人にある出来事を伝える時、我々は最適であろうと思われる言葉を選び、そして伝えます。それで、相手が頷いたり、理解を示したのならば、その時点で相手にうまく伝わったのだな、と概ねの領域で判断します。ここで、敢えて概ねという曖昧な表現にした理由ですが、それは相手が頷いたり、理解を示したという意思表示をしたとしても、”雰囲気として了解しかねる”、という気配を醸し出している場合が多々あるからです。この顕著な反応、つまり了解しかねる、ということから、「いかに人に物事を言葉を使って伝えることは難しいものか」が垣間見れるのですが、得てして人というのは鈍感な動物であったり、独りよがりな動物であったりするので、「伝わっているに違いない」、「たぶん伝わったでしょう」で、その場を処理してしまいがちです。
「男というものは、浮気をしてしまうものだが、浮気をしていいわけではない」
上記を背景等が全く設定されていない中で、人に伝えたとします。その場合、受け手の人はどう解釈するのかというと、「男の言い訳」、「倫理的な解釈」、「男を説教する時に使うセリフ」、「女性の嘆き」、「女性からの警告文」等々、様々な捉え方をするものです。このセリフを伝えた当の本人にすれば、ある意図一つをもって伝えたにもかかわらず、相手の立場、相手の性、相手の思想、等々の様々な要因によって、如何様にも変じてしまい、誤解釈されてしまう場合もあるのですから、ある意味怖ろしいことと言えます。ですから、自分の思い込みによって、自分が意図することが正確に、間違いなく相手に伝わる、伝わるに違いない、伝わって当然だ、という考えは、非常に危ない思想であり、その思想を省みない人生は波乱含みであると言えるかもしれません。
人生を渡り歩くためには、どうしても人との関わりは避けて通れず、しかもその中で、人に伝えなければならない事も多く発生してきます。自分は、ちゃんと人に伝えているとの思い込み、勘違いは、時として大問題を引き起こしたり、トラブルの要因になったりするので、見過ごすわけにはいかない問題と言えます。だからと言って、人に伝えないということを選択するのがいいか、と言えば、当然そうではなく、伝えるべきことは伝えなくてはなりません。ここが、非常に難しいところであり、人間として悩ましい問題なのです。
では、こういった悩ましい問題である、人に伝えること、に対してどう対処していけばいいのでしょうか?
まず、心得として、自分が思ったこと、感じたこと、伝えたい意志というものは相手に正確には伝わらないものだ、という認識を持つことが重要なことです。最初から、うまく伝わらないものだ、と捉えていれば、人は、一つ伝える時に、様々な言葉や、様々なジェスチャーを使うなど様々な工夫をし、努力をしようとするものです。譬えるならば、ボキャブラリーの乏しい子供に、身振り手振りや表情等で、一生懸命伝えようとするお母さんのように、と言えます。大人なのだから、これ位の物言いで伝わるはずだ、というのは、あくまで自分の勝手な解釈であり、自己中心的と言わざるを得ないかもしれません。
相手に正確には伝わらないもの、と述べましたが、なぜそういうことが起きるのでしょうか?
まず、人は思ったこと、感じたことを伝える時、その思いを言葉に変換しようと、自分のボキャブラリーの中から探し出そうとします。そして、これだ、と思う言葉を使って伝えますが、時には適当な言葉が見つからない場合もあります。そんな時はどうするのか、というと、その思いに近い言葉を使うとか、修飾語を多用してみるとか、例え話にするとか、雰囲気で伝えるとか、をすると思います。ここで言えることは、自分の思いというものが、必ずしも言葉に合致するわけではない、もっと言ってしまえば、言葉に変換できるない場合が大半である、ということなのです。ですが、言葉に変換できないということを全面的に肯定してしまうと、社会生活上、支障がでてくるのも事実ですから、人は、曖昧な表現でも良し、とし、その表現を持って人に伝えているのです。その曖昧表現に慣らされてくると、「あの人は、私がちゃんと伝えたことをなんで理解してくれないのだ!」と、相手に対して攻撃的になり相手を責めますが、実は、自分が自分の思いを正確に伝えてないことがそもそもの原因なのです。
思いを表現するのも、自然を表現するのも難しい。空の色を言葉で表現するとどうなるでしょうか?空は青い、で終わってしまう人もあれば、空は蒼白色にて時々刻々変わるもの、と詩人っぽく表現する人もいるでしょう。突き詰めて言ってしまえば、空の色を言葉で表現することは不可能であると言えます。しかし、人間のエゴイズムによって、空はこういうものだ、と様々な形で表現され、その刷り込みによって、あたかも空の色を知っているかのように過信してしまうのがこの世の中です。
人に伝えることは難しい、このことをまず認識することが大切であると考えます。自分の思いを、知っている限りのボキャブラリーの中から探し、その最適と思われた言葉で相手に理解しやすいように伝える、そして、相手の表情や雰囲気によっては、補助的に言葉を足してフォローする、こういった努力は最低限必要なことだと思います。しかし、これだけの努力をしても、伝えるということは、必ず相手のいる話であり、相手の受け止め方次第であるので、必ず伝わったとの過信には注意したいものです。
ワンクリックお願い致します!
↓↓↓