「日本におけるキリスト教 36 聖書解釈の違い 異邦人の道とサマリヤ人の町に入ってはいけません」 | ルーク4のブログ

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「日本におけるキリスト教 36 聖書解釈の違い 異邦人の道とサマリヤ人の町に入ってはいけません」

 

読売新聞社グループの中央公論社から出版された著書「評伝 内村鑑三」の中で、次のように書かれています。

 

「キリスト教関係の古書店で聞くと『内村さんのものが群を抜いてよく売れます』ということであるし、内村鑑三はキリスト教関係の人に読まれるだけでなく、明治以来の近代日本思想史の研究素材としても脚光をあびてきている。

すでに内村は文化人切手にもなっているし、日本史の教科書には採り入れられるしで、墓の下の内村は恐らく苦笑いしていることであろう。」

 

 

私自身もアフガニスタンで殉教された中村哲先生を通して、無教会の内村鑑三先生の聖書解釈と福音理解を知ったのですが、正直、福音派の牧師たちの教えが幼稚すぎると思いました。

 

その事をこれから書いていきます。

 

福音派の教会の「イエス・キリストの救い」についての聖書解釈と福音理解は次の3つの御言葉が挙げられます。

 

① 

御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、命を見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネ3:36

 

この方(イエス・キリスト)以外には、誰によっても救いはありません。

世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒4:12

 

いのちの書に名の記されていない者は皆、この火の池に投げ込まれた。黙示録20:15

 

この聖書の中から恣意的に選んで、切り抜いた3つの御言葉を信じると「生前にイエス・キリストを信じなかった人々は、最後の審判において火の池に投げ込まれた」という福音派の教会が教えている聖書解釈と福音理解になります。

 

福音派だけではなく、プロテスタント教会全体も同じのようです。

聖書に書かれていることをすべて信じるという信仰ですから。

 

 

内村鑑三先生は、アメリカの福音派の神学校で学んでいたことがあり、そういう新教(プロテスタント教会)の教えは、この日本はアメリカと同じではないのだからと、アメリカの宣教師がその新教の神学をそのまま日本に伝えることに激怒しています。

 

そして2つのJ「JESUS」と「JAPAN」を掲げる聖書解釈と福音理解を生み出されました。

 

関連して、中村哲先生は、アフガニスタン在住という立場で、内村先生と同じく、イエス・キリスト以外に救いはないというキリスト教を「ヨーロッパ教」と言っています。

 

 

私はアメリカに2度行って、クリスチャンホームにホームステイしたことがあります。

そのクリスチャンホームは、祖父母も両親も友達家族も全員がJESUSを信じているクリスチャンという環境でした。

 

中にはJESUSから離れた生活をしている人もいますが、皆で毎日祈り続けていました。

 

これは、日本の牧師も同じような環境が多いと思います。

 

妻も当然にイエス・キリストを信じている牧師婦人であり、子どもたちもイエス・キリストを信じていて、親友たちもクリスチャンで信仰の友である。

 

何より関わっている人間関係でいえば、教会の兄弟姉妹が「神の家族」という環境です。

 

そして、牧師と牧師婦人の両親や子どもがまだイエス・キリストを信じていない場合、毎日熱心に祈り続け、福音を伝え続ける中で救われたという証しにあふれています。

 

ですから、アメリカのクリスチャンホームや日本の牧師家族において、「生前にイエス・キリストを信じなかった人々は救われない。地獄に行き、永遠に炎の中でもがき苦しむ」という聖書解釈と福音理解でも、荷は軽いと思えるかも知れません。

 

なぜなら気軽に、家族で遊びに行ったり、テレビを見たり、趣味の時間を持てている牧師が非常に多いからです。

 

 

しかし、歴史上、クリスチャンは約1%弱という状況が続いている日本では、クリスチャンホームや牧師家庭ではない人がクリスチャンになった時、周りはすべて未信者(イエス・キリストを信じていない人)という場合が圧倒的に多いでしょう。

 

私自身もそうでした。

 

私の場合、高校の同級生の1人が福音派のクリスチャンで、「アイドル歌手のように可愛い子が教会にいる」と誘われて、同級生4人ぐらいで行ったのがきっかけです。

 

そして、生前にイエス・キリストを信じなかった人々は地獄に行くというので、教会の人たちと天国に行くのもいいと思い「信じる」と言いました。

 

 

しかしながら、クリスチャンになってから本当の地獄が始まりました。

 

私の両親も親戚一同も浄土真宗です。仲良しの友達や尊敬する人、大好きな歌手、俳優・女優、関わっているすべての人々が未信者(イエス・キリストを信じていない人)という状況です。

 

今のままでは、その関わっているすべての人々が地獄へ行き、永遠に炎の中でもがき苦しむという残酷で恐ろしすぎる冷酷非道な教えに、耐えられない重荷を背負い、悩み苦しみました。

 

テレビを見ている場合ではなく、趣味に楽しむ場合でもない。毎日、そのすべての人々、一人一人のために熱心に祈り続け、福音を宣べ伝え、伝道しなければ、気が楽になりません。

 

何年か経つうちに、次々とイエス・キリストを信じることなく亡くなっていくので耐えられないほどのショックを受け続けます。

震災で突然に多くの人々が亡くなる悲しいニュースを聞くたびに、気が狂いそうになります。

 

 

また、高校生の時に愛する祖母と父親を亡くした女子大生は、福音派の教会で、「生前にイエス・キリストを信じなければ地獄に行く」という教えを聞いて、その教えを信じようとした時に精神が耐えられず、崩壊して、精神病院に入退院を繰り返していますが、そうなって当然だと思いました。

 

 

そして、プロテスタント教会とはまったく違う、無教会の内村鑑三先生の聖書解釈と福音理解を学び続けるうちに、悲しみと嘆きは逃げ去り、喜びと楽しみを得たのです。

 

内村先生は、少数救済説の御言葉があり、万人救済説の御言葉がある。日本在住の日本人は万人救済説を選べば良いという聖書解釈と福音理解でした。

 

 

前述の①②③の御言葉は、日本では少数救済説の御言葉になります。

 

そうではなく、万人救済説の御言葉を選ぶのです。

 

次の3つが挙げられます。

 

イエスは、この十二人を遣わし、その時、彼らにこう命じられた「異邦人の道に行ってはいけません、サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。マタイ10:5~6」

 

このイエスさまが命じられたことは、イスラエルの家の滅びた羊の人々と、異邦人と、サマリヤ人と、それぞれ福音宣教が異なるという聖書解釈です。

 

これは後で使徒パウロも明確に言っています。

 

ユダヤ人にはユダヤ人のようになりました。それはユダヤ人を獲得するためです。

 

律法を持たない人々に対しては、私はキリストの律法を守る者ですが、律法を持たない者のようになりました。それは律法を持たない人々を獲得するためです。

 

すべての人に、すべてのものとなりました。それは何とかして、幾人かでも救うためです。

 

私はすべてのことを福音のためにしています。それは私も福音の恵みをともに受ける者となるためです。第一コリント9:20~22」

 

ですから、クリスチャン国家のアメリカと、クリスチャン人口が約1%弱の日本とでは聖書解釈と福音理解は違わなければなりません。

 

 

イスラエルの家の滅びた羊の人々は、旧約聖書に預言されているメシヤ(救世主)を待ち望んでいました。

 

盲人たちはメシヤのことを「ダビデの子よ、あわれんでください!」と言って熱心に祈り続けていました。

 

民の指導者、長老たちもメシヤを信じて待ち望んでいました。

 

そのメシヤ(救世主)であるイエス・キリストが30才になられた時に、地上で福音宣教を開始されたのですが、イスラエルの家の滅びた羊の人々であるユダヤ人たちは「このイエス・キリストはメシヤではない!」と拒絶して殺してしまったのです。

 

そのことが使徒4章に詳しく書かれています。

 

ペテロは聖霊に満たされて、彼らに言った。

「民の指導者たち、ならびに長老の方々、またイスラエルのすべての人々も、よく知ってください。

 

この人が治って、あなた方の前に立っているのは、あなた方が十字架につけ、神が死者の中からよみがえらせたナザレ人イエス・キリストの御名によるのです。

 

あなたがた家を建てる者たちに捨てられた石が、礎の石となった。というのは、この方のことです。

この方(イエス・キリスト)以外には、誰によっても救いはありません。

 

世界中でこの御名の他には、私たちが救われるべき名としては、どのような名も、人間に与えられていないからです。使徒4:8~12」

 

 

同じことが第一テサロニケ2:15~16に書かれています。

 

「ユダヤ人は、主であられるイエスをも、預言者たちをも殺し、また私たちをも追い出し、神に喜ばれず、すべての人の敵となっています。

 

彼らは、私たちが異邦人の救いのために語るのを妨げ、このようにして、いつも自分の罪を満たしています。

しかし、神の御怒りは彼らの上に臨んで窮みに達しました。」

 

そのユダヤ人に対する教えは、ヨハネ3章22節から、バプテスマのヨハネがユダヤ人(イスラエルの家の滅びた羊の人々)に対して、

 

「御子を信じる者は永遠の命を持つが、御子に聞き従わない者は、いのちを見ることがなく、神の怒りがその上にとどまる。ヨハネ3:22~36」と教えた通りです。

 

 

つまり、ユダヤ人(イスラエルの家の滅びた羊の人々)と、異邦人と、サマリヤ人(他民族の混血)とは、教えることがまったく違うことがあります。

 

それぞれの救いについての福音宣教は異なっているので、

 

「異邦人の道に行ってはいけません、サマリヤ人の町に入ってはいけません。イスラエルの家の滅びた羊のところに行きなさい。」と命じられたという「救い」に対する聖書解釈と福音理解なのです。

 

ですから、イエスを殺したユダヤ人(イスラエルの家の滅びた羊の人々)に対しての救いの教えでは、旧約聖書に預言されたメシヤ(救い主)である御子イエスに聞き従わない者は神の御怒りがその上にとどまっている。

 

メシヤ(救世主)はイエス・キリスト以外にはありません!イエス・キリストの他に、あなた方が熱心に待ち望んでいるメシヤ(救世主)は世界のどこにもいません。

 

なので、イエス・キリスト以外には誰によっても救いはありません。と教えることが至極当然であります。

 

 

そのイエスをも殺した当時のユダヤ人に対する教えを、異邦人である日本人に対して教えると、新井白石のように「いかむぞ!」とかつ憤り、かつ呆れ果て、「幼稚な教えだ!」と吐き捨てられても当然と言えるでしょう。

 

長くなったので、つづく