「世の終わり、聖書預言、ヨハネの黙示録、第三次世界大戦、核爆弾、悪魔」について | ルーク4のブログ

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神様がクリスチャンに与える愛、夢、希望、信仰の証を中心に書いています。

2020年から新型コロナウイルス禍の猛威が続いている中で、今年は大国ロシアによるウクライナ侵攻という戦争が始まりました。

 

そのロシアに同調しているのが中国と北朝鮮です。

以前から中国は台湾に、北朝鮮は韓国に、武力行使を示唆する脅しをかけていますので、ロシアに便乗して仕掛けてくる可能性があるので、世界は警戒しているのです。

 

ロシア、中国、北朝鮮の三か国に共通しているのが「核保有国」ですので、核兵器の使用が最も恐れられています。

 

北朝鮮の核弾道ミサイルは、燃料搭載量を減らすと、落下する弾頭の速度はマッハ10前後となるそうです。

 

海上自衛隊のSM-3では迎撃は困難。航空自衛隊のPAC-3による一発勝負での防衛となり、マッハ10前後への対応は難しいそうです。

 

 

韓国はアメリカ軍のTHAADの配備があり、世界に核保有国としての脅威と威厳を示すために核爆弾の成果を試すには、日本へ撃ち込むのがリスクが少ないと画策している可能性もあるそうです。

 

アメリカが、日本へ原爆を落としたのも成果を試すための実験だと言われています。

北朝鮮の核弾道ミサイルは長崎原爆の10倍だそうです。

 

北朝鮮は今年になり頻繫に核弾道ミサイルを日本に向けて撃ち続けているのですから、これから発射されたミサイルが何らかの事故によって、日本の本土のどこかに撃ち込まれてしまうことを懸念しているわけです。

 

そうなってしまった最悪の場合、アメリカ軍が北朝鮮に報復のための核爆弾を撃ち込むことはないでしょうし、

日本の良心からしても、戦争をそこで終わらせることを選ぶと思います。報復して北朝鮮にいる人々を殺せません。

 

 

プロテスタント福音派の教会では「世の終わり=黙示録の時代」というメッセージが盛んに聞かれます。

 

私自身も福音派の教会に長年いたので、世の終わりは聖書のヨハネの黙示録に書かれていることが次々に実現していくと教えられました。

 

ヨハネの黙示録8章には、第三次世界大戦のような描写が詳細に書かれています。投げ入れられたもので、地上の三分の一が焼け、海の三分の一が血に変わりというように。

 

 

続く黙示録12章では、天で戦いが起こり、巨大な竜、年老いたヘビ、悪魔とかサタンとか呼ばれる者は地上に投げ落とされた(12:7~9)

 

そしてこの巨大な竜(悪魔・サタン)は、海の中からと地中の中から上って来た「二匹の獣」に権威を与えた。(まるでウルトラマンの世界か!ショワッ!)

 

獣は聖なる者たちと戦い、これに勝つことが許され、あらゆる種族、民族、国民を支配する権威が与えられた。

地上に住む者で、天地創造の時から、ほふられた小羊の命の書にその名が記されていない者たちは皆、この獣を拝むだろう。(13:1~8)

 

獣とその像を拝み、額や手に獣の刻印を受ける者は、永遠の火に投げ込まれます。(14:9~10&20:15)

 

 

福音派の教えでは、これから、このような黙示録に書かれていることが実現する。竜(悪魔・サタン)と二匹の獣が支配して、聖なる者たちは勝つことができないのです。

 

その大患難時代が来る前に、クリスチャンたちは空中に引き上げられる携挙があると教えます。

 

それには患難時代前に携挙説と大患難時代前に携挙説と二つに分かれていますが、いずれにせよ竜(悪魔・サタン)と二匹の獣が支配する大患難時代には、本当のクリスチャンは携挙されているので安全だと教えます。

 

そして、白い馬に乗って来た自分の他は誰も知らない名が記された方が現れて、獣と偽預言を捕らえ、火の池に投げ込みます。

一人の天使が、底なしの淵の鍵と鎖で悪魔でもサタンでもある竜を捕らえて、底なし淵に投げ入れた。

 

その後、空中に携挙していたクリスチャンたちは、キリストと共に千年の間統治する。

これが福音派の教えです。

 

 

しかし、聖書には「イエスの証と神の言葉のために、首をはねられた者たちの魂を見た。

この者たちは、あの獣もその像も拝まず、額や手に獣の刻印を受けなかった。

 

彼らは生き返って、キリストと共に千年の間統治した。(20:4~5)と明確に教えられているのです。

 

つまり、キリストと共に千年の間を統治するクリスチャンたちは、大患難時代も地上にいて、竜と二匹の獣と戦い、首をはねられた者になります。

 

空中に携挙された者のことなど、どこにも書かれていないのです。

 

携挙されて、大患難時代の3年半を空中のどこかで生活することになるのでしょうが、そんな人たちのことは無視されています。

 

 

また、黙示録には、主イエス・キリストと弟子たちが教えていることと違うことが教えられています。

 

イエスは言われた。「わたしはサタンが稲妻のように天から落ちるのを見ていた。

蛇やさそりを踏みつけ、敵のあらゆる力に打ち勝つ権威を、わたしはあなた方に授けた。ルカ10:18~19」

 

「その十字架の死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷になっていた人々を解放してくださるためでした。へブル2:14,15」

 

「だから、神に服従し、悪魔に反抗しなさい。そうすれば、悪魔はあなた方から逃げて行きます。ヤコブ4:7」

 

「あなた方の敵である悪魔が、ほえたける獅子のように、誰かを食い尽くそうと探し回っています。

信仰にしっかり踏みとどまって、悪魔に抵抗しなさい。第一ペテロ5:8~9」

 

「平和の神は、すみやかに、あなた方の足でサタンを踏み砕いてくださいます。ローマ16:20」

 

 

つまり、サタン(悪魔・巨大な竜・年を経た蛇)は、12弟子と別に70人の弟子を定めて、宣教に遣わした時に、天から地上に落とされています。

 

そして、主イエス・キリストの十字架上の死によって、悪魔(サタン・巨大な竜・年を経た蛇)は滅ぼされ、クリスチャンが信仰によって立ち向かえば逃げ去ったり、足で踏み砕いたり、恐れることがない存在になっています。

 

悪魔が、ほえたけて食い尽くそうとしていても、信仰に踏みとどまって抵抗できるのです。

 

 

ところがぎっちょんちょん

 

黙示録が教える悪魔(サタン・巨大な竜)は、クリスチャンは勝つことができない権威を与えられていて、いつの間にか天に住んでいて、天で戦いが起きて地上に落とされますが、その力は最強で、さらに恐るべき権威を二匹の獣に授けて、地上を支配するというのです。

 

それは、キリストや弟子たちの教えを覆すものです。

 

そして、主イエス・キリストの十字架上の死によって、サタン(悪魔)を滅ぼし、クリスチャンたちが信仰によってサタン(悪魔)に立ち向かえることがムダになったことを教えるものですし、十字架上で「完了した」と言われたイエスの言葉も無にするものです。

 

 

それから、主イエス・キリストの再臨についても、教えていることがまるで違います。

 

「人の子(イエス・キリスト)が、その栄光を帯びて、すべての御使いたちを伴って来る時、人の子はその栄光の位に着きます。

そして、羊を右に、山羊を左に置きます。

右にいる者たちは「わたしの父に祝福された人たち」です。(マタイ25:31~34)

 

つまり、本当のクリスチャンたちは、地上に住んでいて、天から地上に再臨されるイエス・キリストを待っていたのです。

 

そして、携挙された人たちのことなど、どこにも書かれていません

すべての御使いたちを伴って来られますが、携挙されて人たちのことは書かれていないのです。

 

もしも大患難時代の前に携挙されて空中に挙げられた人たちがいたなら、そのままにしているという事なのか

そもそも、大患難時代もないし、竜(悪魔・サタン)も二匹の獣のこともまったく書かれていないのです。

 

 

「人の子が来るのは、ちょうどノアの日のようだからです。

洪水前の日々は、ノアが箱舟に入るその日まで、人々は飲んだり、食べたり、結婚したりしていました。

 

その時、畑に二人いると一人はとられ、一人は残されます。(マタイ24:37~41)

 

つまり、主イエスが来られる日まで、本当のクリスチャンたちも地上で普段の生活をしているのです。

そして、主イエスが来られた日に、空中に挙げられて、そこで主イエスと出逢い、右に置かれるのです。

 

 

黙示録の教えでは、イエスの再臨の日は、地上は、竜(悪魔・サタン)と二匹の獣が支配する世界になっていて、獣の刻印を押されて竜と獣を拝む者たちだけが飲んだり食べたり、普段の生活をしています。

 

まるで、イエス・キリストが教えられていることと違うのです。

無教会キリスト教の教えでは、そのことを吟味しています。

 

 

ですから、黙示録に書かれていることをそのまま信じてはいません。

 

他の聖書には書かれていない「ウルトラマンの世界」のようなものは、現在でもウルトラマンの見過ぎで、夢や幻で見ることがあります。

 

無教会キリスト教では、「十字架上のイエス・キリストの教え」を最も大切にしています。

 

その教えをムダにするような教えに対して「迷信」という考えもあり、矢内原忠雄先生は「迷信であるかないか知らないけれども、黙示録の著者ヨハネはこの信仰によって生きた」と表現しています。

 

ですから、悪魔(サタン・巨大な竜・年を経た蛇)を恐れることはありませんが、軽く見てはいけないことを教えます。

 

内村鑑三先生は、聖書は神の手によるものと、人の手によるものとがあると教えています。

 

 

そして聖書はローマ人への手紙、コリント人への手紙があり、パウロが我が子テモテやテトスに書いた手紙があるように、

神さまが日本に対して教える御言葉があり、個人的に、わたしへの手紙があり、あなたへの手紙があるのです。

 

それは、聖書に書かれている教えと一致していますが、聖書には具体的に書かれていないものです。

 

例えば、新型コロナウイルスや核保有国、日本経済、それぞれの職場や学校、家のことや健康問題などなど、日頃に関わることについて、聖書の時代と現在の時代とは違うわけですから。

 

その神さまからの手紙を受け取る信仰が大切だと痛感しています。