちゃん二世」と脚光を浴びました。子どもの頃は
"土日だけで50試合こなすこともあるほどの
”試合好き”でした。"
2007年の全日本選手権では史上最年少の13歳
11カ月での4強入りを果たし、その直後に14歳で
日本代表に抜擢されました。台から少し離れた

「中陣」でラリーをしながら機を見て豪快にコースを突く
王道スタイルで日本のトップに上り詰めました。 
素顔は清楚な印象通りの謙虚な性格だといいます。
"しかし、ひとたびラケットを持てば、
自ら得点を奪いにいく"
"攻撃的なプレースタイルを貫き、
世界と渡り合ったのです。 "
"2012年には平野早矢香、福原愛と出場した
ロンドン五輪女子団体戦で"
日本卓球史上初のメダルとなる銀メダルを獲得しました。
しかし、順風万端に見られた
"石川さんの競技人生の中でも、
人知れずくじけそうになる葛藤があったようです。"
"その勢いに変化が起きたのは、
全日本選手権で3連覇を飾った"
2016年以降のことでした。
台前に張り付く「前陣型」から高速卓球を展開する
"伊藤美誠や、平野美宇が活躍し始め、
何度も負けを経験しました。"
早田ひなを含めた2000年生まれトリオの勢いは凄まじく
「卓球スタイルが古い」という心ない言葉も
飛んだといいます。けれども、石川さんは
そこで諦めませんでした。先陣速攻型への
対応力を磨いて反撃の時を待ったのです。
こうして迎えたのが2021年1月の全日本選手権
当時世界ランク3位で優勝候補筆頭とされていた
"伊藤選手との決勝は今なお
語りぐさとなっている名勝負です。 "
第1ゲームは多彩なサーブを武器とする伊藤選手に
4-   11で奪われましたが、第2ゲームは
対応力を発揮した石川選手が取り返し
ゲームカウントは1ー1第3、第4ゲームは再び
"伊藤選手のサーブと速攻に苦しめられましたが、
1ー3と追い込まれてから"
驚異的な粘りを見せます。 
第5ゲームを12-10と僅差で奪うと第6ゲームも連取
最終第7ゲームは、9-5から9-9に追いつかれましたが、
そこからが石川さんの真の姿でした。
"「世界一美しい」と称されてきた得意のフォアハンドで
2連続ポイントを奪います。"
"ついに5年ぶり5度目の優勝を果たすと、
両手を突き上げて"
喜びを爆発させたのです。感無量の面持ちで始まった
"優勝インタビューでは、
「多くの若い選手が力をつけた中での優勝を"
"どう感じているか」と聞かれ、
20秒近く言葉が出ませんでした。そして、"
"「うれしい。たくさんの人に感謝したい」
と言い、涙を拭ったのです。
"
「若い世代に勝てないのではないか、
"もう無理なのではないかと思ったこともあったし、
言われることもあった。"
でも、そうではなかった。
まだまだやれると思っています」
"この芯の強さが石川さんの最大の武器だったのです。
"
五輪の代表選考ではわずか2枠しかない女子シングルス
"代表争いを、10年以上に渡って
全力で戦い抜いてきました。"
特に東京五輪の選考レースは
「24時間ついてくる」と表現したほどの重圧でした。
選考ポイント2位の平野選手と僅差の3番手で臨んだ
2019年12月の「ノースアメリカンオープン」
決勝は平野選手との直接対決となり、この試合を制した
石川さんが逆転で2位に滑り込むと
"「五輪ではやっと日本選手同士で争わなくていい」
という言葉が自然と口から出ました。"
"東京五輪は女子シングルスでこそ
悲願のメダルに届きませんでしたが、女子団体で"
はし烈な代表争いで競い合った平野選手と組んだ
ダブルスで1回戦から準決勝まで3戦全勝を飾り、
銀メダルに大きく貢献しました。東京五輪後も
卓球への情熱に陰りはなく、引退を表明した時点で、
"パリ五輪の日本代表選考ポイントは5位 
世界ランクは11位"
十分な力を持ったままの輝かしい引退だったのです。
"「これが誰からも愛される理由か」 
2023年5月18日に都内で行われた"
"石川佳純さんの引退会見である記者は
”随所に抜群の人間性が"
垣間見えた”といいます。引退会見では、報道陣に
石川さんから手紙と自身が監修した「かすみんカレー」
などが配布されたそうです。手紙には「10歳で
初めて出場した全日本選手権から約20年間、
"あの時はメガネっ子でしたね 
長い間、本当にお世話になりました。"
メディアの皆様のおかげで良い時も悪い時も
"たくさんの方に成長を見守っていただき、
応援していただきました。"
"これからもよろしくお願いいたします」
と記されていました。中国人記者のムチャぶりにも"
"満面の笑みで応えてみせました。 
引退会見の質疑応答で、同国メディア"
「新華社通信」が「中国語で質問するので、中国語で答えていただいていいですか」
"とまさかの提案をしたのです。 
石川さんは「頑張ります」"
と苦笑いを浮かべながらも、悠長な中国語を披露して
会場を驚かせたのです。「現役引退を表明した時に、
こんなにたくさんのメッセージをいただけるとは思っていなかったのでびっくりした。
"すごくありがたかった。
中国で試合をすると、応援してもらって、"
本当にホームのように気持ちよくプレーできた。
機会があればいろんなことにチャレンジしてみたい。
"いつかは中国に行ってファンの方にも
感謝を伝えられる機会があったら"
"いいな」とコメントしました。 
日本のみならず、中国でも絶大な人気を誇る"
石川さんならではの神対応でした。石川さんは
"たくさんのインタビューの中で
「特別に中国語を学んだことはありません」"
"と言っています。 “愛ちゃん2世”と呼ばれる
ようになってから、中国人のコーチから"
"マンツーマンで指導を受けたり、
遠征で中国に行ったりする"
"機会が増えたのです。 
石川さんは中国人のコーチをつけたり、中国人"
選手と交流したりすることによって、日常的に中国語を
身につけていきました。実は中国語には日本語にはない
"卓球用語が数多くあり、日本語を使うよりも
精密に卓球の議論ができるのです。"
卓球を上達させたい一心で、中国人
"コーチの指導がわかるように、
卓球用語から勉強していきました。"
"それだけでなく、
中国人の友達とメッセージのやりとりをしたそうです。 "
中国語には第1声、第2声、第3声、第4声があります
これを理解していないと文章を書くことは難しいのです。 新華社の記者は、
"石川さんの中国語の発音について、
「石川さんは福原愛さんほど"
北方なまりは入ってません。きれいな発音されますね」
"と言って感心していました。 
1連のやり取りは日本のみならず、中国でも"
"大きな反響となりました。 
会見の様子は、中国のSNS、WEIBOでも"
"拡散され、中国でも人気のある選手だけあって
「祝福純妹(シュンメイ)!」と引退を祝福する"
"コメントであふれていました。 
純妹とは、中国での石川さんの愛称です。"
"また、石川さんの人気の背景について、
“色白で目がくっきりしていて、常に笑顔であって"
コメントも攻撃的ではなく、性格が良いから”  と分析する
"記事もありました。 
引退の決意を固めたのは、3月の"
"世界ツアー、WTTシンガポールスマッシュ
終了後でした。"
"南アフリカダーバンで行われる
世界選手権の代表から漏れ、"
"「自分でもいいタイミングなのかな」
と思ったといいます。"
"最後の試合となった4月の
WTTチャンピオンズマカオでは、"
あの東京五輪2冠で同年代の陳夢と対戦
ジュニア時代から何度も顔を合わせてきた盟友との試合は
運命の糸に導かれたものでした。試合は1ー3で
敗戦でしたが、「コート外では友人でもあって
"最後の試合が陳夢だったことに不思議な縁を感じた」
と話しました。"
すべてを出し切った石川さんの表情は晴れやかでした。
そんな石川さんには、さまざまな人々から激励とねぎらいの言葉が届きました。一昨年の東京
"オリンピックの女子団体でダブルスを組み、
ともに銀メダルを獲得した"
平野美優選手は自身のSNSで「石川さん、長い間
"お疲れさまでした。 
石川さんと過ごした時間はとても楽しくて"
プライベートでも優しくしていただき、感謝の気持ちでいっぱいです。 石川さんはこれからも私の憧れです。
"まずはゆっくり休んでください」
と感謝の気持ちをつづりました。"
2017年の世界選手権混合ダブルスで石川さんと
ペアを組み、この種目で日本勢48年ぶりとなる
金メダルを獲得した吉村真晴選手は
"自身のSNSで、
「石川さんからは勝つために必要なことや考え方など"
言葉では言い表せないほど多くのことを学びました。
今の自分がいるのは石川さんがいたからです。ともに
世界一になれたことは、人生においての宝物です。
本当にありがとうございました。
"そして、現役生活をお疲れさまでした」
と感謝と労いの言葉をつづりました。 "
"また、2012年のロンドンオリンピックの女子団体で
ともに銀メダルを獲得した"
平野沙也加さんは自身のSNSで「佳純
本当におつかれさま 言葉が出ないわ
"早く会いたいわ」とコメントしています。 
東京オリンピックの混合"
"ダブルスで金メダル、男子団体で銅メダルを獲得し、
去年現役を引退した現タレント"
水谷隼さんは自身のSNSで
「長い長い現役生活本当にお疲れさまでした。
お互い共通することが多く、一番の戦友です。
まずはゆっくり休んでください。
カスミン!卓球界に多大なる貢献
"そしてたくさんの感動をありがとう」
とコメントしました。 "
"共にロンドンとリオデジャネイロのオリンピックで
メダルを獲得した福原愛さんは"
SNSに投稿し、「佳純が本日
"引退を発表しました。 
事前に言われた時はちょっと涙が出そうでした。"
"私と佳純は14歳の頃から
思い出がいっぱいあります。時には"
最大の戦いのライバル、時には一番可愛い妹、
時には最も信頼できるメインメンバー、時には
一緒に遊んだり、おしゃべりしたりする最高の友達
時には私の目標であり、私の憧れの相手
"最も私に大きな力を与えてくれた名選手です。 
約20年間、"
"彼女と一緒に努力した時間は、
私にとっての美しい思い出です。同じ時間を"
"彼女と一緒に戦えたことは私の誇りです。 
佳純が与えてくれた"
"感動と力に感謝します。 
佳純がいなければ、日本チームは"
"ここまでのレベルには達しなかったでしょう。 
佳純が"
日本チーム全体のレベルを引き上げてくれたのです。
多くのファンがおそらく今日涙を流しているでしょう。
"でも、佳純はどんどん良くなって、
もっともっと幸せになると思います。"
"みんなで彼女の幸せを祝福し、応援しましょう。 
石川佳純さん、"
"今まで私たちに与えた全てに感謝します」
とコメントしました。"
"小さい頃から注目を浴び、様々な重圧に苦しんだのは、
一度や二度ではないと思います。"
"周囲からは様々な言葉が飛び交い、
そっとしておいて欲しい時もあったに違いないでしょう。"
それでも、日本のエースの役割を全うし、結果で
実力を証明してきました。国境をまたいで
卓球人気を押し上げ、魅力を広めたスーパーアスリートの
"これからの人生に、
心からのエールを送りたいと思います。"