虞芮之訟(ぐぜいのそ)
の前の通り、浅草観音通り
人が多い昼間の事です
自転車が、我が物顔に、
チリンチリンと鳴らしながら
そこどけ!そこどけ!と通ります
本来は、人が優先の道です
若者が4~5人で横に並んで大きな声で
お喋りしながら大声で笑いながら通ります
お年寄りの御夫婦が、
わざわざそれを除(よ)けるのです
本末転倒ではないでしょうか
更に、
平気で煙草を吸いながら歩く男の人
そして、煙草の吸殻をポイ捨てです
恕(おもいやり)、
躾(しつけ)の行き届いた
日本は何処へ行ったのでしょうか?
江戸時代では、道の譲り合い、
礼儀、お年寄りを敬(うやま)う
素晴らしい国だったのです
江戸しぐさなどに表れています
もう一つ、古代の中国でも
恕(おもいやり)のある
素晴らしい国の時代が有ったのです
虞芮之訟(ぐぜいのそ)
中国のお話ですが・・・
虞(ぐ)と言う国と、
芮(ぜい)と言う国が有りました
農地の境界線をめぐって争っていました
なかなか、決着がつきません
そこで、その当時仁政をされているという
周(しゅう)の始祖 文王(ぶんおう)に
どちらが正しいか、お伺いをしてみようと
二人の君主は、周の国に出かけました
国境を越えて周国に入りますと
農民たちは、田畑を耕す時、
お互い畦道(あぜみち)を譲り合っています
都に入ると、老いた人は荷物を持っていません
若者が、荷物を持つ思いやりが見てとれました
朝廷に入ると、それぞれが、位によって、
道を譲っています
行き届いた気配りと統制が取れた国である
私達は、何をしていたのだと
二人の君主は思い知らされたのです
我々は小人である
周の君子の地を踏む事は出来ない
と、恥入り引き返したのです
そして、境界の田を持ち主のいない田、
即ち、閑田とし、
お互いが譲り合う事にしたのです
江戸時代の規律が行き届いた社会
中国古代の、仁政を尽くした社会
近代の日本、見習わなければ
亡びて行く世界が待っていますぞ
とらんくすや。親父
周りの掃除は、出来ますが、
躾の出来ていない、若者、いや大人もいますぞ
その心の掃除は出来かねます
経済や科学に目を向けるばかりではなく
過去の歴史に学んでみましょう
昨日のお題目
温故知新と読書百遍
でございます