キリスト教の「罪」について 人間の恐ろしい大罪と神の御心 | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

無教会の立場から、気になる映画を見たり、聖書を学びなおすと、福音派とはまるで違う解釈に変わっています。

 

キリスト教の7つの大罪を題材にした映画「セブン」主人公は二人の刑事。一人はベテランのサマセット刑事(モーガン・フリーマン)。もう一人が新人のミルズ刑事(ブラッド・ピット)。

 

ミルズ刑事は可愛い妻がいて、子供を身ごもっています。妻と一緒に我が子が生まれてくる日を喜んで待ち望んでいるのです。

 

犯人のジョン・ドウは、7つの大罪を理由に次々と殺人を犯していく。6つまで終わり、残りの一つの大罪が「憤怒」怒りは理性を破壊し、魂の中に悪魔を迎え入れて、殺人を犯してしまうと言われています。

 

 

このことは、聖書の初めての人類(成人した状態で誕生)のアダムとイブの最初の子がカイン(人類初の胎児から生まれて来ます)そのカインは弟アベルを「憤怒」怒りによって殺していることを思い起こします。

 

「時を経て、カインは土の実りを主のもとに献げ物として持って来た。アベルは羊の群れの中から肥えた初子を持って来た。

主はアベルとその献げ物に目を留められたが、カインとその献げ物には目を留められなかった。カインは激しく怒って顔を伏せた。

 

主はカインに言われた。『どうして怒るのか。もしお前が正しいのなら、顔を上げられるはずではないか。正しくないなら、罪は戸口で待ち伏せており、お前を求める。お前はそれを支配せねばならない。』

 

カインが弟アベルに言葉をかけ、二人が野原に着いた時、カインは弟アベルを襲って殺した。創世記4:3~8」

 

 

人は怒って、どうしても許すことが出来ない場合、その罪は戸口で待ち伏せしているので、その怒り・憤怒を治めなければならないと、神さまは教えられます。

 

もしも、自分自身がこのカインの立場であれば、弟に嫉妬して、怒り、憎しんだとしても、殺す感情は治めることが出来ると思いました。殺すまでは至らないと思います。

 

 

話は映画「セブン」に戻します。

映画の後半で、犯人のジョン・ドウは6つの大罪に対する殺人を終えて自首するのです。

 

しかも最後の1つ「憤怒」に対する殺人を、新人刑事ミルズに実行させる細工を行っていたのです。

そして、映画史上最も残酷なラストシーンとなる、細工が明らかになります。

 

自首した犯人がある現場にある箱の中を見ろと指示します。

指示通りにサマセット刑事とミルズ刑事が現場に到着します。

 

そして、サマセット刑事が箱を見に行って、箱の中を見ると、世にも恐ろしいものが入っていました。

 

少し離れたところで、犯人はミルズ刑事に、お宅にお邪魔して、奥さんと会ったことを伝えます。

そして、あの箱の中には愛する妻の首から上だけが入れられていることを悟らせるのでした。

 

つまり、最愛の妻と最愛のお腹の赤ちゃんを惨殺したことを伝えたのです。

 

ミルズ刑事は半狂乱になり、犯人に対する憤怒・怒りを治めようとするのですが、「オー神よ。オー神よ」と言いながら、銃口を犯人に向けて撃ち殺そうとします。

 

サマセット刑事ももう止めることは出来ない。撃ち殺しても理解できるという対応になりました。

 

 

このラストシーンに、自分自身がミルズ刑事の立場なら、憤怒・怒りを治めることが出来ず、憎しみと怒りのあまり犯人を撃ち殺し、何発も犯人の体に撃ちこみたいという感情になりました。

 

神さまの御心は、それでも怒りと憎しみの感情を治めてほしいのでしょうが、無理な場合があります。

最愛の妻と赤ちゃんを残虐非道に惨殺した犯人に挑発されれば、半狂乱になり殺してしまいます。

 

 

神さまは、神の御心にかなう弟アベルを生き返らせて、そこから人類を繁栄させることも出来ました。

そして、カインの子孫を絶つことも出来ました。

 

しかし、神さまは、怒りと憎しみを治めることが出来ずに弟アベルを殺したカインを選ばれたのです。

人の思いでは考えられないことです。

 

カインは弟アベルを殺した後で「私の罪は重すぎて負いきれません」と、その罪の大きさに気づきました。

 

それで神さまは、そのカインの命を守るように「しるし」をつけました。そして、カインの子孫を繁栄させたのです。

 

また、アダムとイブも神さまに聞き従えずに反逆しました。

だけど、神さまはアダムから子孫を繁栄させたのです。

 

「神は御自分にかたどって人を創造された。神にかたどって創造された。男と女に創造された。創世記1:27」

 

神は、すべての人を創造されたことに責任をもっておられると思いました。

 

また、繰り返しますが、神さまの御心にかなっていたアベルではなく、神さまに反逆したアダムとイブ、カインの子孫を繫栄させられたのです。

 

自分自身もカインのように自己中心で、神が治めてほしいことを治められず、罪を犯してしまう者です。

 

「自分に罪がないと言うなら、自らを欺いており、真理は私たちの内にはありません。自分の罪を公に言い表すなら、神は真実で正しいお方ですから、罪を赦し、あらゆる不義からわたしたちを清めてくださいます。

 

罪を犯したことがないと言うなら、それは神を偽り者とすることであり、神の言葉は私たちの内にはありません。第一ヨハネ1:8~10」