現在の作品が太平洋戦争に関連していますので、当ブログもこのような記事が多くなっていることを僕もちょっと気にしていますが、ご了承頂ければと思います。
(ただ、本日が長崎の原爆忌であることは少なからず意識の中にあります)
さて、先週は東京は九段下にある「昭和館」を見学しました。
昭和館は太平洋戦争に関する博物館です。
特に銃後、つまり当時の国内での市民の生活に絞った展示をしているところが特徴です。
(展示物は撮影禁止でしたので、建物の外観だけでご勘弁下さい)
また、昭和館の裏手には「九段会館」があります。
この九段会館は、かつては「軍人会館」と呼ばれ、二・二六事件の際には戒厳司令部が置かれるなど歴史的な建造物です。
(この建物の玄関の柱のどれかに「戒厳司令部」の札がかけられたのです)
なお、去年の5月に取り壊しが決定されました(現在は取り壊しは未着工です)。
歴史的な価値からも建物の意匠からみても、惜しいことだと思いますが老朽化と耐震性には問題があるとのこと。
取り壊しは仕方ないことかな?と個人的には思っています。
さて、本題です。
ブログタイトルの「実物を見てもわからなかったこと」について書きます。
展示品の中に昭和20年の1月に学生さんが書いた「書き初め」がありました。
以下のように書いてありました(記憶違いでディティールが違ってたらご容赦下さい。ニュアンスはこれで間違いありません)
「東亜永久平和」
昭和20年当時、国内の物資は相当に不足しており、国民の生活は苦しいものであったと思われます。
(これもうろ覚えですが)昭和10年代前半と比べて食料や日用品の供給量は1割程度まで落ち込んでいたようです。
ここからは推論です。
なにしろ「実物を見てもわからなかった」ので・・・
この書き初めはどんな気持ちで書かれたのだろうか?
この「平和」とはどのような意味なのだろうか?
おそらく表向きは「戦争を遂行して大東亜共栄圏を実現した先に訪れる平和」を指すのだろうと思います。
しかし、僕が真っ先に思い浮かべたのは「戦争が早く終わって東アジアに平和が訪れて欲しい」という解釈でした。
・・・ほとんど真逆でしょう?
おそらく、当時の時代の表向きの世論を考えれば僕が真っ先に思い浮かべた解釈は不正解です。
でも、市民の本音を見れば生活は苦しく、特に熟年者は口にこそ出さないけど「日本は負ける」と判断してる人も多い(これは書籍にもありますし僕の祖父もそうだったようです)。
そういう本音を鑑みるならば「戦争が終わって訪れる平和」という解釈があり得ないと言い切ることもできないように思えました。
でも・・・わからないんですね。
余談ですが、九段下は靖国神社の最寄り駅でもあります。
靖国神社には「遊就館」という博物館が併設されていますので、こちらも見学に行きました。
その際、神社にもお参りいたしました。
国際的に政治にも取りだたされる靖国神社ですが、そのようなこととは一切関係なく、戦没者を慰霊し、これから「正しい平和」を築いていけることを祈ってきました。

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