「日本におけるキリスト教 98 イエスキリストを信じない人々は地獄へ行くという教えの呪縛」
私のブログ記事を見た方々から次々と相談が寄せられています。
教会の牧師やクリスチャンたちから「イエス・キリストを信じない人々は、最後の審判で永遠の火に入れられると聖書は教えている」と教えられて、苦悩している人たちからです。
その苦悩している方々が、SNSで検索して、私のブログ記事にたどり着いたようです。アクセス解析でも「検索」がかなり多いです。
最近の投稿記事は「地獄行き」についての聖書箇所を1つ1つ丁寧に見ていますが、イエス・キリストを信じていない人々が地獄へ行くという教えは、まるで聖書の教えと違うことがわかりました。
それでも、相談して来られる方々は、教会で「イエス・キリストを信じない人々は地獄へ行く」という教えの呪縛から解放されないのです。
※
実は、私自身も同じでした。
2021年「第29回FNSドキュメンタリー大賞」を受賞した番組
「アフガニスタンで65万人を救った中村哲。医師でありながら用水路を作った理由とその源流」
この中村哲医師がクリスチャンで、無教会のキリスト者「内村鑑三」の教えと出逢って本当のクリスチャンになることができた。と著書や過去のインタビューで言われているのを知って、内村鑑三先生の信仰を学びました。
すると、中村哲先生もそうなんですが、内村鑑三先生もプロテスタント教会の教えを毛嫌いしていました。
それは、プロテスタント教会の聖書解釈と福音理解とは真逆で、「イエス・キリストを信じない人々もイスラム教徒も地獄には行かない」という聖書解釈と福音理解だからということが大きな理由だと思いました。
つまり、普遍的な神の愛の信仰者でした。
さらに、無教会のクリスチャンでは、サザエさんの著者「長谷川町子」先生がいました。
長谷川先生もプロテスタント教会の教えは超苦手で、著書の中で「泣く泣くプロテスタント福音派の教会に行くハメになりました。」と、母親の命令で、少しの時期だけプロテスタント福音派の教会に通っていたことを漫画で描いています。
そして、日本では最も愛されているクリスチャンと思われるカトリック教会の「マザーテレサ」と、日本でも「三重苦の聖女」と大歓迎された「ヘレン・ケラー」も同じく普遍的な神の愛の信仰者であり、
「イエス・キリストを信じていない人々も他宗教の人々も地獄には行かない」という聖書解釈と福音理解です。
*
私の関わる人々(イエス・キリストを信じていない人々)は、この方々「中村哲、長谷川町子、マザーテレサ、ヘレン・ケラー」を知っていますし、すごく尊敬しています。
日本の中で、最も有名で尊敬されているクリスチャンの方々と言えるでしょう。
しかし、私は長年、プロテスタント福音派の教会に所属していましたので、この方々の聖書解釈と福音理解は違和感を持ちましたし、間違っていると思ったものです。
なので、プロテスタント福音派の教会の教えを消し去って、白紙にした状態で、聖書を徹底的に調べた結果、日本で、最も有名で尊敬されているクリスチャンの方々と同じ聖書解釈と福音理解になったわけです。
ですから、プロテスタント福音派の教会の教えを消し去って、白紙にした状態で、聖書を徹底的に調べない限り、「イエス・キリストを信じていない人々は地獄へ行くという教え」の呪縛から解放されないと思いました。
※
それでは、前置きがかなり長くなりましたが、未信者は地獄行きという教えの呪縛から解放されるためにも、今回も聖書の教えを見ていきます。
「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。
すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、 神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。
このようなことで、兄弟を踏みつけたり、欺いたりしてはいけません。
わたしたちが以前にも告げ、また厳しく戒めておいたように、主はこれらすべてのことについて罰をお与えになるからです。
神がわたしたちを招かれたのは、汚れた生き方ではなく、聖なる生活をさせるためです。
ですから、これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。
テサロニケの信徒への手紙一 4章3~8節」
*
この聖書箇所をプロテスタント福音派の教会では、「神を知らない異邦人」=「イエス・キリストを信じていない人々」と解釈しています。
それゆえ、イエス・キリストを信じていない人々は地獄へ行くという教えの根拠となる聖書箇所の1つとなります。
「これらの警告を拒む者は、人を拒むのではなく、御自分の聖霊をあなたがたの内に与えてくださる神を拒むことになるのです。」という教えは、まさにその通りですね。
福音派諸教会や諸団体の信仰基準作成に多大な影響を与えてきた福音主義同盟の9項目の第4項が、原罪を持って生まれた人間の全的堕落という教義です。
④アダムの堕落の結果としての人間の全的堕落
【全的堕落(根本的な堕落、または蔓延する堕落とも呼ばれる)】は、原罪の概念から派生したプロテスタントの神学的 教義です。
それは、人間の堕落の結果として、この世に生まれたすべての人は、堕落した性質の結果として罪の奉仕に奴隷にされ、神の効果的な(抵抗できない)または先行的(可能にする)恵みは別として、自分で神に従うこと、悪を控えること、救いの賜物を受け入れることを完全に選択することはできません。
引用以上
◇
今度は、そのようなプロテスタント教会の教えを消し去って、個人的にこのテサロニケ第一4章3~8の聖書解釈をしてみます。
さて、「実に、神の御心は、あなたがたが聖なる者となることです。
すなわち、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように学ばねばならず、 神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。」ということですが、
日本人は、根本的に、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するようにしています。
*
また、情欲におぼれる人もいますが、そのような人たちは大きな罰を受けています。
情欲が自制できない人たちは、相手が人妻だろうと、未成年者であろうと、情欲を満たすために行動します。
それゆえ、不倫もしたり、淫行もしたり、性的暴行も行なったりするのです。
そのような情欲におぼれる人たちは、この日本では罰せられるので、隠れたところで極秘に行ないます。
しかし、必ずといっていいほど発覚して、大きな代償を支払うのです。
不倫が発覚すれば、「ゲス不倫」などと言われ、職場では立場が危うくなります。
職を失う場合も少なくありませんし、近所でも噂が広がります。
淫行や性的暴力が発覚すれば、逮捕され、マスコミが一斉に実名で報道します。
*
数年前には、プロテスタント福音派の教会の有望若手牧師が未成年の買春で逮捕されました。
教会の牧師の不祥事も珍しくありません。
閉塞感がある教会の中では、不倫、淫行、性的虐待が起こっています。
「カトリック教会の性的虐待事件」は、21世紀に入ってローマ・カトリック教会を揺るがすことになった、聖職者による児童への性的虐待問題である。
全世界のカトリック教会で、調査の結果、膨大な数の被害者と多数の加害者がいたと次々に報告されています。
そのうちの1つ、2021年10月5日の朝日新聞の記事です。
「フランスのカトリック教会の神父らが、21万6千人の子どもたちに性的虐待などの性被害を加えたとする報告書が5日、公表された。70年間にわたり、2900~3200人の聖職者が関与したという。」
引用以上
また、プロテスタント教会でも世界で次々に性的虐待事件が発覚しています。
産経新聞の2024/1/26の記事です。
「ドイツのプロテスタント教会で1946年以降、少なくとも聖職者ら1259人が未成年者ら2225人を性的虐待していたことが分かった。
ドイツ福音教会の要請で被害の実態を調査した研究者らが25日、報告書を発表した。特定した被害者数は「氷山の一角に過ぎない」としている。
多くの資料が既に破棄されるなどしており、入手できたデータなどを基にした推計ではプロテスタント教会全体で被害者は約9300人、加害者は約3500人に上る可能性があるという。
報告書によると、特定した被害者の大半が当時14歳未満で、約65%が男性、約35%が女性だった。加害者の約40%が聖職者で、残りの多くは教会で教育に携わるスタッフだった。ほとんどが男性。」
引用以上
*
私自身、この日本で、プロテスタント福音派の教会に長年所属して、たくさんの教会に行き来しましたが、この情欲の問題はどこの教会でも見聞きしました。
実際に事件は起こしていなくても、言動や行ないで「この牧師、伝道師、宣教師、信徒リーダー、クリスチャンは危ない」という声はよく聞きましたし、
私自身も「この人は危ないな」と思ったことは多々あります。
世の中よりも教会のほうが危険だと思った人は少なくありません。
世の中では、そういう危ない人とは関わらないように出来ますが、教会では「兄弟姉妹、愛し合いましょう」という聖書の教えによって、関わらないようにするのに苦労します。
まして、相手が、牧師など教師の立場であれば、拒むことが難しいです。
※
このような現状から、このテサロニケ第一4章3~8の聖書箇所の教えから、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するようにしているのが「イエス・キリストを信じたクリスチャン」であり、
神を知らない異邦人のように情欲におぼれているのが、「イエス・キリストを信じていない人々」である。と定義することは出来ないはずです。
なので、「全的堕落」という神学的教義もかなり荒唐無稽で、信じることが出来ないものです。
*
現在の多くの日本人は、聖書の教えを知る前から、みだらな行いを避け、おのおの汚れのない心と尊敬の念をもって妻と生活するように心がけています。
そして、情欲におぼれる人たちは、陰で恥ずべき行為をして、それが明るみに出される日が来ます。
それから、それぞれが大きな罰をうけたり、罪悪感で苦しんでいます。
日本では「天罰がくだった」と言われています。
これは、聖書の教えが、あらゆる形で全世界に宣べ伝えられている証明だと思います。
*
つまり、テサロニケ第一4章3~8で教えられている「神を知らない異邦人のように情欲におぼれてはならないのです。」という「神を知らない異邦人」というのは、「イエス・キリストを信じていない人々」と定義することは間違いだということが明確にわかります。
この聖書に書かれている当時のテサロニケの異邦人というのは、前々回の記事で詳しく書いたように情欲におぼれていました。
長くなり過ぎたので、次回へ続きます。