「日本におけるキリスト教 120 神に敵対している者ですが、神に愛されているという教えについて」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 120 神に敵対している者ですが、神に愛されているという教えについて」

 

聖書が教えている「イエス・キリストを信じていない人々」について、さらに見ていきます。

 

これまで見てきたように、新約聖書において、イエス・キリストを信じていない人々について、2つの人種があります。

 

その2つの人種はまったく違います。

 

その1つの人種は、「悪魔が蒔いた毒麦であり、まむしの末ども」で、最後の審判では、イエスさまから「のろわれた者ども」と言われて、父親の悪魔と共に用意された永遠の火に入ります。

 

その理由は、これまで何度も伝えているこの御言葉です。

 

「わざわいだ。偽善の律法学者、パリサイ人。おまえたちは預言者の墓を建て、義人の記念碑を飾って、

 

『私たちが、父祖たちの時代に生きていたら、預言者たちの血を流すような仲間にはならなかっただろう』と言います。

 

こうして、預言者を殺した者たちの子孫だと、自分で証言しています。

 

おまえたちも父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たしなさい。

 

おまえたち蛇ども、まむしのすえども。おまえたちは、ゲヘナの刑罰をどうしてのがれることができよう。

マタイの福音書23章29~33節」

 

 

つまり「まむしの末ども」というのは、「預言者を殺した者たちの子孫」という事であり、父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たすので、ゲヘナの刑罰がのがれることができないと教えられています。

 

 

次にもう一方の「イエス・キリストを信じていない人々」については、次のように教えられています。

 

「彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。

 

神の賜物と召命とは変わることがありません。

 

ちょうどあなたがたが、かつては神に不従順であったが、今は、彼らの不従順のゆえに、あわれみを受けているのと同様に、

 

彼らも、今は不従順になっていますが、それは、あなたがたの受けたあわれみによって、今や、彼ら自身もあわれみを受けるためなのです。

 

なぜなら、神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

 

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。

 

そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。

ローマ人への手紙11章28~33節」

 

 

「まむしの末ども」とは違う一方の「イエス・キリストを信じていない人々」は、福音によれば、クリスチャンたちのゆえに、神に敵対している者になります。

 

ですが、神の選びによれば、父祖たちのゆえに、「神に愛されている者」になると明確に教えられているのです。

 

さらに、神さまは、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたのです。

 

ですから、生まれながらの人間が、本当の神さまを知らずのままに生きて、神さまに不従順だとしても、それは至極当然だと言えるでしょう。

 

このローマ人への手紙11章28~33節は、この御言葉から始まります。

 

「兄弟たち。私はあなたがたに、ぜひこの奥義を知っていていただきたい。

 

それは、あなたがたが自分で自分を賢いと思うことがないようにするためです。その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

 

こうして、イスラエルはみな救われる、ということです。こう書かれているとおりです。「救う者がシオンから出て、ヤコブから不敬虔を取り払う。

 

これこそ、彼らに与えたわたしの契約である。それは、わたしが彼らの罪を取り除く時である。ローマ人への手紙11章25~27節」

 

 

「万人救済」を説く「無教会の内村鑑三」先生の聖書解釈と福音理解は、これらの御言葉を根拠の1つとして万人救済を宣べ伝えていることがひしひしと伝わります。

 

繰り返して伝えます。

 

「その奥義とは、イスラエル人の一部がかたくなになったのは異邦人の完成のなる時までであり、

こうして、イスラエルはみな救われる。

 

神は、すべての人をあわれもうとして、すべての人を不従順のうちに閉じ込められたからです。

 

ああ、神の知恵と知識との富は、何と底知れず深いことでしょう。

そのさばきは、何と知り尽くしがたく、その道は、何と測り知りがたいことでしょう。」

 

 

そして、イエスさまは、その「悪魔が蒔いた毒麦・まむしの末ども」については、

 

「毒麦も収穫まで育つままにしておきなさい。収穫の時に、私は刈る者たちに、まず毒麦を集めて焼くために束にします。」

 

「彼らのことは放っておきなさい、」と教えられています。

 

つまり、「悪魔が蒔いた毒麦・まむしの末ども・のろわれた者ども」については救いません。

 

永遠の火に入れられます。

 

 

もう一方の大勢いる「イエス・キリストを信じていない人々」については、

 

「彼らは、福音によれば、あなたがたのゆえに、神に敵対している者ですが、選びによれば、父祖たちのゆえに、愛されている者なのです。

神の賜物と召命とは変わることがありません。」と教えられています。

 

なので、福音によれば、クリスチャンたちのゆえに、神に敵対していても、神の選びによれば、神に愛されている者たちです。

 

それゆえ、イエス・キリストを信じていない人々であっても、神に愛されている者たちであり、そのまま死ぬことがあっても、のろわれた者どものように永遠の火に入ることはないでしょう。

 

神に愛されている者たちは「正しい人たち」であり、最も小さい者の1人が助けを求めていれば、助けてあげようとする善良な資質を持っているのですから。

 

 

現在の日本において、日本人は、この2つの人種のどちらに当てはまるかと言えば、

 

日本人は、預言者を殺した者たちの子孫ではないし、父祖たちの罪の目盛りの不足分を満たそうとしていません。

 

ですから、「悪魔が蒔いた毒麦・まむしの末ども」ではないことが明らかです。

 

それを、現在の日本において、「イエス・キリストを信じていない人々」を、地獄行きの「悪魔が蒔いた毒麦・まむしの末ども」と同類にして教えているならば、非常に恐ろしいことになるのです。

 

つづく

 

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