「日本におけるキリスト教 49 プロテスタント福音派の牧師とイエス・キリストを信じていない人」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 49 プロテスタント福音派の牧師とイエス・キリストを信じていない人の論じ合い」

 

最近、アメリカ在住のプロテスタント福音派の教会の教えにつまずいたクリスチャンから誠実で暖かいメッセージを頂きました。

その方もこれから「日本人にとって本当の信仰の仕方とは何か」というテーマでブログを立ち上げる予定と聞きましたので、非常に楽しみです。

 

前回の続きですが、もしも、聖書の教えを網羅している「イエス・キリストをまだ信じていない人」と、プロテスタント福音派の教会で大きく用いられている日本の牧師たちが、全世界に発信する放送において論じ合ったらどうなるか?

それを個人的に予測したいと思います。

 

テーマは「クリスチャンは永遠の命を得て天国に行き、イエス・キリストを信じていない人々は地獄へ行く」です。

 

イエス・キリストを信じていない人はたった1人で十分です。

 

牧師のほうは福音派で大活躍しているカリスマ牧師たちが集結し、世界中から有名な福音派の牧師たちも呼び寄せたほうがよいでしょう。1人対何百人ですね。

 

 

まずは、イエス・キリストを信じていない人の聖書解釈は次のようになります。

 

聖書の中に「わたし(イエス・キリスト)を信じていない人は永遠の火に入れ!」「そこでイエスは、信じていない人々に言った『罪人のままで死ねば燃えるゲヘナに投げ込まれます。」など、

 

イエス・キリストが、イエス・キリストを信じないで死んだ人は地獄に行くと明確に命じられたことはありません。

 

最期の審判の教えも「わたし(イエス・キリスト)の兄弟たち(クリスチャン)、しかも最も小さい者たちの1人にしたのは、わたしにしたのです。その正しい人は永遠の命に入り、しなかった呪われた者たちは永遠の火に入る」と教えています。

 

ヨハネの黙示録の最後の審判では「地に住む者で、ほふられた小羊のいのちの書に、世の初めからその名の記されていない者は皆、獣を拝むので、火の池に投げ込まれた。」と教えています。

 

つまり、イエス・キリストが命じられたことで、イエス・キリストを信じなかった人々が地獄へ行く(永遠の火に入る)というような明確な教えはないわけです。

 

 

そしてクリスチャンですが、イエス・キリストは明確にこのように命じられているのです。

 

「そういうわけで、あなた方は誰でも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることは出来ません。ルカ14章33節」

 

永遠の命を自分のものとして受けるにはモーセの十戒めを行なっているという人に「あなたには、まだ一つ欠けたものがあります。あなたの持ち物を全部売り払って、貧しい人々に分けてやりなさい。そのうえで、わたしについて来なさい。ルカ18章18~22節」

 

それを聞いた人々が言った。「それでは誰が救われることが出来るでしょう。」

イエスは言われた。「人には出来ないことが、神には出来るのです。27節」

 

すると、ペテロが言った。「ご覧ください。私たち(弟子たち)は自分の家を捨てて従ってまいりました。28節」

 

 

イエス・キリストを信じた人々は、自分の財産を全部売り払うことが出来るということが、聖書にたくさん書かれています。

 

「私たちの古い人がキリストと共に十字架につけられたのは、罪の体が滅びて、キリストと共に生きることにもなる。と信じます。ローマ6章6~8」

 

「私たちは神の相続人であり、キリストとの共同相続人であります。ローマ8章17節」

 

「私はキリストと共に十字架につけられました。もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きておられるのです。

今、私がこの世に生きているのは、私を愛し、私のためにご自身をお捨てになった神の御子を信じる信仰によっているのです。ガラテヤ書2章20節」

 

 

ごく一部を紹介しましたが、クリスチャンになるということは、キリストがうちに生きておられて、キリストと共に生きているキリストとの共同相続人ということです。

 

ですので、イエス・キリストが「あなた方は誰でも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることは出来ません。」と明確に命じられたなら、自然に聞き従えるでしょう。

 

ここに集まった牧師たち、牧師の教会の指導者たち、信徒たちは自分の財産全部を捨てて、イエス・キリストに聞き従っていますか?

 

まさか、銀行に自分名義の口座があって貯金していたり、家、車、バイクなどなど、自分の持ち物を持っていることはないですよね?

 

 

それに対して、牧師たちは、どのように返答するでしょう?

 

そのために福音派の教会で大活躍されている牧師が集結したほうがよいと判断しました。

 

福音派の牧師の中では、他の都合がよい聖書の御言葉を羅列して、私的解釈を随所に施し、自分の財産や持ち物を持っていても良いという聖書解釈を繰り広げるという特徴がある牧師も多いです。

 

そのような牧師がいれば、視聴していた多くの人々から

 

「都合のよい聖書の御言葉を悪用して、都合が悪い聖書の御言葉を拒絶しているだけである!」

 

「往生際が悪い!」「みっともない!」「恥を知れ!」などと炎上することが推測できます。

 

 

聖書に書かれているキリスト教の初代教会・イエスの時代の原始福音において、クリスチャンは皆、財産全部を売り払いました。

 

ところがアナニヤとサッピラ夫妻が一部を残して、ある部分だけを使徒たちの足元に置きました。

 

すると使徒ペテロが「どうして、あなたはサタン(悪魔)に心を奪われ、聖霊を欺いて、地所の代金の一部を自分のために残しておいたのか!あなたは人を欺いたのではなく、神を欺いたのだ!」と厳しく言うと、アナニヤとサッピラは倒れて息が絶えました。使徒5章1~10」

 

 

また、イエス・キリストから「悪魔」と言われた12弟子の一人イスカリオテのユダも財産全部を捨てることは出来ませんでした。

 

「彼は盗人であって、金入れを預かっていたが、その中に収められたものを、いつも盗んでいたからです。ヨハネ12章6節」

 

これらの事をみても、クリスチャンは財産全部を捨てている人になります。

 

 

そして、聖書には書かれていることと真逆のことが書かれていることがあります。

 

ルカ22章31~38には、いよいよ主イエス・キリストが捕らえられ十字架につけられる時が直前になった時、

「ペテロ、今日、ニワトリが鳴くまでに、あなたは三度、わたしを知らないと言います。」

 

それから、弟子たちに、財布も旅行袋もくつも持たせずに旅に出した時、不足したことはなかったことを確認されてから

「今は財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣のない者は着物を売って剣を買いなさい。」と言われました。

 

彼らは「ここに、剣が二振りあります。」と言った。

 

その後、弟子たちは皆、主イエス・キリストを裏切って、見捨てて逃げ去りました。

 

この事をみても、裏切っていく弟子たちには「財布・旅行袋・剣を持ちなさい」と言われましたが、

弟子である時は、財布・旅行袋・くつを持たせませんでした。

 

 

つまり、聖書に書かれているイエス・キリストの教えは「あなた方は誰でも、自分の財産全部を捨てないでは、わたしの弟子になることは出来ません。ルカ14章33節」と明確に命じられています。

 

その反対に「自分の財産全部を捨てなくても、わたしの弟子になります。」というようなことは、どこにも書かれていません。

 

なので、聖書の教えで言えば、自分の財産全部を捨てていない、一部でも残しているようなクリスチャンたちは、永遠の命を得ていません。と言われても仕方がないでしょう。

 

主イエス・キリストが明確に命じられていることなので、弁解の余地もないでしょう。

 

 

繰り返しますが、この世の価値観で生きていた古い自分はキリストと共に十字架につけられて、もはや私が生きているのではなく、キリストが私のうちに生きているというクリスチャンが、どうして自分の財産全部を捨てないでおられようかという話になります。

 

また、アナニヤとサッピラのように自分の財産の一部でも残しているのは、サタンに心を奪われ、聖霊を欺き、神を欺いているのだ!という使徒ペテロの厳しい指摘もあります。

 

 

さらに言えば、聖書に書かれている初代教会・イエスの時代の原始福音から現代に至るまで、自分の財産全部を捨てて、イエス・キリストに聞き従っているクリスチャンは、世界中にいます。

 

決して少なくはありません。

 

カトリックのマザーテレサもその1人です。

そのマザーテレサの元には世界中のクリスチャンが自分の家や財産全部を捨てて、貧しい人々や子供たちと共に生活しています。

 

日本にもいます。カトリックの北原怜子さんは、裕福な家で生まれ育ったお嬢様でしたが、掘っ立て小屋で暮らすアリの町の子供たちのところへ世話をしに行って、裕福な家と生活を捨てて、貧しいアリの町で暮らしました。

 

ところが不潔で過酷な環境も影響したと言われていますが、若くして健康を害して、28歳の若さで召天されました。

 

 

さて、この世の人々と同じように、自分の財産や持ち物を色々と持ちながら「私はイエス・キリストを信じているクリスチャンで永遠の命を得ている者です。

 

しかし、イエス・キリストを信じていない人々は救われない。そのまま死ねば地獄へ行ってしまうのです!」という聖書解釈をされるのは自由です。

 

けれど、地獄行きに定められた「イエス・キリストを信じていない人」が聖書を熱心に学んで、イエス・キリストを信じない人々を地獄行きに定める牧師たちと論じ合うと、どうなるか。

 

個人的には、前述のような展開になると予測して、書かせてもらいました。

 

 

次は、聖書解釈と福音理解を無教会の立場から、本当に自分の財産全部を捨てないとイエスさまの弟子になれないかを解き明かしていきたいと思います。