最近、このブログが太平洋戦争がらみばかりなのは、先日の記事でも述べたとおり気になっていることではあるのですが、他方、戦争のことを調べてる日々を送っていると、終戦の日についても無視はできないという気分でおります。
本記事は12時間のあいだだけトップ記事として挙げさせていただきたいと思います。
今は夏休み(ラスト2日)なのですが、この夏休みは作品制作の件もあってフリータイムの半分くらいが戦争の調べ事がらみになってしまってます。
資料の本も着々と増えてきましたが読了できていないものも多くあります。
それでも、本日は、近隣の書店では入手できなかった本を求めて東京に行ってきます。
「日本のいちばん長い日」の映画は公開2日目に拝見しました。
率直に申し上げてしまうと楽しい映画ではありません。そもそもそういう映画ではありません。
そして、未見の方に重要な注意点を申し上げておきますと、あらかじめ原作を読んでおくか予備知識をつけておかないと、かなり難解です。
逆に予備知識さえあれば、相応にわかります。
映像化されたことで、新しいイマジネーションを得ることができます。
「日本のいちばん長い日」は玉音放送の前日からを描いた作品です(映画では、もう少し前の状況も描いてます)。
作品内で描かれる、当時の鈴木内閣での喧々諤々の議論は主に2つ。
一つ目がポツダム宣言受諾の可否について、もう一つが玉音放送の原稿の推敲についてです。
この議論の様子を見ていると、内閣は国の外にも内にも「国を破壊する脅威」を抱えていたことがわかります。
国の外の脅威というのは言うまでもなく当時の敵国です。
爆撃によって国土を焼き、また南方と北方から地上戦力をもって侵攻してきました。
国の内の脅威というのは、国内にいる戦争継続を主張する勢力でした。
戦争が継続すれば、その分だけ敵国による破壊が進み、時の鈴木首相は「ドイツのように米ソによって分断されてしまうだろう」と言いました。
さらに、戦争継続を望む一派が蜂起して国内が内戦状態になる危機がありました。
日本人同士の殺し合いという、忌まわしい事態が予想されていました。
鈴木内閣の議論は国内外の両方の脅威に対応する(特にどちらかといえば国内の脅威に考慮する)必要がありました。
対外的な行為だった戦争が、この段階に及んでは、対内的な行動に変化せざるを得なかった点には、皮肉だけど大変重要な教訓があると考えます。
戦争終結、降伏という言葉を用いますが、その真意は「国土の破壊の阻止と国民の苦しみからの開放」であったと、鈴木内閣の目的はそれだったと言って良いのではないかと思います。
以上です。
記事としては中途半端な感じですけど、もう十分に思ったことを書けたので、ここまでにしようと思います。

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