「日本におけるキリスト教 47 聖書が教えるクリスチャンと教会」 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

「日本におけるキリスト教 47 聖書が教えるクリスチャンと教会」

 

聖書にはイエス・キリストを信じた人々の群れ(教会)のことが詳細に書かれています。2つあります。

 

① 1つはクリスチャンになれば、すべての持ち物を教会に渡して共有し、富んでいる人々も貧しい人々も皆が平等になるということです。

 

「 信じた人々の群れは心も思いも一つにし、一人として持ち物を自分のものだと言う者はなく、すべてを共有していた。

使徒たちは、大いなる力をもって主イエスの復活を証しし、皆、人々から非常に好意を持たれていた。

 

信者の中には、一人も貧しい人がいなかった。土地や家を持っている人が皆、それを売っては代金を持ち寄り、使徒たちの足もとに置き、その金は必要に応じて、おのおのに分配されたからである。使徒4章32~35」

 

この教会の姿は聖書のこのイエスさまの教えに忠実に聞き従っているものです。

 

「さて、1人の男がイエスに近寄って来て言った。

『先生、永遠の命を得るには、どんな善いことをすればよいのでしょうか。』

 

イエスは言われた。

『もし完全になりたいのなら、行って持ち物を売り払い、貧しい人々に施しなさい。 そうすれば、天に富を積むことになる。それから、わたしに従いなさい。』マタイ19章16~21」

 

 

② もう1つは、大勢の人々を癒す業を行なって救い称賛されていますが、国の支配者・指導者たちからねたまれて、忌み嫌われ迫害されました。

 

「使徒たちの手によって、多くのしるしと不思議な業とが民衆の間で行われた。一同は心を一つにしてソロモンの回廊に集まっていたが、ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。

 

しかし、民衆は彼らを称賛していた。 そして、多くの男女が主を信じ、その数はますます増えていった。 

 

人々は病人を大通りに運び出し、担架や床に寝かせた。ペトロが通りかかるとき、せめてその影だけでも病人のだれかにかかるようにした。

また、エルサレム付近の町からも、群衆が病人や汚れた霊に悩まされている人々を連れて集まって来たが、一人残らずいやしてもらった。

 

そこで、大祭司とその仲間のサドカイ派の人々は皆立ち上がり、ねたみに燃えて、使徒たちを捕らえて公の牢に入れた。 使徒5章12~18」

 

 

この事についてのイエスさまの教えがあります。

 

「ペトロがイエスに、『このとおり、わたしたちは何もかも捨ててあなたに従って参りました』と言いだした。

 

イエスは言われた。『はっきり言っておく。わたしのためまた福音のために、家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てた者はだれでも、今この世で、迫害も受けるが、家、兄弟、姉妹、母、子供、畑も百倍受け、後の世では永遠の命を受ける』マルコ10章28~30」

 

「こうして、自分の家族の者が敵となる。

わたしよりも父や母を愛する者は、わたしにふさわしくない。わたしよりも息子や娘を愛する者も、わたしにふさわしくない。

 

また、自分の十字架を担ってわたしに従わない者は、わたしにふさわしくない。自分の命を得ようとする者は、それを失い、わたしのために命を失う者は、かえってそれを得るのである。マタイ10章36~39」

 

 

この2つが、聖書に書かれているクリスチャンと教会の実態ですが、もしも自分自身が現在の状況で、その聖書の時代に生きている者だとしたら、「ほかの者はだれ一人、あえて仲間に加わろうとはしなかった。」という仲間に加わろうとしなかった1人になったと思います。

 

持ち物をすべて売り払ったり、国の支配者・指導者たちの敵になって不安と恐れの人生を歩みたくありません。

 

もしも、家族の誰かがクリスチャンになり、イエス・キリストのために福音のために「家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑を捨てる」というなら猛反対するでしょう。

 

しかしながら、クリスチャンたちを称賛はしています。そして、家族、親戚か友人の誰かが病人になったり、汚れた霊に悩まされたら、クリスチャンたちに救ってもらいます。

 

それは、クリスチャンになった証明として、イエスさまがこのように断言されているからです。

 

「信じる者には次のようなしるしが伴う。彼らはわたしの名によって悪霊を追い出し、新しい言葉を語る。手で蛇をつかみ、また、毒を飲んでも決して害を受けず、病人に手を置けば治る。マルコ16章17~18」

 

クリスチャンになれば、病人を治して、悪霊を追い出すことができるからです。

 

 

さて、現在の「クリスチャン」と「教会」ですが、その聖書に書かれている通りでしょうか?

まるで違います。

 

すべての持ち物を売り払って、教会に渡している者たちや、

家、兄弟、姉妹、母、父、子供、畑(土地)を捨てた者たちは、ごく稀なケースだと思います。

 

また、この日本では、国を治める指導者たちが教会とクリスチャンたちを迫害することはありません。

 

それどころか、病いを治すことが出来るなら、国の英雄になるでしょう。

癌、白血病、脳梗塞、新型コロナウイルス、難病などで苦しんでいる人々を救い続けていることでしょう。

 

国の政権を取っている政党や総理大臣から称賛されて、国民栄誉賞の対象とされることでしょう。

それは国民も称賛することです。

 

 

大切なことは、聖書に書かれてあるクリスチャンと教会は、富む人々と貧しい人々が平等となり、驚くべき神の御業が行なわれて、大勢の人々を民衆に称賛されています。

 

しかし、現在のクリスチャンと教会は、その真逆で、大勢の人々を深く傷つけて、民衆をつまずかせていることが目立つのです。

 

 

個人的にも「生前にイエス・キリストを信じなければ地獄へ行く」という教えに人生最大のショックを受けました。

 

この「すべての人間は滅びに向かっている(地獄へ行く)」という教えに深く傷ついたり、怒ったりしている人たちは多いです。

 

また、教会に行くたびに「献金、献金、また献金」というのも、会社を辞めた時など金欠の時代はすごく苦しかったです。

 

教会の金を持っているクリスチャンたちは有り余るところから献金していますが、貧しい人々にとって「献金、献金、献金」というのは苦痛です。

 

まさに、金を持っているクリスチャンたちと、貧しいクリスチャンたちの貧富の差が教会の中で浮き彫りにされています。

 

しかしながら、教会は牧師や働き人の給料、家賃、光熱費、通信費、伝道集会などの費用などなど、金が必要不可欠です。

 

「金の切れ目が縁の切れ目」とよく言われますが、キリスト教会も同じです。

毎年、金が切れて、キリスト教会が閉鎖しているそうです。

 

私が仕事で行き来している5つの町では、4つのキリスト教会が閉鎖しました。(その内、1つは小さな一軒家で再開したと聞きました。)

 

ですから、多くのキリスト教会に最も必要なのは「金」というのが現実だと思わされます。

 

それゆえ、今のSNSで発信する時代で、教会の牧師は高収入のクリスチャンたちと低収入のクリスチャンたちを差別しているので傷ついている声をよく聞きます。

 

また、キリスト教会の指導者たちや信者たちのセクハラやパワハラ、モラハラなどもよく見聞きします。

 

それで、牧師やクリスチャンたちを憎む人々が少なくありません。

まるで聖書に書かれていることとは違います。

 

 

クリスチャン精神科医の工藤信夫先生の著書「これからのキリスト教」の中で、プロテスタントの教会の引退牧師の伝道礼拝でのメッセージを次のように紹介していました。

 

「十三年間の統計を見ると、私どもの教団の信徒二十万人のうちの半分の十万人はすでに信仰を失っており、その残った信徒の半数五万人は教会に魅力を感じなくなっていると言えます。」

 

全国のキリスト教会を取材された著書「日本のキリスト者の証」を読んでも、その引退牧師の言っていることが的を得ていると思いました。

 

 

それではどうすればいいのか?

聖書に書かれてあるクリスチャンと教会とまったく同じにすべきでしょうか?

 

それは違います。ユダヤ人にはユダヤ人のようにと書かれていますから、現代の日本人には現代の日本人のようにです。

 

そもそも、クリスチャンになっても「イエス・キリストの御名」で病いを100%治せませんし、毒を飲めば死ぬでしょう。

ですので、現代の日本人にふさわしい聖書解釈と福音理解が必要です。

 

「日本のキリスト者の証」では、普遍的な神の愛を教えるカトリック教会の晴佐久昌英神父と無教会の教えがクローズアップされていました。

 

個人的にも「普遍的な神の愛」の聖書解釈と福音理解が大きな鍵になると確信しています。

 

 

まとめれば、聖書に書かれていることと現代の日本の教会とクリスチャンはまるで違うのですから。聖書にこう書いてあるという教えは考えものです。

 

現代の日本にふさわしい聖書解釈と福音理解をイエスさまは用意されているはずです。

神は愛ですから。