私にとっての教育というのはやっぱり「生きる力」を獲得する手助けをすることなんです。

こんなの「ズルい言葉」ですが。何でもありなわけですよね、生きる力って。

学校の意味ってのが何なのかはわからないですけど、

生徒が卒業するときに知識やら技術やら意見やら目標やら疑問やらその先に繋がるものを

持っていてくれれば良いと思っています。
それが学校じゃなきゃ出来ないのかっていうと微妙ですけど。

でも学校って…確かになくてもいいかもしれないけど、

なかったら困るし、たぶん学校に代わる何かが出来る気がします。


集団行動を学べるようなコミュニティが地域に出来たり、塾ができたり(もうあるけど)、

家庭で常識教育がちゃんとできるようになったり、宗教ができたり。


そういうのを全部学べる可能性があるのが学校である、

つまり、学校は何かの教育を行う一つの道具であって、

別に「学校じゃなきゃできないこと」を探す必要はないんじゃないか

ちょっと考えがまとまってきました。

極論言えば、みーんなが塾に通えて勉強できるなら

学校で授業しなくなってもいいんじゃないかってことです

(勉強する楽しさみたいなものは考えないとすると)。

死の教育をするもよし、本を読めるようにするもよし、学問を学ぶもよし…

それは人それぞれ違って良くて、一つにまとめることはできない気がしてならないです。

では、何で教師が必要なのかというと、

生徒が自分たちの力で乗り越えられないことの手助けをするためだと思っています。


だからこそ多様な生徒に対応するためにたくさんのことを知っていなければいけないわけだけど。

「私は先生から学ぶことなんて何もありません」って結論付けた生徒がもしいるならば

それでも別に構わないと思います。「勉強は塾でやるし」でも別に良い。

でもまぁ、存在してるからには一応教師の存在意義を出来るだけ多くの人に感じてもらいたいわけで…

それならそういう教師になるしかないんでしょう。

もしくはそういう教師を育成するようにするしかないんでしょう。

屁理屈っちゃーそうだし、ズルいっちゃーそうなんだけど、

学校の意味を決めとく必要自体あんのかなぁと思います。

国として学習指導要領を作るとか教員試験があるとか

そういうのはあくまでマニュアル化できる範囲の話であって

教育の大部分はマニュアル化できないことだから、

それぞれの意識に依存するしかないんでないかと思うです。