理由も言わず学校へ行かなくなってから数ヶ月経ち、家族は私が本当にこのまま不登校になると理解したようでした。
そしてそれから、私のことを腫れ物を触るように扱うようになりました。
(本当はそんなことはないのに、私がそう感じていただけかもしれませんが)
私はほとんど笑うこともなくなり、食事の時以外を自室にこもって過ごしました。
家にこもるようになってから半年ほどは、
昼も夜もなく、ほとんどを寝てばかりで過ごしていました。
正直、このころ毎日をどんな風に過ごしていたのかを明確には思い出せません。
ただよく覚えているのは、
もうその頃から私を一番悩ませて苦しめているのは引きこもるきっかけとなった出来事ではなく、
家族を自分のせいで苦しめてしまっているということや、この先の未来への絶望だったということです。
当時私は携帯電話を持っておらず、
また、今のように簡単にネットで色々な情報を得られる時代ではありませんでした。
身の回りに不登校となってしまった人の話など聞いたこともなく、
こんな私が幸せになれる未来の可能性など無いと、本気で思っていました。
あの頃は、死にたいといつも考えていました。
でも自殺は怖く、それに至れる気力も沸かず、
さらに家族にかける迷惑を思うとそれもできませんでした。
代わりによく、何か重い病気にかかれないだろうかと願っていました。
学校に行けないのは自分のせいではなく、病気のせいだとなれば、私も家族もどれだけ救われるだろうかと考えていました。
今なら、この時私は重度のうつ病だったのだと分かります。
でも当時はうつ病もまだ珍しい病気で、精神病で病院に行くなどとても考えられないことでした。
私はその後、社会人になってから2回うつ病を経験することになりますが、この時が1番重い症状であったと思います。
ほとんどを寝て過ごし、起きている間は死にたいと思いながら過ごす暗い日々の中、
自分の家族に向けての謝罪ばかりを綴った遺書を書いて机の奥に隠しておいたことを今でも鮮明に覚えています。