はじめに

 

克服したはずの鬱が再発しないように通った精神科のクリニックで勧められたのが

認知行動療法を基にしたカウンセリングでした。

(クリニックに通うことになった経緯はこちら

 

抗うつ剤も処方してもらいましたが、薬物療法だけに頼らないお考えの主治医だったんだと思います。

今思うと、この先生から認知行動療法を教えてもらって良かったなぁと思います。

 

僕のモノの見方に革命的な視点をインストールしてくれたからです。

 

目の前で起きている出来事が悲しかったり辛かったり、

 

 

あるいは、何かの出来事にぶつかって、それを悩んだり心配したりしたとしても、

その出来事が即そのまま、悲しかったり辛かったり、心配させるようなこととは限らない

 

悲しく思ったり、辛く感じる自分の気持ちと、

目の前で起きている事象との間に、

自分の「思考」というものが介在している

ということが学べたからです。

 

これは、その後の僕の生き方や、ストレス軽減や自己啓発のための他の取組み、あるいは禅や信仰などの取組みの中でも、基本的なベースになったように思います。

 

  認知行動療法とは

 

厚生労働省の「うつ病の認知療法・認知行動療法:治療者用マニュアル」によると、認知療法及び認知行動療法とは

 

    

人間の気分や行動が認知のあり方(ものの考え方や受け取り方)の影響を受 けることから認知の偏りを修正し、問題解決を手助けすることによって精神疾患を治療することを目的とした構 造化された精神療法

 

と定義されています。

 

心理学や精神科の専門的な教育やトレーニングを受けていない僕が、こうしたことを語るのは弊害や危険があるかもしれないので、専門的なことはその道の情報をご覧ください。

(例えば、国立研究開発法人国立精神・神経医療研究センター内認知行動療法センターに、大変分かりやすい解説があります)

 

導入的に、僕なりの拙い理解でいうと、

 

水が半分はいってコップを見て、それを、

・もう半分しかない

と思うのか、

・まだ半分もある

と思うかの違いで、その後に湧き上がってくる気分や感情が変わる

 

その受け止め方(認知)が、悲観的な方向や一方的な決めつけの方向に偏っていたりすると、感情が不適切に形成されてしまう

 

認知療法は、そういう「主観的」な認知を、意識的に客観視することで、認知の「歪み」を矯正していくためのトレーニングであり、

 

それを思考訓練だけに留まらず、日常生活の行動に規律を与えるも併用し、思考と身体の双方からアプローチする場合は、認知行動療法と呼ばれる

 

ということかなと思ってます。

 

僕の場合は、布団や家から出れない・動けないといった程度の進んだうつ症状ではなかったこともあり、不安や心配の気分を修正していくために、「認知の修正」に重きを置いた、どちらかというと「認知療法」的なアプローチでカウンセリングしてもらっていました。

 

 

  具体的な方法

 

先述の認知行動療法センターの解説によると、認知行動療法の具体的な進め方は次のようになります。

 

(1)患者さんを一人の人間として理解し、その人の悩みや問題点、強みや長所を洗い出して治療方針を立て、それを患者さんと共有して力を合わせながら面接を進めていきます。

 

(2)行動的技法を使って生活のリズムをつけていきます。毎日の生活を振り返って無理のない形で、

(a)日常的に行う決まった活動、

(b)優先的に行う必要のある活動、

(c)楽しめる活動ややりがいのある活動を、

優先順位をつけて行っていく行動活性化という方法があります。

とくに、楽しめる活動ややりがいのある活動を増やしていくことは効果的です。

 

また、一定の身体活動や運動を用いて自信やコントロール感覚を取りもどし、他の人との関わり体験を持てるようにしていったり、問題解決技法を使って症状に影響していると考えられる問題を解決していき、適応力を高めていくようにします。

 

(3)自動思考に焦点をあてて、その根拠と反証を検証することによって認知の偏りを修正します。このときに、書籍やウェブを使うこともできます。

 

(4)治療終結に進みます。

 

僕の場合は、毎朝出勤できていたし、オフィスに行けばやるべき業務がありましたので、それが(2)のようなものでした。

日常のルーチンを必ず、時間がかかっても、不定期になっても、やることは大切だと思います。

 

そして毎週末クリニックに通って、主治医の先生に診察してもらった後に、別の専門カウンセラーに認知療法のトレーニングを受けてました。

それが(3)です。

 

出来事・体験と、それをどのように感じたかを、話す・書き出す

 

カウンセラーからは、その一週間に起きた出来事と、それをその時どのように思ったかを尋ねられました。

 

その問いに、例えば、僕はこう答えます。

 

今週仕事している中で、同僚がある失敗をしてしまいました。

その失敗のもとは、私の指示でした。

責任を感じた僕は、そのことで迷惑をかけた部署に謝りに行きました。

その同僚以外のオフィスの人たちは、僕をあざけ笑ってるように思えてならなくなり、恥ずかしい気持ちや情けない気持ちになりました。

自分の席に戻る通路では、皆が「あれが今回の失敗の原因の彼だよ」とヒソヒソと話しているように思えました。

まったく何をやってもダメな自分だと思いました。

 

 

自分の考えが合理的なのか検証する

 

この告白に対して、カウンセラーの先生は先ず、自分の今の心境を一言でいうと何?と質問してきます。

そして、その気持ちは、MAXが100%だとすると、今はそれくらいか数値で言ってみて、と指示します。

 

情けない気持ち、かな…3日前のことなので今は60%くらい…

 

さらにカウンセラーは、以下のような質問をしてきます。

 

① 失敗をしたというが、どんな失敗で、何が失敗だと思ったのか。

② 同僚の失敗が自分の指示が原因だと思ったのは何故か。他には原因はないのか。

③ 謝りに行こうと思ったのはなぜか。そんな自分をどう思ったか。

④ 他の人があざけ笑っているように思えたのは何故か。何故自分がその対象だと思ったのか。

⑤ ヒソヒソ話の内容が耳に聞こえてきたのか。何を話していたのか。

⑥ どうして「何をやってもダメな自分」だと思ったのか。今までの人生振り返って、本当に「何をやっても」ダメだったのか。

 

カンの言い方はお分かりだと思いますが、要はどの質問も「貴方がそう考えることは合理的ですか?」という問いかけです。

 

なぜ、何故、ナゼ、???

と問い詰められるのです。

でも僕を焦らせないように、語り口は穏やかで、答えを発するまで辛抱強くカウンセラーは待ってくれます。

 

一つずつ絞り出すように答えを話しているうちに、

・あれ?俺、ちょっと思い込み過ぎてたかな

・その時はそう思えたけど、今思うと、ちょっと極端だったよな

と、自分で思えてくる点が出てきます。

 

 

思考を修正する

 

そこでカウンセラーは、

「では、今考えると、どのように考えたら、もっと適切だったと思いますか?」

と尋ねます。

 

それに対して、自分なりに合理的な思考を、思いつくままに話している中で、自分を外から眺めながら分析している自分が現れてきます。

 

ここで認知の修正が図られるんだと思います。

 

でも、それは、脳みそに、へばりついた、こびりついた、クセや垢をその時だけ少し削ぎ落すようなもの。

 

カウンセリングルームを出ると、またいつもの自分の思考のクセに支配されてしまします。

 

でも、繰り返し繰り返しこの訓練をすることで、すこしずつ、そのクセを治せるような気になりました。

少なくとも、自分には、

・白黒の二分法で捉えてしまうクセ

・物事を二分するとき、悲観的に捉えてしまうクセ

・そう判別したことが、今だけでなく、過去も未来もそうだと思うクセ

があることに気づかされました。